86 「欲望を断念し」ない!
37度に満たないくらいの熱があり、うつらうつらしている。
マフラーネタはすすんでる。いま、いちばんエロいところを書こうとしてる。
http://novel18.syosetu.com/n1558bq/ (縦書きPDFにしたり文字の大きさを変えて読むことができます)
『夢のように、おりてくるもの』 | CRUNCH MAGAZINE クランチマガジン - 書き手と読み手をつなぐSNS
(連載中です。こちらも文字の大きさ変えられます。コメントとかはこちらのほうがつけやすいかもです)
伴走メモにいく。
「「対話を終えて」より――
『死者と生者のラスト・サパー』という本がある。この本で初めて、聖書の逸話を離れ て「最後の晩餐」というものが何であるかが分かったような気がした。それをわたしは、自分に親しかったジャン=リュック・ナンシーの「パルタージュ(分 割=分有)」という概念に重ね合わせて読んだ。死者は自分の死を引き受けることなく去ってゆき、残された生者はその立ち去りを埋めることのできない喪失と して抱え込まざるをえない。けれども、その癒しがたい欠如が、あるいは絶対的な「分離」が、越えがたいことそのものの「分有」となって「共に生きる」を可 能にする稀有の瞬間がおとずれる。そのとき、人は生きる〈糧〉にふれている。それが「ラスト・サパー」なのだ、と。」
http://www.tufs.ac.jp/blog/ts/p/gsl/2014/02/post_234.html
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こういうことが小説でかけていればいいのだが・・・
わたしたちは欲望を断念し、それを年齢や休息にゆだねたり、見かけだけの栄光にも、地位にも、その退屈にも、名誉や役職にも、女にも金銭にも譲り渡す必要はない。たとえそれがどのようなものであれ、家や家族に、思想のシステムに、安逸に、何かの大義に、平和に譲り渡す必要はない。
— キニャール (@PQuignard_Bot) August 13, 2013
何度はれば気がすむんだ!? 的にはっておくw
いやもーさー、生きてるとほんと、めんどくさいっていうか大変なことばっかりなんだけど、それでも「欲望を断念し」ないよ!!!
ほんともー、ほんともーほんとにもーーーーーー><
ちかごろほんとにしみじみと悟ったことがあるんですが、
わたし、ほんとおおおおおおおに我が強いし、自己肯定感とかいうのがシッカリあるし、ていうか、自分大好きだしwww
(いや、その、マジレスすると嫌いなときもあるけどね、でも、だってこの世でわたししかわたしのことほんとに愛し抜いてあげられるひと、いないじゃん。そう思うと、ほんとにとってもかわいそうだから、じぶんくらいじぶんのこと愛してあげなきゃなって惻隠の情がわくのよw)
てことで、よくみんなが承認欲求とか叫ぶのがマジでわかんなくてw
ほんとに。
あとじぶんの好きなものがこの世でいちばん大事よ。それが法に触れたりなんだりしたら、そりゃちょっとは考えるけど(ちょっとか!?)、
その他のことは、なんていうか、だって、くりかえすけど、じぶんの愛するものが一番大事よ、その他のことは何もないよなあ、て。
だからひとのいうことなんて、ていうか世の中のその他大勢の有象無象なんて奴らどーでもいいだろーーーーて思って生きてて(じぶんの好きなひとは別、じぶんの興味関心のあるひと、尊敬するひとたちは別ね!)、
ヤバイやばい、それじゃ駄目じゃん、小説書きなんだから!(汗)ていまごろ焦ってるような気がするwww
まあでも、
ほんというと、
オレ様が愛してやるからみんな来い! くらいのこと思って小説かいてる気がする。
うん、
ちょっと恥ずかしいからオレ様とかいってるけど(いやさすがに照れるよ)、
でも、
わたしはわたしの愛する本とか絵とか、そういうのに「愛されてる」て思って生きてきたから、わたしもわたしのかく小説にそれがあるように、て願ってるんだよね。
恩返し、なんどもいうけど、あそこに繋がりたいから。
て、
あ、
ここで終わるとイイ話なのでwww
ちょっと不穏なこと書いとくと、
くりかえすけど、ひとがひとを愛し抜くこととか、あんまり信じてないんだろうなーていうのもないわけじゃない。
ちっちゃいころからひとの欲望に振り回されてきた、というかそれを振り切ってふりきって裏切ってきた、という自覚があるから。性的なことだけでなく、ひとの「期待」その他、いろいろと、ね。
モテるんだよ、わたしwww(いや、モテるというのはイイことじゃないんだ、ほんとに。場所によっては生きていきやすいこともあるのだが、「客体」でいるというのは非常にめんどっちいことなのでな)
「欲望されることを欲望する」、ていうのはある種の「型」として成立しまくってるライフスタイルなのでそれ自体を否定はしない。そうやってしか生きられない、ていうのは確実にアルので。
不運というのは世の中にある。不運は「悪」ではない。だから、それによって嘆くことはあっても、じぶんを貶める必要はない。
ただし、
何があろうと、わたしは自分自身の欲望を断念しない。
というふうにあらためて強くおもったので書いておこうかな、と。
たんに、絵を見て小説を書いていく、というだけのことなんだけど、ねw