46 たったひとりの運命のひとに救われるわけじゃない、というゲンジツ
ちょっと説明しすぎな記事タイトルですが。
http://novel18.syosetu.com/n1558bq/ (縦書きPDFにしたり文字の大きさを変えて読むことができます)
伴走メモ、いっちゃいましょう。
28が長すぎて、じぶんの小説の下手さ加減にうんざりしたw
ていうか、もう下手とかそういうレベルじゃないよwww
馬鹿なの、こんなにバカなの!?
あ
でも、
ここ、この小説で実はいちばん大事なとこなはずなんだけどさー
あー
そうそう、
これはきっと、書いておかなきゃ
じつを言うと、
ここがいちばん、当初の「予測」から外れたところなんだよね
こ のおはなしはだいたい英雄神話にそって進んでるので、そんなにこう、わたしという「作者」の読みを裏切っていかないんだけど(だって、もっとも強固な構造 をもった物語を下敷きにしてるから、ていうか裏切らなさすぎてけっこう後半蒼褪めてたw ヤバイ、すごく物語すぎてヤバいて!)、ここだけは、 あーーーーーってなった
あー、そっか、て
これは、第一部をかいていた時点では到底予測できないところで(黒髪君が「堕ちる」ことも、茶髪くんと別れ話になることも、あの当時からわたしはわかってたけど)、ココだけは、本当にここだけはワカラナカッタ
しかも、この夢うつつを書きはじめてからも、正直覚束ないところだった
だから結果的に長くなってしまった、ていうのもあるんだけど
ただ、そういう技術的な拙劣さは別にして
内容的には、
わたしは、コレでよかったとおもう
というか、
これが書けて、自分としては凄く成長できたとおもう、とじぶんで言えるていどに喜ばしいことだった
書かせてくれてありがとう、というか
こればかりは本当に、おはなしの連れ去っていってくれたところで出てきたもので、これが書けたらわたし、今後きっと大丈夫だな、みたいな
わたしはものすごく恋愛大好きな人間でして、なにしろ「SF帝国歴史ファンタジー領ロマンス特区在住」と自己紹介するくらい。
たぶん、この「おしこみ」はパパーシャとママンの読書によるもの(つまり我が家にあった蔵書ゆえ)なんだろうけど、というか、あれだ、うちの両親はともにそれぞれ違った意味合いでの「大正教養主義者」に育て上げられた、ていうところがあるんだろうな、と(母方の祖父の蔵書には厨川白村*1全集があった、ていうだけでもこう、なんか、オモロイw 観世流の謡を習い、渋沢栄一のことを調べ、エスペラント語も勉強していたらしい、というあたりもなんかこう、いかにも、ていう感じがしてだなw)。
とはいえしかし、祖父母も両親もともに恋愛結婚ではない、んですよね。
なんとなく、このあたりはいつか小説できっちり書くとオモシロそうなのでこれ以上は書きませんが。
「物語」というのは、それぞれの運命のひとがお互いの生命を救ったり奪ったり失わせたりするのが王道とおもうところがあって(ていうか、そうよね? 著名な恋愛物語はそういうふうにできているよね?)、でも、このはなしはたいそう堂々と英雄神話にのっとりながら、また王道ラヴストーリーでありながら、そこだけは、強力な構造自体を「外せた」というのはじぶんにとってとても悦ばしいことであった、というのは書いておきたいのでしたまる。
その前の訳もよいんだよ♡
— 磯崎愛@コラボ花うさぎ (@isozakiai) 2017年5月14日
「みなの衆、聞き給わずや、愛と死のこの美しき物語を」
佐藤輝夫『トリスタン・イズー物語』岩波文庫(昭和三十四年第五刷、第一版が昭和二十八年)
こういうお話しは古めかしいほうが好きなチュウニ病です。
(救われない話を置いておくw)
(これが最高に面白かったのでおすすめしておきます!)