がらくた銀河

磯崎愛のブログです。本館は小説サイト「唐草銀河」。

ぴんく☆P!NK☆ピンク

今日ブクマやツイッターで着物の記事をいくつか見かけたので、

2012年4月のハイクをはる。

 
「色白は七難隠す」
ちっさいころからそればかり言われてきた
いやいいんだ、たしかにそれってけっこうジジツだから
どっこも褒められるとこないよりはましだしね
 
就職したのが呉服会社だったので展示会のたびにきものを着せられた 
着物は好きだからいいんだ、むしろ制服より似合うし
けど「お仕着せ」はイヤだった
しかもピンクを着せられるんだよ?
そしてたしかに似合うんだ
知ってるんだわたし
誰もがすんなり似合う色じゃないってことも
正確にいうと、ピンクといってもいろいろあって、わたしに似合わないピンクもあるにはある
きものというのはほとんどのところ顔映りが問題になる
カタチは同じなわけで、その同じ形を違うからだにどう合わせて着ることができるかがそのひとの「個性」なんだけど
そしてちょっと工夫すればわかるように、顔映りって黄味の強弱でほとんど決まる 顔の下に白いものもってくるだけで違くなる
まあそういうことを感じたうえでなお、じぶんにピンクが「映る」のはわかる
似合わないものを着せるわけがない、「売り物」なんですから
でも
でも
着せられてこなかった
家では
 
呉服業界には、女性の顧客年齢を示すのにどうしても外せない語がある
たぶん、ほかのファッション業界にはない
それが「嫁入用」というやつだ
結婚前と後では袖の長さが違う
同じ二十代であろうと「結婚」しているか否かで何かが明確に分けられる
商売として
要するに、ピンクというのはこれから結婚をさせたい、または家に迎えたい「娘」に着せるための色なのだ、「ひょうしょう」として 
 
ところが、
わたしの両親はふたりして娘にピンクを着せたがるひとたちではなかった
産着でさえ女の子なのにピンクを着せられていなかった(が、わたしの髪が生えなかったため男の子とばかり言われて気にした母が慌ててピンクを着せたそうだ だから写真はない エピソードだけ伝わっている)
つまり、「愛らしさ」等は求められたことがない
ふたりがわたしにのぞんだ色はじっさいのところ青と白、それか赤と黒だと思う またはせいぜい緑
清潔さとフォーマル、または中立公正
そんなところか
(ほかにもいろいろいえるけどさ)
 
とはいえお仕事ですからピンクきました
しかも桜の時季に
薄紅の濃淡をうえからしたまで
ときに補色をまじえ、または水色、紫、黒、いろいろ試しながら
それこそ髪飾りから鼻緒の色まで計算して
カシミアのストールまでピンク(さくらのじきはまだ意外に朝晩寒い)、
やるなら徹底してとことんやり尽くさないと気がすまないのだ、性格的に
 
会社の新年度最大のイベントが桜の時季の展示会だった
新作が揃う、全国からお客様が見える、入場者数も売り上げも最高
わたしはその受付を、新入社員のときからずっと続けてきた、
辞めるまで
 
その時季は早起きし着物姿で上野の桜を見てあるいた
お客様の前に出るために、大仕事の前に、
花の精気をその「色」で享け、全身にしみわたらせたかったのだとおもう
(染色みたいに、たぶん志村ふくみさんのエッセイの記憶のせいで)
 
そういえば、
祖母はわたしにピンクを着せた
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あの当時、大活躍してくれたもの
あらふぉーのいまもきてるけどw(こないだお見せいたしましたねえv)
 
いま思えば、
心理的に苦手な色をずいぶんがんばって着こなしたじぶんはとてもエラカッタし(いやだってわたしちょーすききらいはげしいひとなんだもん、そういうとこでは)
肌の衰えのない時分に堂々と着ておいてよかったのかもしれない
(わたしのお茶の先生(秋田美人☆)は喜寿を過ぎてもピンク、鴇色というよりピンク! をとても素敵にお召しですけどね!)  
また、
「娘らしい娘」の≪表象≫にながいあいだ囚われていたような気もする
 
「はかなくてすぎにしかたをかぞふれば花にものおもふ春ぞへにける」
式子内親王
 
なんとなしに、
桜の季節はわたしにものをおもわせる

 

「ああ、ずいぶんとまえにうささんとやくそくしたピンクのきもののはなしをしなくてはいけないのだった 
虫干し的にだしてみるか
いまならだせるきがする、ていうか加筆訂正して」

という前置きがあったのだけど、

この「約束」はいつのことだったのだろう?

 

母のおさがりの十日町紬。

絞りの羽織や道行は紬にあうので一枚もっとくと重宝しますよ☆