ちなみに、「古典よむ部」活動の一貫でもある。
ちょうど今、カルヴィーノ様の『アメリカ文学講義』の岩波文庫版のほうを読んでいて、補遺「始まりと終わり」(これは単行本にはないのだ!)で、じぶんがいつも「世界観」「言葉」「境界」「自他」といったことを馬鹿みたいにくりかえしてることどもが本当にきめ細やかに至極丁寧に書かれてて、うっとりしながら読んでいる。
そう、この、ものがたりの始まりの扉をひらくときの何とも言えない昂揚、はじまりの予感、予兆、言葉によって世界を、人物を、出来事を定め、ひらいていくときの生死を分けるような緊張、言葉の選択につぐ選択の線引き、細部に神が宿り、全体に細部が奉仕するさま、言葉の引力、それらの往復往還運動のもたらす愉悦――わたしは「語り部」であり、この世界を、この物語を、この人物の人生をどうやって、そう、どうやって語ればいいのか、語ることそのものへの切羽詰まった欲情じみた飢えみたいな感覚、そしてその充足、これがあるから「書く」し、「読む」のだ、というあの「始まりと終わり」が描かれている。
あー、カルヴィーノ様、愛してる!!!
ほんと、わたし、まだ見ていないサンドロの絵がある、まだ読んでないカルヴィーノ作品がある、と思いながら生き延びた日々があることを思い出すよ、ていうか、いまもそうかもだけどw
それから、ジュネットの『物語のディスクール』も再読。
前より、ずっとよくわかる。あー、わたし、がんばってきたなあっておもう。じぶんの思考能力がだいぶましになったっていうのもあるけど、それ以上に、えっと、プルーストある程度よんだからだとおもいますw
あ、あのね、恥ずかしい告白しておくと、初読時にプルースト読まないでこれひもといた大馬鹿はこのわたしですwww
それでも、ちっともわからない、というふうにはおもわなかったんだよね。うーん、と、いちお、ナラティヴと言われるものについては絵画のそれは大学のゼミでちょびっとやったし、中高大とじぶんでもそれらしい本はけっこう読んでたし。
もともと、ものがたりの構造とかに気づいちゃうひとだったというか、なんで同じ「出来事(物語)」が、ちがうふうに語られるとチガウ「出来事(ものがたり)」になるのか、というのがすんごく気になるこどもだったから。
ただ、なんとなく知ってる、というのとワカルは違うし、ほんとうにワカッタというのは使えて初めていえることだと思ってるので、これらの技術を使い尽くすことができるようになりたいと切に願ってる、というか、やれ! てじぶんに命じてるまんとなん☆
カルヴィーノ アメリカ講義――新たな千年紀のための六つのメモ (岩波文庫)
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物語のディスクール―方法論の試み (叢書記号学的実践 (2))
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