がらくた銀河

磯崎愛のブログです。本館は小説サイト「唐草銀河」。

「第3回アルファポリスファンタジー小説大賞」に『歓びの野は死の色す』という作品で参加しています!

カレンダーを見て、「9月……。9月っていったいどういうこと? 2010年があと4ヶ月ってウソでしょ?」てな気分でボケまくり、6月末から「古典」ばかり読み続けた結果、じぶんの作品よむのが怖くて縮こまってるflorentineこと磯崎愛でございます。
つきましては、これをお読みのみなさまには「臆病者めが!」と罵っていただければ幸いに存じます。いや、マジメに!

第3回アルファポリスファンタジー小説大賞
http://www.alphapolis.co.jp/citi_cont_prize_kaisai.php
 
『歓びの野は死の色す』(R18)目次
http://karakusaginga.blog76.fc2.com/blog-category-41.html
「10年ぶりに祖国へ帰ったエリス姫。彼女は初恋の人である伯爵と再会するが、彼には結婚話が持ち上がっていて……死の女神を祀る公国の、《夜》を巡る物語」 


というあらすじを書きだすと如何にもロマンス小説風ですが、わたしの書くものなんで、らぶらぶとか甘あまとか、ナイです。教団の秘儀とか貴族の権謀術数とか、でなければ人間関係が焦れじれで苛々なはなしです。
ジャンルでいうと西洋風歴史SFファンタジーになるのかしら。イタリアとフランスの歴史(や小説)が好きなかたならそこかしこできっと、「笑え」ます。元ネタ探しの楽しみを味わっていただけるかな、と。
それと、タイトルでぴんと来た方、正解です。
与謝野晶子の「ああ皐月仏蘭西の野は火の色す 君も雛罌粟われも雛罌粟 」が、このおはなしの源です。
火のような雛罌粟(ご存知のように戦場に咲く花です)、あの花弁が青かったら、さぞかし凄いに違いないっていう空想です。青が、好きなのです。

ところで、ええと、そのー、このはなし、まだ終わってません!
きゃー、すみませんスミマセン、ごめんなさい〜。
じつは、あとがきに「日仏友好150周年の年に」または「横浜開港150周年を寿ぎ」なぞと書かいたらさぞやかっこよかろうとほくそえんでいたのですが、終わらないったらオワラナイ〜。どうしたもんやら困りました。 
まあそんな体たらくなので、気が向かれましたら読みにきてくださると、そしてまたチョットでも面白ければ「ファンタジー大賞」バナーやら拍手やら押していただけると、このわたくしが飛び上がって喜びます(笑)。ほんとにピョンピョンはねてますv またはパソコンの前で両腕ふりあげてニョロニョロと踊ります。ほんとだYO! 

さてと。
前回ご紹介の『夢詩壷』はひとさまにオススメしていただいた幸福な作品で紹介記事をリンクさせてもらいましたが*1、この小説は作者自ら「読みどころ」(!?)をご披露せねばなりません。これぞ正真正銘の「羞恥ぷれい」!!
そうだなあ、う〜んと、

始めは処女の如く後は脱兎の如し(まだ終わってないけど 汗) 

かな?
これ、わたしにとって、生まれて初めての「WEB小説」でして。
なんとなく、さいしょは読者様のお顔色をうかがうような頼りなげな雰囲気で、と言いながら、伝統的なファンタジーのお約束を破りまくってやるぞ息巻いてるところもあって、卑屈と不遜が入り混じったヒジョーに挙動不審なようすでございますのよ。
しかーし!
連載が進むうちにじぶんの書きたいことやりたいことに夢中になり、ハードルをあげ、息せき切って駆け上がり、それから遂には「おはなし」の言うとおり、物語のなすがまま、だんだんいいように引き摺られ息も絶え絶え、作者はもう疲れましたドウニデモシテクラハイ感アリ有りなところでしょうか?
つまり、処女から脱兎に変わったのは「小説」そのもの、なのです。


って、こんな紹介でいい??
(これで読みたくなるひと、いるかしら。不安だわ。宣伝なんだからなんかもっとイイこと言わないといけないと思うんだけど、でも、イイトコって自分で見つけるの困難だわよ)
あ、百聞は一見に如かず。
掌編(本編にちょくせつ関係ない)を読んでいただくと雰囲気わかるかも。


「ある名詞を巡る三つの物語」(いちおうR18)
http://karakusaginga.blog76.fc2.com/blog-entry-482.html
 
なにはともあれ、読み返すと恥ずかしさと不出来に憤死しそうになることは目に見えてるので、宣伝は、今のうちにしておきます(笑)。
なんでかというと、前に「宣伝」したあと、読んでくださった方から長い、とても素敵な感想を頂戴し、それがわたしの「宝物」になりました。拙い作品だけれども、楽しんで、大事に思ってくれるひともいるのです。それを知ることができてとても嬉しかった。いいこと、たくさんあったのです。
あんまりにもありきたりで、どこででも目にする言葉でしょうが、でも、ほんとうに、読んでくださるひとがいて幸せです。感謝してます。だからというのではないけれど、「あなた」のために、書いてます。というより、「あなた」がいるから「おはなし」は「ある」のです。
こうしてWEBで小説を書くようになり、しみじみ感じていることがあります。
 

「物語を支配するものは声ではございません。耳でございます」

マルコ・ポーロの見えない都市

マルコ・ポーロの見えない都市

 

この言葉は真実そのもの、至言であるなあと。
読み手がいなければ、語り手なんて存在しないんですよ。
そんなことを言ってると、もうひとり、永遠不滅のバベルの図書館長を召喚したくなりましたが、それはまたいつか。
かわりに、『歓びの野は死の色す』からアレクサンドル五世公爵閣下に語ってもらうことにしよう(笑)。
 

 歴史とは解釈の数だけあると述べたのが誰であったか忘れたが(僕の物覚えの悪さは葬祭長になれなかっただけあって深刻だ)、このはかりがたさゆえに魅了されるものがあるという点には僕でさえ頷かないではない。
 とはいえ、こうして僕の要領をわきまえない分断された思考は、いつしかまた、《夜》によって再現されるのではないかと僕は恐れている。
 暴かれるものとは隠されたものであり、
 隠されたものとは暴かれるためにあるものだ。
 それは、性欲に似て暴力的で醜く、知られない秘密という名に相応しくこのうえなく無垢で、己の無知をかえりみないために恥知らずであり、欲望を喚起せしめるものであるせいで美しい。
 僕が、何について語っているかわからないと思うむきには、わからくてもいいと告げておく。わかる必要などない。今はまだ。


 いずれにせよ、《夜》は来る


 僕の処だけでなく、
 アナタノトコロニモ。
 
 『歓びの野は死の色す』「細かな文様 39」より
 http://karakusaginga.blog76.fc2.com/blog-category-41.html
 

*1:http://spica58.blog107.fc2.com/blog-entry-142.html