読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

がらくた銀河

磯崎愛のブログです。本館は小説サイト「唐草銀河」。

78 「重み」、「重覚」ということについてなど

今週のお題「卒業」

うささんのとこに、そういえば茶髪くんの絵があったなあ、と。 しかも、なんとなく今日の記事内容的にも、よさげなものが。

 

鳩 - 花うさぎ無計画発電所

 

あ、そうだ。

マフラーネタは4月10日までに終わらせればいいという気持ちになってます。

去年、そうやって終わりになったはずなのでw(ていうかその後も補遺とか書いて、いまも小咄かいて、いつまで続くのかしらって感じですが。卒業できてないじゃん、みたいなw)

夢のように、おりてくるもの

http://novel18.syosetu.com/n1558bq/ (縦書きPDFにしたり文字の大きさを変えて読むことができます

そんなこんなで伴走メモです。

ここへ、繋げよう。たぶん、そのほうがいい。

T氏から頂戴した同人誌をようやく、読んだ。
体調が万全のときに読みたかったのだけどそうもいかず、少なくとも今日は休みなので。

これを、わざわざ送ってきてくださった「理由」がわかった。
ほんとうに本当に素晴らしいテクストだからここに一部分だけでも書きうつすといいのだろうけどなんとなしに引用は憚られるので(著作権的に、というのでなく心理的に)、関連すると思われるじぶんの文章を引く。
この記事を、きっと読んでくださったんだと思う(ご笑覧くださいと恥ずかしげもなくはったのだよ、わたしw)。

「畏怖すべき存在に出遭ったさいの、身を竦ませるような感覚、それにとらわれていてずっと長らく言葉が出てこなかった、ていうことは書いておかないと、な、と。
怖かったんだな、と気づいて、それを認めて後は少し、楽になった。
じぶんのすぐそばに、何か途方もなく、「重いもの」がある、ていう感じ。
凄まじい重量がそばにあることの慄き、人類の営みとか文字を記すことの意味とか時の降り積もる様とでもいうのか、ともかく、じぶんの想像を絶する「何か」を携えた肉体が動いていることが不思議でたまらないような感覚、ていうのか。
その「重み」というのに圧し潰されているような感覚に襲われていたんだな、てこと。」http://florentine.hatenablog.com/entry/2013/12/07/215041

ひとことだけ、
聴覚視覚といったものについだ六番目の感覚として、「重覚」という言葉をつづってらっしゃる。
「重み」「重さ」ということについて。

「重み」ということについて延々と考えている。
http://florentine.hatenablog.com/entry/20110403/1301843628
(て、これ今投げたら、西崎さんにふぁヴぉされたよ、おおっ)

「夢のように、おりてくるもの」もタイトル落ちだけど、そもそものところ、「重覚」の話しだよなあ、と。
ちなみに、細々と、シモーヌ・ヴェイユの「重力と恩寵」(抄訳、文庫のほうね)も読んでいる(ていうのはもう、書いてあるか。あったな、うん、たしか。これ、なかなか読み進められないんだよ)。
ルネサンスというか新プラトン主義との関わりもあって、なのだが、文庫じゃなくて読むほうがこれはいいんじゃないかと訝っているせいもある。

わ たしという書き手は、「夢」という本来なら重量のナイ、まさに「空想」「虚構」そのものと思われるものにまで「重み」を与えてしまったのだな、ということ に気づいたので記しておく(気づいてなかったんですかと問われたら、うん、えっと、そういう意味ではそう、と素直にこたえるお馬鹿さんですw いや、表象 とかしにふぃあんとしにふぃえみたいなことは十二分に意識したし、または具現具体という点は頭にいれてたけど、「重み」そのものについての洞察、というの はたぶん、そこまで意識してなかったようにおもうのだ。魘が重い、といったことや「魅力」としての作用といったことどもは別にして、つまりそれは「重力」 だというふうにしっかりと書き手として認識できていたかどうかはかなりのところアヤシイ、つまり、くりかえすがやはりお馬鹿さんなのだ)。
この伴走メモ、
一体いつまで続くのだと首を傾げながらw
 
それから、何度もいうようだけど、
「重み」という言葉をほんとうに印象深くかいたのはやはり、ジュネだとおもう。

と書いてふと、思い出したのだが、
ああ、
トミノ御大か、重力を「魅力」その他としてさいしょにわたしに提示したひとは!
ガンダムってたしか、そういうはなしだったよね???
いま、きもちよく納得www

by florentine(磯崎愛)

 

前も書いたかもだけど、じぶんへのご褒美でこれ、買ったんです。

あるかたからのプレゼント的な感じでもあるんですが、ええ。

恋する虜―パレスチナへの旅

恋する虜―パレスチナへの旅

 

 いっとき、8万円くらいしてたからね!!! 人文書院さん、再版本当にどうもありがとうございます。7万後半て、マジ泣きれべるだよ、家賃より高いよ! て感じだったからねえ。

というはなしはおいて、

そう、

『夢のように、おりてくるもの』というのは『視界樹物語』その他、わたしのおはなしのなかで視界樹が出てくるシリーズものの或るひとつの視界(世界)という設定なわけですが、そのなかで植物というのはもちろん、「鳥(というか翼有る者としての「天使」とか「鳥船」とか)と「海(混沌や原始的なもの)」が出てくる、というのも実は意識してるものでして。あ、あと、このはなしには出てこないけど「獏」ねw(だからお察しのとおり、『夢詩壷』と『遍愛日記』は、このシリーズなんですよ)

(キャラ配置として、「起業家」が「獏」と同等のものとしてわたしのなかにあった、ということだけは書いとくかな)

わたしは、じぶんがお話を作ってるっていう意識がほんとになくて、いや、作ってるはなしもあるんだけど(あるよ!)、けど、こういうシリーズはほんとに「アッチ」に彼らの視界がある、ていう感じなんだよねえ。

だけど、もちろん小説としてそこにあるものだから、その語句や画面におさまるものに対しては、たんなる背景とか絵面ではなく、「表象」としてのそれを幾重にもいくえにも重ねて、鏤(ちりば)めて、それらを在るべき場所へ、いちばん美しい、意味が伝わりやすい、そういうところへ置いていくように気をつけている。

わたしは、絵を描くように、織物をおりあげるように、おおきなひとつの聖堂を経てるようにしておはなしを書いている。いつも、そうおもう。もちろん、あんまり上手に出来てないのかもだけど。

それは何故かというと、彼らの人生のすべては描けないからだ。些細なことが凄く大事なことだったりする、そういうことを小説ですくいあげていくには、そういう技巧がいる。わたしは、彼らの人生の重みとかを大事にだいじに、両腕で抱えるようにして書いていきたいのだ。

まあ、そんな感じです。

明日は、東京とびもの学会に参加します! 

是非遊びにいらしてくださいね☆