がらくた銀河

磯崎愛のブログです。本館は小説サイト「唐草銀河」。

小説の「世界観」とやらにリアリティをもたせるためにしてること

とうとう月に一度しかブログを更新しなくなった磯崎です、こんばんは。

 

ところで、先日「世界観をどうやって作ってるのですか?」というご質問をいただきました。

作っているという感覚はわたしにはなくて、後でまた言いますが、「その世界を言語化してる」ていう感覚は山ほどあるのです。

 

えっと、

その前に、以下ふたつの記事、そこに紹介した本をよんでもらったほうがいいです。

(いきなり話しを終わらせてますがwww でも、名だたる作家から教わるほうがいいと思うのね。わたし、何かを教えてもらうなら超一流がイイっておもうひとだから、わたしなんぞの言うことより、ていうのは言っておきたいのだよ、どうしても! 保身もあるけど、だって、ウンベルト・エーコ先生みたいな地球人類の優れた知性の持ち主に教わりたいでしょ???)

 

florentine.hatenablog.com

あとこれ

 

florentine.hatenablog.com

よし、言い訳したぞ!

 

自分のやってることの整理のために書きます(はあ、これでこころおきなくやれるぞ)。

 

ぶっちゃけ、くりかえすけど、

小説書きのいうところの「世界観」て、ただたんに「世界を観て言語化する力」だとおもうんです。

てことは、ほんと、

本を読めばいいんですよ!!!

 

 

①世界中、そしてこの国の神話伝説民話の類を読みまくる

②シンボルや表象についての本を読む

③美術史の本を読む(服飾史や建築史や音楽史など、衣食住、ひとに関わる文化史)

④モデルにする時代や場所があったらそこの土地時代に関する本(政治経済宗教法律等)を読みまくる

⑤モデルにする土地に行く、むずかしいなら美術展を見る

 

ほんとゴメン。

ほんとに本を読むしか言うことないんだよw

だって、何度も言うけど言語化するってことだから、

⑤を体験しても「書く」てのは文字情報なんだよ!!!!!

視覚や触覚や味覚や嗅覚や聴覚という情報を「言語化」するには、本を読むのが手っ取り早いんだよ!!!!!

 

言わずもがなですが、うん、そうなのさ。

体験しても言えないと、駄目なの。

その言い換えが「世界観」なんだとおもうのね。

てことで、

かんたんな例と説明をほんのちょびっと。

物量で攻めるものなので、そこが大事とおもいますです、はい。

 

①世界中、そしてこの国の神話伝説民話の類を読みまくる。

世界中です!!! 

もちろん中華とかヨーロッパとか限ってもいいんですが、ここの仕込みが多いとそれに準じてネタが増えるんだな。

ギルガメシュ叙事詩 (ちくま学芸文庫)

ギルガメシュ叙事詩 (ちくま学芸文庫)

 

 

水の神―ドゴン族の神話的世界

水の神―ドゴン族の神話的世界

 

 

マヤ神話 ポポル・ヴフ (中公文庫)

マヤ神話 ポポル・ヴフ (中公文庫)

 

 

何度でもいいますが、出来得るかぎり世界地図見て、ひとの住む土地すべて網羅したほうがいいです。

何故かというと、ファンタジーで国家や地方を考えるとき、それが土台にしやすいから。

あと、日本のなかでも北から南から、県ごとの民話とか読むと面白いのであわせて。

遠野物語―付・遠野物語拾遺 (角川ソフィア文庫)

遠野物語―付・遠野物語拾遺 (角川ソフィア文庫)

 

 

 

 

茨城の民 第1集 (日本の民話 新版 62)

茨城の民 第1集 (日本の民話 新版 62)

 

 

 

常陸国風土記 全訳注 (講談社学術文庫)

常陸国風土記 全訳注 (講談社学術文庫)

 

 

②シンボルや表象についての本を読む

 

シンボル形式の哲学〈1〉言語 (岩波文庫)

シンボル形式の哲学〈1〉言語 (岩波文庫)

 

 いきなりカッシーラーもってきたのはわたしの趣味なんでw

事典をただ捲ればいいとおもいます。

 

美術シンボル事典

美術シンボル事典

 

 

 

キリスト教美術シンボル事典

キリスト教美術シンボル事典

 

 

 

世界シンボル辞典

世界シンボル辞典

 

 テケトーに図書館で借りてきて、なんとなく意識するだけでよいとおもいます。

体系立てるのに、そっくりそれを真似てしまうと読者にネタ元を割ってしまい神秘性を失う、ていうのもある。

このさじ加減なんだろうとおもう。

 

③美術史の本を読む

ここまで読まなくともいいのかもですが、いちお。

西洋美術の歴史1 古代 - ギリシアとローマ、美の曙光

西洋美術の歴史1 古代 - ギリシアとローマ、美の曙光

 

 入門の本、数冊だけでも是非!

西洋美術史入門 (ちくまプリマー新書)

西洋美術史入門 (ちくまプリマー新書)

 

 何故かというと、「様式」の理解があると文化文明の説明描写がしやすいからです。ゴシックとかロココとかいう言葉を使わずともそれが表現できると、とたんに異世界に確かな手触りとでもいうものが得られます。世界を素描する力を自分のものにすることができるのです。

カラー版 西洋美術史

カラー版 西洋美術史

 

 服飾や建築あたりもこのへんがわからないと難しいんじゃないかなとおもうので、美術史自体はちゃらっとおさえておくと便利と繰り返しておきます。

 

④モデルにする時代や場所があったら、そこの土地時代に関する本(政治経済法律日記等)を読みまくる

たとえばわたしはルネサンス時代イタリアをよく使うのですがこういう感じ。

フィレンツェ (講談社学術文庫)

フィレンツェ (講談社学術文庫)

 

 概説本。

さらに当時の一次資料としての日記。

ランドゥッチの日記―ルネサンス一商人の覚え書

ランドゥッチの日記―ルネサンス一商人の覚え書

 

 

君主論 (岩波文庫)

君主論 (岩波文庫)

 

 

 

捨児たちのルネッサンス―15世紀イタリアの捨児養育院と都市・農村

捨児たちのルネッサンス―15世紀イタリアの捨児養育院と都市・農村

 

じっさいは一本の小説を書くのに3ケタの本を読みます。

短編でも少なくとも50冊くらいは読んでるとおもう。

ファンタジーだと科学との折り合いがありますが、医学とかそういうのも。

衣食住、ひとが関わるものすべて、戦争とか犯罪とかもそうでしょう。

 

 ⑤モデルにする土地に行く、むずかしいなら美術展を見る

言語化するのに、もともと言葉をあつかうのが得意なひとは行ってみてきたらそれですむかもしれない。なんとなく。

新しい世界に触れるってこと自体が、「世界の見方を刷新する」ことだから。

 

以上!!!

 

旅行したいね~~~~~(←オチはここだぞ☆)

『花酔い』を伽鹿舎さんのWEB文芸誌「片隅」に掲載していただきました!

今週のお題「いま学んでみたいこと」

 

ごぶさたしてます、こんにちは磯崎愛です。

あいかわらず足の包帯は外れないのに(痛いし 涙)勤めはフルタイムになったしで、まったくもうっていう日々を送ってますですよ、とほほ。

しかし、なんていうか、宣伝のときしかブログ書かないひとになってしまって、ほんとすみません(滝汗)。

いちおう、オリジナルの短編を書いてたりとうらぶトリビュートの長編の続き書いたりしてすごしてます。

 

さて、そんななか「片隅」さんというWEB文芸誌に拙作を掲載していただきました。

m.kaji-ka.jp

 

なにしろ縦書きがたいそう美しい!!!

伽鹿舎さん、いまの書き手が小説やエッセイ等を発表すると同時に、こういう試みもあります。

 

m.kaji-ka.jp

そこに書いてあるとおり、当時と同じ区切りで、坂口亭タイガースさんの挿画をつけての連載、下部にはもちろん、その日の大阪毎日新聞の記事の紹介があります。

これ、すごく面白かったです。

 

あとは、これ、ですよね!!!

 

WEB文芸誌のほうでは現在の書き手と画家のコラボレーションなどもありますので、そういうのがお好きな方は好きな連載がきっと見つかるものとおもいます。

あと、うえのツイッターにもあるように、

九州発! なんですよね。

わたくし昨今、刀剣乱舞というオンラインゲームにド嵌まりしてまして。

以前ご紹介してますが、またするねv 

m.kaji-ka.jp

このほかの記事もすごくよくて、

青木さんの連載チョー楽しみにしてます!!!

 

それから、ここを読んでくれてるはてなーのみなさんにはこちらを是非☆

m.kaji-ka.jp

 

ということで、まだまだ好きな連載等はたくさんあるのですが、

じぶんのを宣伝いたしますよ!!!

 

 

ということで、

m.kaji-ka.jp

m.kaji-ka.jp

 

ジャンルとしたら、和風SFファンタジー的なものかと思われますです。

ふだんこのブログを読んでくださってる方には、『夢のように、おりてくるもの』や『百年冷蔵庫』掲載の「あやとりゆめむすび」といった作品と、蜘蛛の糸のような頼りなさで繋がった〈視界(世界)〉です。というのもお伝えしておきます。

〈夢〉のおはなし、なので。

 

すでに発表した作品を、編集の加地さんのご指摘で色々と改めております。

加地さん、その節はお世話になりました。大変勉強になりました!

だいぶ読みやすくなってると自分でもおもうので、よろしければ☆

 

というわけで、ここでお題の「いま学んでみたいこと」です。

日本(美術)と西欧(美術)、そしてその他の土地のそれ、かな。

 

此処だけのことじゃなくて、もっとずっと広い世界のことを知りたい、みたいな。

それらがどう関わり合って、または無関係でどれほどの断絶があるのか、ていうことどもを理解したい。

 

先日メールのやりとりをさせてもらった方が、「SFは霧に橋を架けるようなもの」とおっしゃって、あーーーーーってなって、うん、なんだろう。

「繋がり」を求めて生きているところもあるんだけど、それはわたしにとってバルトルシャイティスのそれであり、ラファティのいうSF者の特徴であり、はたまた「恋しさ」であるのかもしれないけれど、思っている以上に「世界」がバラバラに散逸しているような感じもして、それらのひとつひとつを拾いあげるわけにはいかないのかもしれないのだけれど、わたしというひとは、どうしても遅れてくることしかできない「小説」というものを書くものであると思い定めているせいで、その業をもっと愉しむために学びたい、みたいなきもちがしている。

 

そんなこんなで、よろしければお付き合いくださいまし☆

 

叉似刃(CYBER)本丸琴弾之記六  「日本」をどう描くのか ※6/8追記あり

じぶんがいったい何処へ向かってるのかようやく少しは理解し始めてるような気がする近頃です、ホントか!?(たぶん)

そういえばわたし史学部とかじゃないんだよなあ、いや、じゃあ何なんだって言われるとこたえたくないのでアレですが。

 

舞台となる「日本」もそうだし、あと「キャラ」、歌仙さんというか元主の忠興さんマトメとかも書いたほうがいいんだけどまだ全然足らないので、て言いながら、ようやくこう、「心性史」みたいなアレだと何かしら掴めてきたような気がしなくもない、というところ。

なんかねー、「世界観」が掴めないと何も書けないんだよ、わたし。

ゲーム内世界観についてはわたし的に(あくまでわたし的に!w)「時間SF、タイムパトロール物」という区分でいいと思ってるんだけど(しかし、いまどき時間SFやらタイムパトロールものってどうするんだっていうところはまだ先で、そこはまあ、古臭くてもいいのかもしらんとか思いつつ、もちょっとしたら少しは新しめの何かは得ようとおもってますが)、それ以前のところがだね!!!

 

キャラを理解するっていう、そこが、ね。

それはもう、だって、その刀が生まれた時代とか使ったひとが生きてた場所とか、そういうのを知る以外ないじゃん? 台詞は限られてるし、装束も決まってるしさ。

そして、わたし知らないんだよ、ほんとにw

こないだハイクでぼやいたけど、戦国武将のあれこれって「実は江戸時代の創作です」みたいなオチが多くてもう、ほんと涙目です。そっかー、やっぱりサブカル強いよなあ、みたいな。あれだよね、「物語(おはなし)」最強だよね!!!

なので、

人口に膾炙した有名な逸話のほうを採るのもアリなんだろうと思いつつ。

「書く」側はそれがどういったものなのかは理解して判断してからとりたいじゃん?

 

ていうこととかを、いつも書いてる小説よりもずっと意識することになって、それはそれで刺激的です。面白いね。

 

それと、「日本」については、遊興とかいうものを中心に、

 

①「ハイアートと唐物(唐風・漢籍)、」

②「しつらいと庭(インテリアエクステリア)」

③「身体と心性」

 

とかについて考えてる。

いまさらっとあげただけで、それだけってことでもないのだが。

あとは、

本丸をメインに書くことはないんだろうけど(たぶん、それ需要ないだろうし)、

でも、くりかえすけど、わたしはトンデモファンタジーであろうと似非SFであろうと、とにもかくにも世界観とか舞台設定とかができてないと書けないのだよ、ほんとに。

それに、わたしが書くんだったらそりゃ、日本のことを日本から見てだけ書くは有り得ないのでこういうあたりを、だね(だいたい日本という国土はもう無いとおもってるのね、そのころは)。

よって、こういうのとかを参考にするのがこう、自分らしいかなあと。

朝日の中の黒い鳥 (講談社学術文庫)

朝日の中の黒い鳥 (講談社学術文庫)

 

あとさ、

わたしの世代ですら既にもう、なんだか「日本」てよくわけがわからないというか、いわゆるオリエンタリズムやらエキゾチシズムやらをなくしては理解することが不可能だよなあと、えーと、坂口安吾じゃないですが。

 

一 「日本的」ということ

 僕は日本の古代文化について殆んど知識を持っていない。ブルーノ・タウトが絶讃する桂離宮も見たことがなく、玉泉も大雅堂も竹田ちくでんも鉄斎も知らないのである。いわんや、秦蔵六はたぞうろくだの竹源斎師など名前すら聞いたことがなく、第一、めったに旅行することがないので、祖国のあの町この村も、風俗も、山河も知らないのだ。タウトによれば日本に於ける最も俗悪な都市だという新潟市に僕は生れ、彼のさげすみ嫌うところの上野から銀座への街、ネオン・サインを僕は愛す。茶の湯の方式など全然知らない代りには、みだりに酔いれることをのみ知り、孤独の家居にいて、床の間などというものに一顧を与えたこともない。

 

坂口安吾 日本文化私観

 

まあしかし、

そうも言ってられないので。

言ってられないでしょ? こういう時代ならなおさら。

三島由紀夫が抱えていた問題と勝手におもってるそれを、ここさいきん頑張って考えるようにしている。

ずっと考えてたんだけど手立てがわからなかったのだけどおかげさまで少し勘所が分かってきた気がするので。

てことで、こんなのも。

 

世阿弥が確立した能の芸術性
—身体運用における弓術との比較から—

五十嶋信江

http://kirara.cyber.kyoto-art.ac.jp/digital_kirara/graduation_works/detail.php?act=dtl&year=2010&cid=551&ctl_id=80&cate_id=19

 

 

矢取りが武人のそれなんだよねえ、青銅器やら鉄器は後でくる。鉄は安定した、ふんだんにある元素だそうだけど。武人はまずはじめに弓矢取りなのだ。これは大事だとおもってる。残念ながら、わたしは弓を引いたことがないのだけど。

 

あ、はなしずれて、弓矢じゃないけど、投石について!

 

石合戦 - Wikipedia

 

また投石技術でこの技術に熟達した者を、印地打ち(印地撃ち)、印地使い(印地遣い)等とも呼んだ。印地の使い手を印地と呼んだり、技術や行為を印地打ちと呼ぶこともある。印字因地伊牟地とも書かれる。

近年の研究によって、戦場では、弓矢鉄砲に次ぐ兵器として、盛んに使われたとされている。近代では、石の代わりに火薬や油壺を投げたりもされたらしい

印地 - Wikipedia

 

 

投石ってそういえば、みたいな!

そうだよね、石投げるよね。いやー、なんか凄く当たり前なんだけど興を引いたのでのせておくねw

 

さて、はなし戻してお能だよ。

 

千年の日本語を読む【言の葉庵】能文社: 名言名句 第二十四回 花鏡 せぬ隙が、面白き

 

風姿花伝・花鏡 (タチバナ教養文庫)

風姿花伝・花鏡 (タチバナ教養文庫)

 

 小西甚一

もちょっとほんとに勉強しないといかんよ、わたし。マジで。

 

 何度も言うようだけど、わたしのお能受容は三島とか谷崎もあるのだけどホント正直いうと、誰よりも何よりも祖父とクローデルなのだ!

あ、祖父は、これね。

母方の祖父の謡本が実家に転がってたのでなんか愛着があるのさ。

お能はどうにか両手くらいしか拝見したことがないけれど、装束は大好きで展覧会にいくしカタログ等買っちゃうくらい好き。

あ、これ未読だけどすごく面白そうなので。

渡邊守章評論集 越境する伝統

渡邊守章評論集 越境する伝統

 

 キンドルもあるのではっとくね。

渡邊守章評論集 越境する伝統
 

 クローデルはジュネも愛した作家、とても大事。

すごく大事。

ci.nii.ac.jp

 

あと、こんなのとかも。

 

クーデンホーフ=カレルギー光子Mitsuko Coudenhove-Kalergi, 1874年7月24日 - 1941年8月27日)、旧名:青山 みつ(あおやま みつ)は、オーストリア=ハンガリー帝国の貴族ハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギー伯爵の妻で、パン・ヨーロッパ運動によりEUの礎を築いたリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵の母。そのため「パン・ヨーロッパの母」と言われ、現代においては「EECの母」と言われる[1]

日本人でただ1人、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と会話した人物である。

 

クーデンホーフ光子 - Wikipedia

 

 

拙作『歓びの野は死の色す』(http://novel18.syosetu.com/n5403bl/)のカレルジ家はもちろん光子夫人のカレルギー家を意識してる。

 

国際汎ヨーロッパ連合 - Wikipedia

 

 

余は余が若き日より全心をもって敬愛してやまざり
し日本に大いなる運命の待ち設けたるをふかく信ず
るものなり。宇宙はこの国に大いなる希望を寄せた
り。廣大なる亜細亜の戸口に立ちて、征服者にあら
ずしてその光明たるべき使命を帯たるは実にこの国
なり。
ブラングにて
一九五一年八月一日
ポール・クローデル

 

http://www.kansai-u.ac.jp/nenshi/issue/pdf/21-1.pdf

 

 

ジュネの名前も出したとおり、いくつかの、「越境」する本丸は考えている。

とはいえ書かない可能性もとても高い。

凄く好きな書き手のかたがすでにいらっしゃるので。

供給されてると書くためのモチベーションはあがらない。

ただ、もしかして、「書いたら」お友だちになれるのかもしれない、というシタゴコロがあって、でも、みっともない作品だと恥ずかしいし申し訳ないしなあとかウジウジしてたりするのでホントわたしいつも「受け」子ちゃんでゴメンナサイ(恋文みたいなものだから出来が悪いの許せない。ていうかたぶん、オリジナルであろうともわたし基本的に書くって恋文だなあ、ははははは)。好きなひとに好きです付き合ってくださいって言えないしなあ、ときどき自分が本気でうっとおしくなるのだけど、これもわたし(涙目)。

 

※6/8追記

 

 

イストワールからディスクール

 

はじめに 平安中期から江戸中期にかけて書き継がれた歴史物語に該当する作品として「常に挙げら れる」のは、『栄花物語』『大鏡』『今鏡』『水鏡』『増鏡』『秋津島物語』~

http://subsite.icu.ac.jp/iacs/journal_page/PDF/ACS38PDF/ACS38_13Ono.pdf

 

これ、すっごく面白かった!

今鏡ってメタフィクションなんだね、うあー☆

けっきょく仮名で書かれてる時点でこう、うん。ていうか、そうなんだよねえ、「正史」の問題。

いくつか調べた。

 

からの文読む人の語りしは、三千代みちよ経たる人もありけり。百年ももとせを七かへり過ぐせるもありければこの世にも、かかる人のおはするかなと、この友たちの中に云ふめれば、「祖父おほぢは無下に賎しきものに侍りき。きさいの宮になん仕へまつり侍りける。名は世継よつぎと申しき。おのづからも聞かせ給ふらん。口に任せて申しける物語、留まりて侍るめり。親に侍りしは、なま学生にて大学に侍りき。この女をも若くては、宮仕へなどせさせ侍りて、からの歌、大和の歌などよく作り読み給ひしが、こしの国のつかさにおはせし御娘に、式部の君と申しし人の、上東門院の后の宮とまうしし時、御母の鷹司たかつかさ殿にさぶらひ給ひし局に、あやめと申してまうで侍りしを、五月にまれたるかと問ひ給ひしかば、『五日になん生まれ侍りける。母の志賀の方に罷りけるに、船にて生まれ侍りけると申すに、さては五月五日、船の内浪のうへにこそあなれ』。『むまの時にや生まれたる』。と侍りしかば、『しかほどに侍りける』とぞ親は申し侍りし。など申せば、百度ももたび練りたる赤銅あかがねななりとて、いにしへを鏡、今をかがみるなど云ふ事にてあるに、古も余りなり。今鏡とや云はまし。まだおさおさしげなるほどよりも、年も積もらず見目もささやかなるに、小鏡や付けまし」など語れば、世に人の身けうずる事、語り出だされたる人の、むまごにこそおはすなれ。いとあはれに、恥づかしくこそ侍れ。

 

「今鏡」序(その4) : Santa Lab's Blog

 

 ほー。

 

平岡武夫「百錬鏡ー白氏文集札記ー」(『入矢教授・小川教授退休記念中国文学語学論集』、七四・一○)は、新楽府「百錬鏡」についての詳しい解説。白居易はこの鏡の神秘と貴重さをまざまざと思い起こさせる、我々はこの鏡の唐代における重さを感じとらねばならないという。
  平岡武夫「白居易の新楽府について」(日本大学中国文学研究会「漢学研究」一一・一二、七五・一)は、まず当時の官僚とは「天下的世界観」の体現者であ り、「天意」に基づく調和を「天下」に実現する術として「新楽府」も作られたのだと説明。ついで、「百錬鏡」を例として、これが天子は人を鏡にし、世界の 安危を映して、天下の調和に努めねばならないことを詠じたものだと述べ、そして内容の正統性を強調して、「百錬鏡」も、五月五日に揚子江で鋳造すること も、いずれも伝統に即していて、当時は誰もがすぐに納得したことなのだという。

 

 

近藤春雄『白氏文集と国文学 新楽府・秦中吟の研究』(明治書院、九○・一一)については、『日本における白居易の研究』七後編、新間一美「日本文学篇」を見よ。
  黄名時「唐代の天子鏡ーその盛行年代を中心としてー」(汲古書院『竹田晃先生退官記念東アジア文化論叢』、九一・六)は、白居易の新楽府「百錬鏡」の中 で、「背に九五の飛天の龍有り、人々呼びて天子鏡と為す」と詠じている飛龍の鏡がどのようなものだったのか、この鏡の成立した時期ならびに盛行した年代を 考察し、あわせてその性格について考えることを目的とするもの。その考察を通じて、白居易の「百錬鏡」の主題への理解を深める見解を提供している。筆者に よれば、飛龍鏡の出現時期は、上限は玄宗の開元初期あたりであり、玄宗の天宝年間に相当流行し、玄宗没後急速に衰退したという。すなわち、飛龍鏡とは玄宗 の治世を象徴するものである。「したがって、天子鏡として飛龍鏡を賛美したかに見えた「百錬鏡」の詩は、はからずも玄宗皇帝への痛烈な鑑戒に転じたのであ る。飛龍鏡に象徴される豪奢絢爛を好み、政治を怠って唐の運命を変えてしまった皇帝に対する詩人の諷意がここには込められている」という。

 

http://chinese.art.coocan.jp/baifengyushi.html

 

百錬抄』(ひゃくれんしょう)は、公家の日記などの諸記録を抜粋・編集した歴史書鎌倉時代後期の13世紀末頃に成立したとみられる。編著者は不詳。百練抄とも書く。書名はの詩人白居易の「百練鏡」に由来すると考えられ、当初は「練」の字が用いられていたが、江戸時代以後に「錬」の字が用いられるようになった。

17巻よりなるが完本ではなく、巻一から巻三までが欠けている。安和元年(968年)から正元元年12月(1260年1月)までは天皇紀の形をとる漢文編年体で記されている。

著者は不詳だが、勧修寺流吉田経房の『吉記』をはじめ同流の出身者の日記が多く引用されていることから、勧修寺流関係者説が有力と考えられている。時間的には後深草天皇が譲位する天元元年12月で完結するが、その後深草は本文中で「新院」と呼ばれていることから、原本が完成したのは次の亀山天皇の在位中だったことが分かる。その後、修正が加えられて遅くても金沢文庫本が作成される前には完成していたと推定されている。

巻三までの内容は不明、巻四の冷泉院から巻七途中の近衛院までは信西の『本朝世紀』の抄出だが、同書自体に散逸が多いため貴重である。その後は同じく巻七途中の二条院の部分までは現存しない平親範の日記が用いられていたと考えられ、以後は吉田経房とその子孫の資経経俊らの日記から引用されたとみられている。巻八の高倉院から巻十五後嵯峨院までは九条廃帝を除いて1代1巻で構成され、最後の2巻を後深草院にあてているる。

京都中心の記録で、武家方の『吾妻鏡』とは対照的である。今日伝わるものとしては、塙保己一紅葉山文庫本・学問所古本などをもって校訂を加え享和2年(1803年)に出版した刊本をはじめ、写本としては嘉元2年(1304年)に金沢貞顕吉田定房の本をもって校訂した金沢文庫本系のものがある。

 

百錬抄 - Wikipedia

 

 

www.moaart.or.jp

 

ネタにいたしますですよ☆

枕草子』における「唐鏡」考

http://www.initiative.soken.ac.jp/journal_bunka/100318_zhang/zhang.pdf

 

 

上村松園〈焔〉と藤の花、そして九条武子夫人など

 

usaurara.hatenablog.com

 

手紙 / 花のうえにも ~藤 - 片鱗カフェ

お琴は好きだったなあ。六段ももう弾けない。わたしにとっては「宇津保物語」の楽器でもある。藤はエロくて大好きですよ。藤娘も好きだけど、じぶんの小説だと藤はすべて美貌の男性に添えている花。

2015/04/28 20:44

b.hatena.ne.jp

 

藤の花について、

じぶんにちょくせつ関わりのある話しをするとなると、これになる。

 

上村松園の〈焔〉。

ある男性に、この絵を見るとわたしを思い出すと言われたことがある。

 

謡曲「葵の上」に想を得て源氏物語に登場する六条御息所の生霊を描く。美人画作家といわれる松園の作品の中では異色の主題。髪の端を噛んで振り返る青い顔 には嫉妬に翻弄される姿が現われ,白地の着物に描かれた清楚な藤の花にからむ大きな蜘蛛の巣が,執拗な怨念を不気味に暗示させる。

東京国立博物館

拡大図

http://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=dtl_img&size=L&colid=A11098&t

 

こういう場合、この男性はわたしに熱烈に懸想するなり已む無く別れた恋人だったりといった何かがないとホント面白くないのですが、ずえんずえんそんなことのないひとで、ほんとツマランw(←美術品やら花やらに譬えられてもそういう関係じゃないとオモシロくないです、ぷんすか! なのでネタにしないでさっさか出すのに躊躇いがない)

とはいえ某広告代理店の美術展担当者でらっしゃるので、きっと何かが溢れ出ているんだろうとはおもってるんですが。

 

ていうか、

マジレスすると、

 

こんな凄艶な美女ならわたし、こんなどうしようもない人生送ってないし!

ほんともー、わたしがこんなひとだったらどれほど艶っぽい、凄味のある小説が書けるでしょうに!!! 

 

ていうふうに思いながら生きてますwww

 

ただし、

源氏物語で誰とお付き合いしたいかというと六条御息所かなあっておもってて、

しかも、男友達にまで源氏物語中の人物で誰に似てるかとたずねると「君はほんとに光源氏だよね」て言われてるので、

なんだろう、理想の女性でいうとこんな感じのひとが大好きすぎてツラい、ておもうので。

たぶん、そういうわたしの切ない欲望が反映されてるのだろうなあ。

 

それから、もうちょっと現実的なことをいうと、

その絵の小袖、蜘蛛の糸と白地のではなく、緑色という西欧では嫉妬の色とされる着物とよく似ている訪問着はもっている。

白地の、蜘蛛の巣と藤の花のそれはもっと背が高くて、しゅっとした美女じゃないと着こなせないとおもうけどね。身長も大事、色合いや柄行だけでなく。

 

もちろん、それを着た姿をお見せしたことはない。

でも、自分がそうだから言うのだけれども、このひとにこういう服とか格好とかってきっと似合うだろうな、みたいなのは常に考えちゃう質なので、そういうことかな、と。

じぶんの頭のなかに、好きな絵の着こなしのストックは当然はいってる。まして、こういう名画ならなおのこと。

 

ひとが、ひとに与える印象、というのは意外にそんなところにあるのではないか、と思った次第。

 

もっと知りたい上村松園―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

もっと知りたい上村松園―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

 

 

上村松園

上村松園

 

 

松園というと、九条武子という美貌のひとの名前を出さないといけないと思い定めてしまうくらい、好き。

 

 

武子夫人

 しかし、流行のさきがけとなろうとするには、ひまりお金も要るわけです。それに美しい人でないといけない。美しい人だと、どんな風をしてもよく似合うのはそこだろうとも思います。
 最近で日本のあるひと頃の流行の魁をなした人として、私は九条武子夫人を思い出します。
 武子さんは生前自分で着物の柄などに就いて、呉服屋にこんな風なものあんな柄のものと頻りに註文していられました。この間内から大倉男爵や横山大観さん などの歓送迎会などの席上で、京都でも一粒選りの美人を随分見る機会がありましたが、目が美しいとか生え際がいいとか、口許が可愛いとか、兎に角部分的に 綺麗な人はかなり沢山ありました。けれども何も彼も揃って綺麗な人というと、なかなかいないものだと思いました。第一、あの社会の人だと、何処となく気品 に乏しいので、これ一つでもすでに欠点になります。そこに行くと武子さんくらいの人は、よっぽど珍しいと私は思ったことでした。

 

上村松園 好きな髷のことなど

 

 

余技といえば、九条武子夫人を憶い出します。
 九条武子夫人は、松契という画号で、私の家にも訪ねて来られ、私もお伺いして絵の稽古をしていられました。
 武子さんの、あの上品な気品の高い姿や顔形は、日本的な女らしさとでもいうような美の極致だと思います。
 あんな綺麗な方はめったにないと思います。綺麗な人は得なもので、どんな髷に結っても、どのような衣裳をつけられても、皆が皆よう似合うのです。

 

上村松園 無題抄

 

 

上村松園全随筆集 青眉抄・青眉抄その後

上村松園全随筆集 青眉抄・青眉抄その後

 

 

九条武子をかいた素描が美しすぎてうつくしすぎて、その場を離れることができなかったことがある。もーね、もーねもーね!!! タマラン、たまらんよ、ほんとに。

 

textview.jp

 

美人でお姫様でお歌がよめてって、すごいなあ。

むかしはこういうひとがいたのよねえ(嘆息)。

 

歓びの野をつづれ織る11 騎士と剣

歓びの野は死の色す https://novel18.syosetu.com/n5403bl/

今日は、ルネの妻であったひとが刺繍していた武勲詩の元ネタのはなしをちょぴっと


ローランの歌 - Wikipedia

 

フランス最古の叙事詩
シャルルマーニュのこの伝説は、ことにロンスボーの大敗におけるロランの英雄的な死とともに語り継がれています。
角笛と剣のガジェットとしての扱いがとてもエロい!
剣と騎士の関係のエロティックさっていうのは枚挙に暇がないものですが(あと馬ね!)、
このデュランダルとロランの関係はチョット常軌を逸してる感があるくらいえろえろなので、そこもけっこうおすすめ☆

(ていうか、ガストン・パリスとジョゼフ・ベディエの日本語WIKIないのか、えええ?)

 

 

ガストン=ブリュノ=ポーラン・パリ(Gaston-Bruno-Paulin Paris, 1839年8月9日 - 1903年3月5日)は、フランス文献学者言語学者。主にフランス中世文学の研究を行った。

 マルヌ県のアヴネ・ヴァル・ドールに生まれた。父のポーラン・パリも学者であった。コレージュ卒業後、ドイツボン大学ゲッティンゲン大学に留学した。ボン大学ではドイツの高名なロマンス語学者であるフリードリヒ・ディーツドイツ語版に学んだ。1859年に帰国し、1862年フランス国立古文書学校を卒業した。1865年にシャルルマーニュ叙事詩の研究[1]文学博士の学位を得た。

ガストン・パリ - Wikipedia

 

(あ、あった。できたんだね!)

でもベディエはなかった!!!

 

ベディエ【Charles‐Marie‐Joseph Bédier】

1864‐1938
フランスの批評家,中世学者。コレージュ・ド・フランス教授(1903‐36)。厳しい文献学をもととして現在の中世文学研究の基礎を築いた。とくに武勲詩の研究で,民間伝承の集成されたものとして武勲詩をみる説に対して,巡礼の巡る聖地の顕彰のために作られたものとする説をたてたことは名高い。また20世紀前半に盛んであった文学史研究を代表する一人でもある。

ベディエ(ベディエ)とは - コトバンク

 

 本は、岩波とちくまで出てる。
うちにこの手のモノが転がっていたので、わたしが騎士大好きになるわけですなw

ロランの歌 (岩波文庫 赤 501-1)

ロランの歌 (岩波文庫 赤 501-1)

 

 うちにあったのはこれじゃなくてもっと分厚い本だった気がするけど、これはっておくね。

中世文学集〈2〉ローランの歌;狐物語 (ちくま文庫)

中世文学集〈2〉ローランの歌;狐物語 (ちくま文庫)

 

 

あと、手に取りやすいのはこのへんか。

シャルルマーニュ伝説 中世の騎士ロマンス (講談社学術文庫)

シャルルマーニュ伝説 中世の騎士ロマンス (講談社学術文庫)

 

 それから、これ、これですよ!!!

信仰と愛と    フランス中世文学集 1

信仰と愛と フランス中世文学集 1

 

白水社からこれ出たときはほんと嬉しかったなあああ。

 

 

 

 (ちなみに脇役であるオリヴィエと主役ロランの関係もなんだけど、剣のデュランダルのほうがマジあやしい。エルリック・サーガストームブリンガーよりもこっちのほうが元ネタらしく原初的で、わたしは好きです) 

メルニボネの皇子―永遠の戦士エルリック〈1〉 (ハヤカワ文庫SF)

メルニボネの皇子―永遠の戦士エルリック〈1〉 (ハヤカワ文庫SF)

 

 (この表紙も好きだけど、

天野さんのなんだよねええ、イメージ的にはもう、わたしのなかで、こういうのって初めて見たのがってのあるでしょ?)

 

by florentine(磯崎愛) 2012/12/29 22:58:57

 

剣て、ほら、どうやっても男性器の象徴だったりするのでねえええ。

その名前をやたら連呼したりしてるとあやしいなあっておもいますですよ、はいw

 

いや、基本的に刀剣といったものは大好きですよ、ふふふ☆(←いやらしく笑ってみせる、もと剣道部主将、これでもねw)