がらくた銀河

磯崎愛のブログです。本館は小説サイト「唐草銀河」。

あいっていったいなにかしら

 TLで流れてきた。

 お世話する系、ていうのはあるんだろうなあ、て。世話女房って言葉が世の中にはあるくらいだから。

ゲームはしないけど、女性向けの男女恋愛物のR18のネット小説みると、この傾向はみられるので。

とはいえ、べつに男女の別というより、ある特定の距離にある二人の関係において「めんどうをみる、みられる」ていうのは、わたし、キライじゃないというか、わりと好きかもしれない(お察しのとおり、わたしはひとの面倒みるひとじゃないですけどねw)。

あれだよね、男性キャラの言葉だと「ほっとけない」!

ほっとけない、を聞くと、出たーーーーーーっておもうよねw いや、好きですが。好きです、くりかえしますが「ほっとけない」て凄くイイ口説き文句というか告白だとおもう。悪くないよね。

かわいそうたあほれたてことよ、だっけ? まさにアレだよ、あれ。

(個人的にはつきまとわれるのはうざったいのでほっとかれたほうがいいです、わたしさびしがり屋じゃないので。でもチョーゼツ甘ったれではあるので、じぶんでもその配分がむずかしいw OL時代、会社の先輩(素敵美人さん)に、磯崎さん、全然さびしがり屋じゃないくせにその甘ったれ度はどうなの? と叱られてキモチヨカッタので、たぶん、たまにツッコミ入れられると嬉しいんだとおもいます)

とかいう自分語りはおいてw

ラブストーリーだとお互いの傷や弱点その他を、相手の努力や美点や行動言葉その他の何かによって労わられたり慰められたり、相手の窮地を救ったりするってのがやっぱり快感ですからねええええ、ただ片方だけしか救われないと、または両方がラストで人間的に何か変化しないと、おはなしとしては失敗だよね、エンタメ系やビルドゥングス系のラブストーリーであるなら(現実はこう上手くは行きませんw)。

それが極端で恒常的な「設定」になると「共依存」みたいな感じになる。

でも、

依存とか偏愛とかって避けるひとがいるのはもちろんわかるけど、お互いがそれでよければ別に構わないんじゃない、とかおもう程度には人間なんてものはたいていヨワイ生き物さ、てふんぞりかえってるのがわたしですよ、正しさとか清潔さとかわたしの人生にはいらないし、じっさい役に立たないし、たいてい悪いことのほうがキモチイイし、醜悪でも快楽により近いほうのものが好きです。

わたくし磯崎愛の最愛の作家のひとり、というか生きているひとのなかではこのひとが一番。

 といって捨てられないんだよ。

 キニャールのこういうかっこつけなさ、おそろしく淫らで残酷で美しい文章を書きながらこう言ってのける身の蓋もないところが凄く好き。

 こういうの、心情的に理解できる、て言いたくなることない?

 こういうの、とかね!!!

あ、あと、

 キニャールは猫派。

重み、そう「重み」というののはなしは、ここでした。

 


「パスカル・キニャール—文学の東方(オリエント)」にいってきたよ♪ - がらくた銀河

 

それはともかく、

これ、犬はこういうことするなあ。

犬は、あたたかくて触ってるときもちがよくて優しいねえ。

 

とかいってると、また編集S氏に「磯崎さん、いきものでは犬しか愛してないんですか」とかいって呆れられるというか同情されるのでこのくらいにしておこう。(めだかも好きです、でも愛してはいない。二年くらいで死んじゃうので愛してるとツライ)

 

うえのツイート、これ、だったかな?(違ったら教えてくださいまし)

ヴュルテンベルクのサロン

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秘められた生 (フィクションの楽しみ)

秘められた生 (フィクションの楽しみ)

 

 

キニャールは「愛の作家」だなあ、と個人的にもおもってる。

愛の、てなんだって言われたら困るんだけど、でも、愛の。

 

いま、「恋愛」ってもう馬鹿にされて、というか古臭いものっておもわれてるんだろうなって悲しくなることがあるんだけど、

たしかに奢侈品みたいなもんだし、誰もが手に入るシロモノじゃないし、

基本「災厄」でしかないんだけど、

でも、

わたし、大好きだなああ。

 

なんてことを思いながらいつも小説かいてるのだまる。