我ながら、いきなり妙に哲学的(!?)なとこ、きたね!w
ていうか
「どうして」ていう疑問がまた、こう、なんとも曖昧模糊としてるね
「小説」や「物語」を書きたいひと向けの本を並べてみたよ☆
「小説」や「物語」を書きたいひと向けの本を並べてみたよ☆ vol.2
じぶんてどうやって小説かいてるのかしら?
じぶんてどうやって小説よんでるのかしら?
じぶんてどうやって小説かいてるのかしら? vol.2
ていうことで、
べつにほんとは格別の、もっともらしい、ひとにどうしても説明しないといけないような「理由」なんてないのかもしれない
ただ、
書かないと、苦しいのだ
書かないと、なんだかほんとに生きてる感じがしない、みたいなのはある
というか
キモチガイイから書いてる
わたし、これ以上にキモチノイイことを知らない
苦しいこともたくさんあるのだけど
でも、
小説を書くのにイロイロ考えたりする時間、
脳のなかに、そういう場所があったんだーみたいな感じであれとそれが繋がる瞬間とかも、好き
そういうのもキモチガイイ
大変だったり辛かったりするんだけど(小説を書くというシゴトは楽なものではないよねw)、それでも、なんていうか、どうしようもなく嬉しかったり楽しかったり興奮したり出来る
どうしてかな?
ちっちゃなころから、「おはなし」が好きだった
やたら本を読む子だった
たぶん、「書く」ひとのほとんどは、そんなひと、なんだろうとおもうのだ
ほとんど「習慣」として「書く」、という身も蓋もない「事実」もあるにはある
日課になっているというか、食べたり眠ったりすることよりも上にくる欲求として
わたしは、しゃべるのが苦手だったりするので余計に
まわりのひとに、上手く言いたいことがツタワラナイ、というのがアル
オトナになって仕事をして、もしくは学校とかで何かを誰かに伝えなければならないといった「具体的な目標」をじぶんで認識できるとまあそれなりに、
否、時と場合によってはかなりイイ結果を出すことになった時点でも、
じぶんが何を感じているのか言いなさい的な設問は苦手
はてなハイクで、「短歌」というキーワードに57577の駄文を打ち込むときですら、いわゆるじぶんの「気持ち」というものをそこにこめられないことに気がつく程度には不得手です(まあでも、「相聞」「消息文」として書きこむことはあるけれどw 懲りずにね)
ひとりでいるのが好きだった、ていうか、今もかなり好き
きもちが楽
気楽、ていうのはこういうことを言う的に
ものすごく甘ったれだけど、きっと、ちっともさびしがりやではない
ひとりで、本を読んだり絵をかいたり絵を見たりお話しを書いたり、ていうのが好き
家庭でも学校でも、その他の場所でも
わたしはべつにそれほど誰かに仲間外れにされたりはしなかったはずだ(幼稚園生のときにいじめに遭って登園拒否った記憶はあるのだが)
べつに人の輪の中心にいたとかいうのではないのだろうけれど(いや、いたかもしれないな、うん、いたときもたくさんある、みっともないことに己が望んだのではなく)
でも、
どこにいても、じぶんの居場所がない感じがある、というか、あった
なんていうか、「疎外」されてる、みたいな(この言葉をおぼえたのは『聖ジュネ』だった気がする)
でも、
書かれた言葉、というのはなんとも不思議で
誰かが、ふとしたときに読んでくれたりするものなのだよね
時間とか距離とか、または立場とか役割とか「何か」を越えて
わたしは、「わたし」であることをはなれることもできる、そして同時に「わたし」そのものであることもできる、読み書きするときに
目の前にいるひとに対して誠実であること、自分に対してウソをつかないこと、そういうことをしても、しなくても、どちらでもイイ
誰かと何かが、いっしょにもなれてちがくもなれる、その「自由」がたっぷりと保障されている
だから、「読み書き」するのが好き
あと、
虚構、というのはとても「便利」、つまり「好都合」だというのもわたしはよく知っているらしい
わたしは、
「小説」でできること、というのもそれなりに見聞きしている
じぶんでやれることは少ないのだけれど(残念ながらな!!!)、小説そのものがどんなに面白いものなのかはきっと、とてもよく味わえるのだと自負(!)している
それから、
わたしの愛する作品とそれを書いたひとたちのそばにいきたい
少しでも、近づきたい、お傍に寄らせてほしい、真剣に!
あと
あと、あとは、そう、だね
まあ、今日のところはこのくらいでいいかな、と
なにもかも言う必要はないの、ほんとに
小説で書くよ、うん
(えっと、ほんとは今日ここに今後の小説スケジュールを書こうと思ったんだよ――>< でもうまく計画たてられなくて、書いたw 駄目じゃん・・・orz)