わたしにとって小説というのは、じぶんのところにおりてきてくれたもの、という位置づけなのだいつも。
http://novel18.syosetu.com/n1558bq/ (PDFにしたり文字の大きさを変えて読むことができます)
えーと、今日はすぐ、伴走メモに入ります。
「小説にとって「物語」や「設定」は「結果」であって主題ではない。さらには「主題」と一般に言われるものも「結果」であって「要因」ではない。さらに 「要因」と言われるものも「結果」であって「場」ではない。さらに・・・etc。もっとも、読者のあらかたはその逆に読むし大方の書き手すらそうだ」
「アレナスの師匠にあたるビルヒリオ・ピニェーラはゴンブローヴィッチの盟友だった。そんなゴンブロが滞在先のキューバを去り際に残した言葉がこれだ。「ラテンアメリカの作家たちよ、ボルヘスを殺せ」。かっこよすぎるだろ。」
「で、実際に「ボルヘスを殺した」ような、オブセッションに満ちた作品を発表し続けたのがピニェーラの弟子アレナスだった。この三者の関係性は興味深い。」
「確 かに作者の使命はボルヘスのつぎを書くことだろう。それは一体どういうものだろう。限りなく博物誌に近づくシュオッブ以外に示唆する作品はあるのかな。ア レナスは基本的にロマン主義だと思うのだが(異論は認めます)。ロマン主義はしぶとい。リアリズムでもロマン主義でもないもの。それは何?」
「分 からない作品、新しい作品を作るのはそんなに難しくない。問題は分からなすぎるもの、新しすぎる作品はまず受けいれられないことだ。どこかに手掛かりがな いと受け手には届かない。これは新しいものですよと自分で署名しなければそれは伝わらない。必要なのは部分的に新しいこと。」
(あえてどれも引用元を省略します、すみません)
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TLのことばたち
わたしはボルヘスの崇拝者ではないようにもおもう
殺す側に立ちたい、なんども表明するけれど、そしてすでに歴戦の勇者たちにやられ尽くされてるからやらないけど(たぶん)
心 情的にゴンブローヴィッチのほうが好き、仲良くなれるかどうかわからないけど、でも、もしかするととても仲良くなれるかもしれないと思わなくもない、やた ら時間がかかるか、何かのきっかけがないとムリそうだけど(当たり前のこといってるようだけど、すっとこの作家とは初対面で仲良くなれそうって勝手に感じ るタイプのひともいるのだ、たとえばラファティおじさんとはわたし、仲良くなれるみたいに信じてる)
アングロマニアなボルヘスと微妙に相性が悪いっていうのもある
じぶんの作品の洗練され具合というのにも、たぶん、なにがしかの抵抗(? んー、ちがうな、違和感、いやちがうな、うーん、ズレてるな、頭が働いてない)みたいなのがあるんだろうな
いやしかし、頭が働いてない具合がヒドイ気がするが、来週からバイトの時間が増えたという、
どうなるわたし!?《ゴンブローヴィッチとその同時代人》
「誰がゴンブローヴィッチの同時代人であったのか」
「そしてそのシェ イクスピアの「同時代人」たろうとするものは、シェイクスピアから何かを学ぼうだとか、何かを換骨奪胎しようだとか、そんなふうには考えないものなのだ。 ずばり、ゴンブローヴィッチは、シェイクスピアさん、ぼくならこうすると、シェイクスピアへの対抗意識をむきだしにして、たとえば『王女イヴォナ』を書い てみせた。君はどうしてこんなふうに書かなかったのか、と」
「同じ両大戦間期ポーランドの前衛作家の中でも、ゴンブローヴィッチが際立っているのは、ありとあらゆる「古典」に対する、その挑戦的姿勢であった」
「初 期短編から『王女イヴォナ』を経て、『フェルディドゥルケ』まで、それらはプラトンからルキアノスまでの対話文学、ダンテ、ラブレー、そしてコンラッド、 ジャリ、ジャック・ロンドン、H・G・ウエルズ、これらすべて「古典」に対する個人的「否」――私ならこう書く――なのであった」
「ゴンブローヴィッチが苛立ったのは、いわゆる「古典作家」の挑発を真っ向から受け止める代わりに、ひたすらその名声にすがり、ただ彼らを崇拝するあまり、決して彼らを「同時代人」とはみなさない「二流」の「同時代人」の存在であった。
挑発に対する鈍感さ。現代世界を冒しているこの持病に対して、はたしてゴンブローヴィッチの挑発は、多少なりとも、特効薬たりうるだろうか。いまとなって は、これまた「古典作家」のひとりにすぎないゴンブローヴィッチではあるが、その挑発に対して鈍感であってはならない。ゴンブローヴィッチを「同時代人」 とみなしうるかどうかに、私たちの治外法権的精神の健康はかかっている」
西成彦『エクストラテリトリアル』(作品社)から、はいく再掲
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トランス=アトランティックとフェルディドゥルケとバカカイしかよんでないけど(図書館にそれしか入ってないから、という理由)
ていうか、そうか、わたしまえもかいたのかもだけど、亡くなったの三島が自死する前年か、ふえー
三島はね、このひとにノーベル賞の前哨戦といわれる賞で負けてるのだ
でもちゃんと読んでたの、当時から
それからね、西さんの本では、ジュネがゴンブローヴィッチを追い回したらしいんだけど、そこは定かではないらしい
そうだ
シュルツも読まなきゃなのだが、しばらくはフーコー関連で
それよりなにより、わたし、あんまりアタマ働いてない、やばし
寝るか、いやでも、うーん
わたし、きっとほんとはゴンブローヴィッチみたくかっこよくなりたいんだろうな。
古典作家へ「対抗」したい、はずなんだけど、でも。
いっつもいっつもいっつも打ちのめされてばかりいる。
「二流」どころか足許にすら近づけないくらい、ほんっとおおおおおおおに下手くそすぎる!><
でもしょーがないね、だって、自分にウソはつけないよ。あんなに凄くないもん。わたし、小説を読むチカラくらいは、それなりにあるもん。
でも野望は持ち続けるよ。いつか、彼らのところに行ける作品を書きあげたいと。
そういうふうには願ってる。
今日は、ひさかたぶりに編集S氏とはなしました。
ちょうど連絡しようとおもってたところで電話が来て、以心伝心的にありがたかった。
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いやー、去年フローベールの感情教育ちょーひさかたぶりに読み返して驚嘆の連続だったからね!!! 小説の神様っすよ、ていうかもー意地悪でいぢわるで素敵すぎる><
大きな歴史と(しかもそれを直接かかないんだよ、かっちょえー!)、そのなかに生きるしかないひとの小さな生と、その両方の重みを描ききってるよねえ、と。
まあ、そんな話をいろいろして、コントと石川淳でヒントをもらい、などなどあるのだけど。
今日は珍しく、褒めてもらったことだけ記しとく。
「磯崎さんの小説にはたとえファンタジーであろうとも、リアルな《人生》というのがちゃんとある」
うん、どうもありがとう。
わたし、じぶんの小説のキャラたちはわたしの好き勝手にできるツクリモノだと思ったことは一度もない。彼らはかれらでちゃんと生きてるから、こちらの都合でどうこうしちゃいけないし、したら書く意味自体がない、ていうふうにおもってる。
同じように小説も、小説自身も、ちゃんと生きてるものだと考えている。
だからどうか生き延びておくれ、わたしという拙い語り手のところにおりてきてしまった不運を乗り越えて、と。