がらくた銀河

磯崎愛のブログです。本館は小説サイト「唐草銀河」。

「パスカル・キニャール—文学の東方(オリエント)」にいってきたよ♪

さる11月16日(土)、17日(日)と国際シンポジウム「パスカル・キニャール―文学の東方(オリエント)」にお友だちと一緒にいってきました!

2日間最前列に陣取って、もうほんと、こころいくまで愉しんできたとおもいます!

http://www.mfj.gr.jp/agenda/_data/P_Quignard_20131116-17_programme.pdf

http://www.mfj.gr.jp/agenda/2013/11/16/index_ja.php

http://www.mfj.gr.jp/agenda/2013/11/17/index_ja.php

とりあえず、吐き出すだけでも、ていうかんじで。

レポートじゃなくて日記かきますってお約束してて(だってレポとか書くだけの能力無いし!)、でもじぶんの感じたことくらいは書いといたほうがいいと思いながら、それすらも言葉にならなくて、ずっとずっと、途方もなく「重いもの」を抱えて蹲ってるような気持ちでした。

そもそも当日とその後しばらくはほんとに背中に羽が生えたように舞い上がってて、地に足がつかない、ていうのかな、あーわたし、いま、ものすごくきもちいがいい、どうしようどうしようこわいくらいキモチガイイ、いやこわい、でもきもちがいい、生きててよかった、スゴイ、物凄い!! ていうふうに思ってて、そういう昂揚のただなかにいたことは間違いないのですが、でも、翌日からは寝込んでました、ははは。キニャールしょっく! とでもいうのか、うんうん。

2011年に「王女メディア」を観にいったとき(「読書の秋2011:王女メディア」に行ってきました!)

は、キニャール氏というひとがそこにいる、ていうのが正直、ヨクワカラナカッタ。舞台のうえで、横からみたときの姿勢とか、その、逆さにした扇のような首から肩のラインとか、頤のカタチとか、ひたすら輪郭線を追うことで一生懸命で、声の記憶はどうにかあるものの、言葉でとらえることの難しい存在だったような気がする。じぶんのコンディションというのも勿論あるんだろうけど。

もっとも、こんかいだって、言葉でいえる、ということではないのはいっしょで、

でも、

こんかいは、氏の肉体の線の記憶じゃなくて、ええと、うーん、と・・・そうだな、

ごしゃごしゃいってるけど、うーん、とね、

ぶっちゃけ、

とてもこわかった、んだな、ていうのはごまかさずに書いておきたい。

慌てて付けたすと、キニャール氏がとっつきにくくて怖いかただった、とかそういうことでは断じてナイ!

たいそうやわらかなまなざしを向けてくださったし、なんていっても、わたしたち3人、キニャール氏のほうから握手していただいたんですよ!!!(チョー自慢☆ ほんとだよ、ほんとなんですよ! ほんっとに氏のほうから手をさしのべてくださったの、シンポジウム終わった後に、サインのときにもしていただいたのに!)

でも、

そういうことではなくて、

先月の16日17日からずっと、日記かきますっていって書けなかった理由のひとつは、なにか、わたしのなかで、

畏怖すべき存在に出遭ったさいの、身を竦ませるような感覚、それにとらわれていてずっと長らく言葉が出てこなかった、ていうことは書いておかないと、な、と。

怖かったんだな、と気づいて、それを認めて後は少し、楽になった。

じぶんのすぐそばに、何か途方もなく、「重いもの」がある、ていう感じ。

凄まじい重量がそばにあることの慄き、人類の営みとか文字を記すことの意味とか時の降り積もる様とでもいうのか、ともかく、じぶんの想像を絶する「何か」を携えた肉体が動いていることが不思議でたまらないような感覚、ていうのか。

その「重み」というのに圧し潰されているような感覚に襲われていたんだな、てこと。

プログラムにあるように、氏が「文学という言葉について」を朗読してくださって、その素晴らしさはその作品を読んでるひとにはもう御想像のとおりのもので、

わたしには、氏の作品の言葉という言葉、イメージというイメージが、あの肉体から生み出された、ていうことそのものに、ひたすら圧倒されていたんだなあ、ていう感じ?

感じ? ていう、なんかもう頼りなくて申し訳ないんですが・・・

じぶんの感じ方ですらこんなふうに覚束ないのはどうなんだろうって悩む一方で、

でも、小説を読み書きしてきてよかった、ていう歓びは存分に享受してるのだよな(と、唐突にひとりごちる)。

サイン会のときに、「翻訳されたご本は全部よんでます!」てお伝えできたし。

キニャール氏のような「文人」を知ることができて、サイン頂戴して、さらに氏のほうから握手してもらって(嬉しいから何度でもくりかえすよ!)、小説読み書きしてきてよかった、ほんとうによかった、ていう気持ちは一生忘れない。

あと、

いっしょに行ってくれた瀧沢さん、そして高広さん、ふたりにも感謝を!

ああいう時間を共有できて、楽しいね凄いねよかったね、て見つめ合って言い合えることの喜び、ていうのをわたしは今まであんまり知らなくて(基本ヒッキーなんで 笑)、とても、とっても嬉しかったです。

あ、そうだ! これは書いておかなきゃなのは、瀧沢さんのおかげで、訳者の小川先生(とっても素敵な方でした☆ ファンです!)のサインも一緒にもらえました! ぐっじょぶ☆

それから、岡和田氏が司会をされた「パスカル・キニャールを読む日本の作家」の佐藤氏と小野氏のおはなしも、すごく興味深くて、とってもいい企画だったと感じました。

高橋啓氏の朗読も(あの「理性」ですよ!!)、溢れるほどの熱がこちらの胸に伝わってきて、そして御声がなんとも素敵で(!)、とても感動しました!

高橋氏の訳文の端正な美しさに魅了されてずっと読んできたので、おふたりが並んでらっしゃって手を結ばれる姿に、なんていうかなんていうか、うん、うんうんうん(なにをいいたいのだ、わたしは!? 笑)。

それからリサイタルもとてもよかったです!

パーセルの曲を聴くのは初めてで、クープランの「さまよえる影」は好きで聴いたこともあるんだけど、大好きな大好きな『アマリアの別荘』(号泣しながら読んだ!)がああいう形でピアノと朗読になった姿を堪能することができて、「音楽のひと、なんだよなあキニャール氏は」というなんでもない感慨を帰りにひとりでこっそり呟いたりして。

ひとつの作品がカタチを変えてじぶんのこころに届くことの不思議について考えました。

そんなこんなで(どんなだ?)

あのシンポジウムを企画運営された皆様、そしてあの場所にいらしたすべての方に、御礼を申し上げたいと思いながら帰ってまいりました。

生きててよかった、て本当に、心の底からそうおもったので、くりかえして書いておきます。

そのくらい、わたしにとっては大切な体験ができました。

どうもありがとうございます。 

最後にサインをおいときますねv 

宝物です☆