今日明日と、クリスマスプレゼントに本をもらう子供たち、そして大人のひともいるでしょうね!
本を贈ってもらうって素敵なことですよね。
なんていうか、本を贈るって、なかなかに難しいことだから余計に。
わたしも、クリスマスプレゼントに本をもらって喜ぶおこちゃまでした。
わたしが、いまこうして小説かいたりしてるのは、両親のおかげもあるかと思います。そこはものすごく感謝してる。だって、凄くイイ本を与えてくれたし、うちにたくさん本があったから。
てことで、
今日は「小説」や「物語」を書きたいひと向けの本を並べてみたよ☆
の「物語」篇の助走として、
または棚卸として、
じぶんの想い出とともに親にプレゼントされた本とかを記しておこうかなあ、と(ほんとは物語篇がやりたいのだが、疲れきってるので頭が働かないし、たぶんそれなりの量になるだろうから、小出しに、ていう意味で)。
でもって、そんな余計なのいらん、ていうひとはなんならアマゾンリンクだけ見てやってください(べつにあふぃとかやってないしw それと、わたしのはてなハイクよんでるひとは知ってることなのでとばしてちょ)。
「小説」や「物語」を書きたいひと向けの本を並べてみたよ☆
「小説」や「物語」を書きたいひと向けの本を並べてみたよ☆ vol.2
じぶんてどうやって小説かいてるのかしら?
じぶんてどうやって小説よんでるのかしら?
じぶんてどうやって小説かいてるのかしら? vol.2
じぶんてどうして小説かいてるのかしら?
じぶんてどうやって小説かいたらいいのかしら?
わたしが生まれてはじめて読んだ文庫本のはなしは、こちらでしたかと思います。
三島由紀夫と巌谷小波、そして鴎外。おまけに谷崎と太宰。でいいかしら?
巌谷小波は日本初のこどものための物語「こがね丸」を書いたひと。わたしが、生まれて初めてよんだ「文庫本」である。このせいもあってなのか、わたしは今でも犬が好き。犬の出てくるおはなしがとても好き。
しかしあれ、たしか、小波弱冠二十歳だか二十一だかの作品なのよね。早熟すぎるYO!w
6歳のときのことでした。
まあ正直、あまり漢字は読めませんでしてよ、ええw でもきっとがんばって読みました、面白かったから!
なので貼っておきます、鷗外が序を寄せている日本初のジュブナイル小説です。
こがね丸 巌谷小波
http://www.aozora.gr.jp/cards/000981/files/3646_12287.html
むかし或る深山の奥に、一匹の虎住みけり。幾星霜をや経たりけん、躯尋常の犢よりも大く、眼は百錬の鏡を欺き、鬚は一束の針に似て、一度吼ゆれば声山谷を轟かして、梢の鳥も落ちなんばかり。一山の豺狼麋鹿畏れ従はぬものとてなかりしかば、虎はますます猛威を逞うして、自ら金眸大王と名乗り、数多の獣類を眼下に見下して、一山万獣の君とはなりけり。
で、これが6歳だとすると(これをひとりで読む子だったから世の中のたいていの本について、とりあえず日本語で書かれてば読めるじゃん、ていうふうに育ったのだなあ、と今さらようにw で、これが読めた理由のひとつは、ラジオドラマに影響されて、ていうのもある一方で、うちでは百人一首とか坊主捲りをする習慣があったせいだっていうのは言っておくほうがイイかな、と)、
わたしは5歳でこちらを自ら欲しいとねだっているのでした(母のお友達のお家に遊びに行ったらこれがあったのね、それでこれ欲しいと叫びまくったおぼえがあるし、これは後々まで我が家で話題になる本だった)。
てことで、
こういうひとに育てあがりますw
ここに、妙にヨレヨレなことを書きこみそうになってあわてて消す。
わたしが語りたいのは、語りと語り部への愛だから。
おはなしには「構造」がある、と気づいたのは5歳のときだ。
「構造」という難しいことばは知らなかったけれど、それはたしかに「構造」としか呼べないしろものなのであった。
わたしが生まれて初めて親に買ってほしいとおねだりしたことを覚えている本は小学館から出ている『お話宝玉選』シリーズ(三冊組)で、これによって日本だけでなく世界中のおはなしを知ることができた結果、うえの事実に気づいてしまったのである。
ちなみに、絶版である。地団駄ふんで両の拳を振り回して復刊を望むと叫んでおく。
おかげでわたしはおはなしに「構造的美観」なぞというものを追い求めてしまいがちな人間に出来上がってしまったのだ。
あなオソロシヤ。
しかしながら、『新しい太陽の書』のセヴェリアンもいっているように、
「実際、世の中のすべてのよきものの中で、人類が自分のものだと主張できるのは物語と音楽だけである」
だけは、たとえ彼が史上最高にして最強かつ最凶(恐ろしいことに、狂ではない)の騙り部であろうとも、それはまごうことなく真実なのである。
それは、ひとのもちうるもっともよきもの、愛すべきものなのだ。
「白状するが、わたしは物語が大好きだ」
「物語は宇宙の計画のなかでは実際に小さなものであるが、われわれ自身のものをもっとも愛さずにいることは難しい――少なくとも、わたしにとっては難しいことなのである」
この世のすべての、おはなしを愛するひとに。
すでにジーン・ウルフ様は前にあげてるので割愛。
続いてたしか、7歳の誕生日がこれ、

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これ岩波の新しい版ですが、わたしはこれのガリマール社版(つまりフランス語)も持ってまして、ですね!!!
わたしが最初に覚えた出版社名は「ガリマール社」っすよ、マジで! 父がガリマールガリマール煩いんだもんwww
で、クリスマスプレゼントがこれだった、はず。

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あと、こういったものなんかも、幼稚園のころに、ね。

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わたしの父と母は、親としても夫婦としてもどうにもこうにもならないひとたちなんですが(社会人としてならまあそれなりに、だろうけど)、本のセンスだけは素晴らしくイイ!と手放しで褒めておきたいとおもいます、娘の贔屓目でなく!
なにしろ母は、わたしがおなかにいるときにエロくてグロくて凄まじく面白い「アラビアンナイト」読んじゃうひとですからw 妙な胎教になりすぎだろ、それ! て、いつも思うのよマジで。わたしがこういうひとになった一因はそのへんにあるだろ、てさ。
そいでもって、父は父で、渡辺一夫と加藤周一にフランス文学を習ったことをごくたまに思い出したように自慢するようなひとで、わたしはそれを知らないままに10代のころ、ラブレーやらエラスムスやら羊の歌をよんでたわけだけど、
そういうことを知ったのは30歳も過ぎてからで、せめて学生時代には知りたかったぜ、パパ―シャ! 早く教えてよ!! ておもったよ、うん。
まあでも、そんなもんっすよね?w
そんなふうにして父親のほうから西欧文学方面の岩波文庫とか分厚い専門書をたくさんたくさん譲り受けたいっぽうで(ギルガメシュに始まる叙事詩系、ウパニシャッドとかリグヴェーダとか、あとギリシャ北欧系神話本の類はひととおり揃ってた、なにしろシャクンタラー姫とかもあったのでなあ、あと騎士道物語系ね! それからシェイクスピアとか詩の本はけっこうあった。エリオットの荒地とか、もちろんマラルメとかもあった。なかったのは漢籍、南米系のマジックリアリスム本とか、だよね。たぶんマジックリアリスムとかは、もう父が文学青年であったことをやめて、司馬遼太郎くらいしか本を読まない時代に翻訳されたようなものだからだとおもう)、
母の方からは日本の古典と詩歌の本を与えられてきた(父のほうは西欧かぶれで日本文学オンチなのだ)。
わたしが詩をかかない少女だったくせになんのかんのと万葉集からよんでるのは、ママンが乙女ちっくなところのある詩歌好きだからであろうとおもう。母は基本的に万葉好みらしくて、蕪村とか大好きで諳んじるひとで、近代では藤村だの白秋だの佐藤春夫だの横瀬夜雨だの野口雨情だの西条八十だのといった名前をわたしや弟に教え込み、茨城の歌碑のあるようなところには連れまわしてくれたw
残念なことに、わたしはそういうものをみて、ジーンてくるような抒情的なお嬢さんに育ってないのだが(ていうか、わたしには抒情性というのが圧倒的にかけている!)、しかし、母のそういう教育は「57577駄文」をはきだすのに役立ってないわけではないので感謝している。
それから平家物語をちゃんと保元平治平家と、平家から始める「いきなり最終回!」じゃない読み方でよんだのは、母のおしこみだったりする。
あ、
それでね、はなしもどって、
どうして「構造」に目覚めちゃったのかは、やっぱり、あるていどまとまった量の「民話神話伝説」等を読んだからだとおもうの。もちろん、うえの本にもその手のこと(英雄神話や百合若大臣とイリアスについてとか)が書いてあったんだけど、それを読んでワカッタとかじゃなくて、自分で発見したんだよね、ほんとに。
それともうひとつ、
今日これを書いた目的のひとつ、なんだけど。
小学生高学年くらいならもう、大人向きの本で読んじゃったほうがいいかな、ていう気持ちもたくさんある(何度もいうけど、わたしは9歳でサルトルの『聖ジュネ』を読むこどもだった)。それにわたしが巌谷小波を読んだように、幼稚園生でもオトナ用の本のほうがイイって子もいるかもだし。
だから子供用に翻案されたバージョンじゃないものを、ていう選択肢もあってほしいな、と。
イリアスとかだって、岩波の少年文庫で読まなくてもいいって子供もきっと、それなりにいるだろう、と。
わたしは岩波少年文庫大好きで、大変お世話になりましたけどね!
ただ、子供に子供用の本を贈る、ていうのは、その子によるよ、ていうのだけはくりかえし強く言っておきたい、てこと。
わたしはほんとに、「読んだから書く」というタイプの、ものすごく正統派の書き手なので(じぶんで言うよwww)、でも、だって、わたしは本について本を書く、おはなしについておはなしをかく、ていうのがほんとにこういうものの「伝統」だと信じてるし、実際そういうものだろうという確信もある。
よって、そのなかにいたいから、書いているのだ。
で、
いまわたしが素直に「物語」篇をやらないで、プレゼントされた本与えられた本なんてものを書いているかというと、疲れてるせいももちろんあるし今日がクリスマスイブだってのもあるけど、それよりなによりそれこそが、とても「物語」っぽいから、ていう理由なんだけどね。
だったらもっと面白おかしく書けばいいのだろうなあとおもいながら、
それは小説でやればいいことなので、やらない。
いつか「家族もの」はガッツリ書いてやるぜ、ておもってるのさ、ふふふ☆
そんでもって、
オチはあれだよ、わたし、こういう環境にいたから、「明治大正のひとみたい」て自分より二十も三十も年上のひとからよく言われるんだよ!
でもって、「書いてるものも明治大正の翻訳ものみたい」とか、「十九世紀貴族作家みたい」って!!!
でも、
わたしはそういう古臭くて頑なでタカビーな自分が大好きですwww(てへぺろ☆)