なんとなく、書いておこうかなと。
これはいまのわたしのヘッダー、うささんにかいてもらった、しかも読むまえにw 何度もいうけど読むまえに!!!w(コラボ花うさぎ、お互いに愛はあるけど理解はないって言ってるけど作品についてだけは別だよ☆)
個人的に、エピグラフをずっと、とうらぶファンフィクで掲げて遊んできまして、そちらはかっちりストレートな嵌めこみ方をしてきたのですが、こんかい「マリーへの手記、或いは沈める寺への一考察」で最高にキモチノイイ裏切り方で三島由紀夫の「花ざかりの森」を入れられたのでそれだけで満足です♪
— 磯崎愛 @コラボ花うさぎ (@isozakiai) 2016年9月22日
正直ホント、内容はともかくこれが出来ただけでも満足です。
小説って言葉をつかって読むひとの呼吸や情動、ならびに時間その他を操作する魔法だとおもってるから、今回は順番間違わず呪文言えたみたいな気分☆
(どうもありがとうございます! 「マリーへの手記、或いは沈める寺の一考察」は自分の大好きな近代小説を目標に、むっちゃ背伸びして息も絶え絶えで書き終えたものでした。無事にどなたかの立つ岸辺に辿り着いたなら嬉しいです!)
— 磯崎愛 @コラボ花うさぎ (@isozakiai) 2016年11月18日
わたくしめがへったくそにしかオマージュらしきことができなかったので、いまだにこの近代小説について言及していただくこともないのですが、いや、これが下手くその証拠さw 精進します!
そういえば、小説で誰かを殴りたいみたいなのはないんだけど(もっと優しく、そっと触れたいです)(とはいえ今は、へし歌さん好きを増やすという目的で沼に突き落とす、という意味なら全力で殴りたいような気もするけどw)、じゃあ何がしたいのって聞かれたら、「炭斗を回す」なんだろうなあ。
— 磯崎愛 @コラボ花うさぎ (@isozakiai) 2016年8月21日
中盤の本音で色々台無しにしてますがwww(ひとさまのへし歌さん美味しいです☆)
「炭斗を回す」は、例によって三島の言葉です。したにブログはっときました。
そして、
「傷」に触れたい、それが美しいものだから、という想いはあるにはあるのですが、しかしそれは自分のサディズム加虐趣味嗜虐趣味だよなあ、それがあることは否定しないのですが、わりと悲惨なこと残酷なことって酔っぱらって書くのにちょうどよくて、その怠惰な感じがキライです。
大変なこと苦しいこと辛いこと、どうしたらいいかわからないような悲惨な何かを、「娯楽」として消費することもなく(するのが悪いとか言っているのではありません。エンタメっていうのはそういうものだし「他者の苦痛へのまなざし」というソンタグの言葉がありますが、いっぽうでそういうものを「必要」とする精神状態におかれることはいくらでもあるので、それはそれこそ「虚構」のする領分として大切なものだとおもっています。「欲望」はあること自体に対しては常につねに肯定する。それは否定しても抑圧しても仕方がないことだから、ゲンジツにそれが置かれたときにどうするのかという「言動」の次元においてどうにかするものだというふうにわたしは思い定めています)、かといって突き離すではなく、その悲しみや痛みのなかにひたすら埋没するのでもなく、書く、描く、そしてそれをさしだす、そっと、張り詰めた糸に触れるように、出来得ることなら天使の翅のように、柔らかく、そっと、あるかなしかの感覚で、でもどこか超然と、勝手に代弁しないために「距離」をとる、描くものの「重み」だけはきちんと居場所を与えたいけれど、というふうに書いている。
そんな感じです。
感想をいただいて、いくらかは、ほんの少しは、できたのかもしれないと自惚れて。
さあ、この世の深い、とても深い淵から、その隔たった岸辺はあちらこちらに広いぞと。なんとなく茫洋と、うまく呼吸できないまま、遠くをみはるかしている。
(風邪が治らない、マジで。昨日咳したらそのままもどしてびっくりしたですw年寄りか!!!)
(あ、お手本にした近代小説は三島じゃないっすよ)
- 作者: スーザンソンタグ,Susan Sontag,北条文緒
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