お休みなのに寝ちゃってて作業がすすまないです><
なんでこんなに疲れてるんだろうねえ?
http://novel18.syosetu.com/n1558bq/ (縦書きPDFにしたり文字の大きさを変えて読むことができます)
それはさておき、伴走メモです。
比べること自体がおこがましいって言われたらそうなんだけど
でも
古典作家をちゃんとライヴァルだとおもっていたいのよ
そのくらい、やりたいんだよ
出来てなくてチョー苦しい・・・
(でも、よりによって小説の神様フローベールかよ!? て自分でも思いますけどw いやでも、巧いひとと比べないとこんなの意味ないのよしかし、これ、いつまで続くんだw
去年の12月のクリスマス(冬至)から、このリプライ続けてるのよ、このシリーズのメモのために
てことは、今日でやはり終わりにすべきだなw 夏至だからwww
ええと、
今日、ジオングの足が完成できたら完成したいんですけど
できるかどうかわからないwww
feebee16さんにジオングみたいじゃないって言っていただいて、じぶんで読み返したら、あ、ほんとだそれほどじゃない、ていう気もしたのですが
あのとき、入れられなかったネタがあって、それは本にしたときでもいいかなあ、とはおもってたんですが
できたら今日
ムリでも、7月入る前になんとかしたい、なああ
25日の締切があるので、むーーーーーーーって感じなのですが
そして、7月からの連載もまだ、算段がたたないw
わたし、たぶんすんごく頭悪いw
要領悪い><
でも、しょーがない
小説家は要領わるくて致命的ってことはないし(実務じゃ困るが、すらすらやれすぎてもいかんのだよw)、べつにそれはいい
実は、生島訳でしかよんだことがないのです。
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これも面白かった。小倉氏本は見つけ次第よむようにしているのですよ、ええ。
そうだ、
今日はカルヴィーノ様の『アメリカ講義』の再読を終えて、あーわたし、がんばってガンバッテここにあることを学んで実行しようと力を尽くしてきたんだなあ、ていうのはわかって、でも全然下手くそだけどねorz て感じで倒れふしてましたまる。
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大昔のメモをここにはる。
「軽さ、速さ、正確さ、視覚性、多様性、さいごに一貫性または堅固さ」
ちょっと戻ってきた(笑)。
げんじつ、じぶんの書くものがこれにそっているか謎だけど。
軽さと速さは、それがないともう、21世紀文学(その後の千年紀文学)として通用しないからなあ。
こ れがしょっぱなにくるのは、モデルニテ、ポストモダン、その後の行方を占ってしまっている。スローな方向にはいかないって、過去へは戻れないと、カル ヴィーノは考えていた。あれだけ温故知新なひとだからこそ、それは、痛いほど、本当に痛いほど感じていたと思う。中世騎士物語の水平と垂直方向の語りを、 取って返して丸めて縮め、なおも引き伸ばして立たせ、しっかりと歩ませたあの力は凄まじい。
古典や中世文学を読んでいれば、まあ、昔へは返れないとしか言えないかなと、じぶんでも思う。文体の速度というものの推進具合、加速度は、次は「声(音速)」を超えて、光速の世界、またはそれを超える何かを志向してる。
だ からというわけではないけれど(わたしには迅速さとか素早さとかは備わっていないように思うから)、線状性さえも、もしかすると放棄するくらいの筆力があ ればいいとは願う。詩の次元の手前で散文がどこまでそれを保てるかとなると、吐き気がしそうなほど際どいレベルなのだな。ジャン・ジュネがそれに似たこと をしていて、伝達ツールとして機能するかしないかというのは、「小説」の、なんだ、小説が小説であることの本当に最後の線かもしれないし。というか、で も、小説はそれさえも許容できるから、小説、なんだよなあ。凄いことだ。けっきょく、ここがイチバン自由だから、ここに来る。ここに、いる。
「意 識の流れ」は、言語の線状性への叛旗ではないかと思ったりしている(文学者がなんていってるかは知らない。わたし、ちゃんと文学勉強してないし。ただ、小 説を読んでるだけで)。きれぎれの思考、時間の経過、流れ、軌跡を放棄して、けれど、テクストがどこまでテクスト足りうるのかって、ん~、わからない。
どこで、通じなくなるのか。耐用性汎用性その他がなくなるのか。踏みとどまっているのか。
あとは、時間。時空の問題。
瞬間、回帰性、永続。無限有限。拡散収縮。反復、逸脱。壷中夢、胡蝶夢。
パ ヴィチの仕事は、ジュネが断続的テクストを縦横無尽に配置し、網を張り巡らして時間を操作したあのやり方の別ヴァーションで、ジーン・ウルフが完全記憶と いう特異な主人公を用いて読者を煙にまくやり方は古典(から現代までの)小説技法の集大成であり、ラファティの語りは大いなる「夢の時間」を生きたひとの 特権的なそれ。
2009年はこればかり考えていたけれど、出来るかどうかは神のみぞ知る世界的にわかんない。手捌きが見えたからといって、やれるとは違う。ただ、見えなければヤルのは困難で、だから読むしか、ない。書くしか、ない。
かんたんに。
重いものを軽く書いて本当の重みを出す超絶技巧。
インターネット世界の同時性にも負けない、否、超えるスピード。
情報の過不足のなさ、ある意味での節度。
テレビ、映画、漫画、ゲーム普及後の文字文学の使命。
たんじゅんなものは喜ばれない、当たり前に。もうすでにありとあらゆる文学があるのだから。
そして、それでなお、その全てを繋ぎとめてしかるべき「言いたいこと、言うべきこと」。
もう、引き返せないところへ来た。
あ、ちなみにジュネットも読み返してる。わりあい覚えてたなあ。 そして、いまのほうがよくわかるのでありがたいなあ、うん。
(でもって、『夢のように~』に関していえば、あ、いや、これはいいや。これは、またね)
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小説書くひとは、たぶん、読んだほうがいいよね?
ただ、プルースト読んでないとわかりづらいんじゃまいかとはおもうw
わたしが古典コテンうるさいのは、それが書くひと読むひとの共通言語共通財産だからで、古典を例にとればどうにかこうにか通じる、ていう「世界」がわたしの理想だから、なのかなあ。
小説を書くという行為は、言語と世界と「わたし」の関係とかをどうしても考えないではいられなくて、そんな難しいことどうするのさ!? て泣き叫びながらも(たまにほんとに泣いているw)、先人に頼ったりすがったり慰めてもらったりしながらどうにかこうにか生きてる、ていうのがわたしが古典を読む理由、かなあ? て思います、ええ。
まあガンバル。
わたしのところにおりてきてくれたおはなしは、わたしにしか書けないのでガンバル。