がらくた銀河

磯崎愛のブログです。本館は小説サイト「唐草銀河」。

ルーヴル美術館展「日常を描く—風俗画に見るヨーロッパ絵画の真髄」いってきたよん♪

足痛いけど行ってきた! 湿布はってるw

www.ntv.co.jp

 

えーと、待ち時間なしでした。お時間ある方は、今のうちに行かれたほうがよろしいかもと。

 

ところで。

風俗画て言葉、馴染みありますか?

 

風俗画はブルジョア階級や貴族階級の一部の間で成功をおさめていたにも関わらず、アカデミーや理論家達からは長い間、マイノリティーまたは下品な絵画テー マだと考えられていました。18世紀に激しくなっていった論争により、風俗画は絵画のヒエラルキーの頂点にあった《偉大な絵画ジャンル》とされていた歴史 画と対立します。神話や聖書のテーマが理想化された様式で展開される歴史画に対し、風俗画の作者達は自身の家族や親密な関係、庶民的な環境を直接観察し、 現実とその簡素さを描くことを探求していました。無名な人々こそが風俗画の画家達の英雄となったのです。風俗画は16世紀からヨーロッパ、特にフランドル 地方で発展していきます。フランスで日常生活を主題とした絵画が発展するには、歴史画が衰退する19世紀を待たなければなりません。

 

「日常を描く—風俗画に見るヨーロッパ絵画の真髄」 | ルーヴル美術館 | パリ

 

んと、まずはアカデミーの成立のはなしとかもしないとアレかなと思いつつ難しいのでスルーして(をいw)、この「ヒエラルキー」について感じながら観るといいのかなあと。

見たいように観ればいいって考え方もあるのですが、いちお知ってると見方が広がるので。印象派がどういうものなのか、ていう意味も含めて。

ちなみに、アカデミーの賞は「ローマ賞」といいます。フランスアカデミー絵画とかいうものがどういう成立をしてるのかって証左になるかなと。

 

ローマ賞 - Wikipedia

Prix de Rome — Wikipédia

 

てなわけで、本調子じゃないのでまあともかく行ってみたらいいやって勢いで出かけたので、グルーズの《壊れた甕》の淡い色合いの美少女を見た瞬間、わたしのテンションあがりまくった!!!

失われた純潔

無邪気な目を大きく見開き、紫色のリボンと花を頭に挿した、子供っぽい無垢な少女が佇み、ドレスの中で散った花を両手で押さえている。ひび割れた甕 が、少女の左腕に掛けられている。フィシュ(三角形の婦人用スカーフ)は乱れて、少女のふくよかな喉下が垣間見え、ドレスの身ごろに付けられた一輪のバラ の花弁はむしられ、白サテンの美しいドレスはやや無造作に身に付けられている。

 

《壊れた甕》 | ルーヴル美術館 | パリ

 

 

 

 

わたし、この子が凄く好きで、大好きで!!!

逢えて嬉しかったなああああああ(はあと)。

テーマがテーマなので、わたしほんとふしだらではしたなくてごめんねって小学生くらいからずっと思ってたけど、でも。

どう受け止めていいかわからないような曖昧な表情してるひと、好きなんだよね。なんか、たぶん。すごく。うん。

あと、

やっぱりレンブラント、指物師のが、よかったなああ。

いわゆる表象がたくさん入れこんであったのには気づいたけど、途中でもうそういうのどうでもよくなっちゃった。ふわっと全部を、あのひかりみたいに包み込むように観ようっておもった。

なんだろうね、あのレンブラントというひとの絵を見るとこう、みぞおちのあたりがきゅううってなる感じは。酷いと鷲掴みにされて引き倒されてガシガシ殴られるみたいだけど。こんかいの絵はとても、やさしかった。

 

あ、クロード・ロランやらユベール・ロベールやら、ほんとに風景をかくの大好きだよね貴方といってあげたいゲインズバラやらという、わたくしお気に入りの画家作品もきてました。

あ、クロード・ロランの名前が出たので、せっかくだからクロード・ロランが本名で出てくるこの本あげておくね!

ローマのテラス

ローマのテラス

 

 キニャールの、このクロード・ジュレ(ロラン)がホント、すごく、無茶苦茶イイので!!!

なんかねー、いやもう、あーこうも描けるんだなあと。

たぶんわたし、ロランの名前だしちゃったのもしかして申し訳ないのかもですが、でも。素敵なの、ものすごく。

 

あと、展覧会にもどって。

フラゴナールが凄かったなあと。いつだったか、素描を見たときにこのひとすごいっておもったときがあって、あれ、なんの展覧会だっただろう?

www.fashion-press.net

 

眼で見た固まりの位置取りと色彩とが動線を繋いで筆遣いでさらに加速かけるかんじが、ね。

絵のよう、ていうのの、まさに絵のよう、だよなあ。

 

そうそう、

わたし、ヴァトーが好きってここで叫んでるからご存じの方も多いとおもいますが。

ヴァトーはやっぱり、雅宴画の代名詞になる気品があって、それをエスプリというのならそうなのかもしれない。そうそう、なんか今日みて、あ、これ「気品」か、ておもったのだった。気品? なんか、そんなふうだった。精髄、真髄? 

それと、フラゴナールはイイのだけど、わたしブーシェまでくるとチョット味付けが濃くて実は好かない。薄味で軽妙なランクレの流れのほうがしっくりくるのね。

それにしても、

少女マンガ趣味といわれようと、ヴァトーは美しいよね。やわやわとした夢まぼろしに幾らかの郷愁とふいに胸を締めつけるような、刺すような、甘い痛みがあって。

あれはなんか、夢のなかの世界だよなあっておもう。

雅宴画、好き。大好き。

 

三島がヴァトー好きっていうの、なんか言いたいこと色々あるけど、ヴァトー見てきた今は握手したいきもちでもある。しないけど、ていうか出来ないけどw

 

西洋絵画観てると落ち着くなあとw

あるべきところにあるべきものが配置されているのがすごく、きもちがいい。

 

ブリューゲルとかムリーリョとかシャルダンその他いろいろ言いたいこともあるのですが、まあ今日のところはこんなで。

エドゥアール・ルイ『エディに別れを告げて』(高橋啓訳)を読んで

  子供の頃に、楽しい思い出はまったくない。この時代に、幸福や喜びの感情を経験したことがないというつもりはない。ただ、痛みがすべてを支配しているから、そこに収まらないものは消されてしまうのだ。

エディに別れを告げて (海外文学セレクション)

エディに別れを告げて (海外文学セレクション)

 

 

 この冒頭を読んで、「痛いところはあるか」ときかれて「人生」とこたえた東欧出身の作家ダニロ・キシュ*1を思い出した。

わたしの場合、「痛み」と「苦しみ」があると自分が間違いなく生きている、という気がする。そのふたつは「息苦しさ」に集約される。この筆者のような喘息もちではないはずなのに。

読んでいるあいだ、息苦しかった。

とても、息苦しかった。

 

 極貧の村の貧困家庭の息子エディは、子供時代からなよなよして、声も高く、姉の服に興味を持ち、芝居をするのが好きでした。男は強くなくてはいけないし、少年ならサッカーを楽しまなければならないという世界で、そんな彼は異分子でしかありませんでした。
 学校での壮絶ないじめ、そして、いとこやクラスメイトたちとの同性愛体験。しかもその出来事をもとに、彼はさらにいじめられることになったのです! みんな一緒だったのに……。そして同性愛説を打ち消すための女性への接触……何もかもが滑稽なほど悲惨でした。

 

エドゥアール・ルイはどこから来て、どこへ向かうのか? 『エディに別れを告げて』エドゥアール・ルイ 高橋啓 訳(海外文学セレクション)[2015年4月]|今月の本の話題|Webミステリーズ!

 

 
北フランスの村の出来事なのだけど、これはおよそ豊かではない土地であればどこであろうとありふれた日常なのだろう。わたし自身、ここまで暴力があらわになり、あからさまな差別が横行する事態を知っているわけではない。それでも、片田舎で暮らしたために、まったく想像もできない、という話ではなかった。

田舎では、男の子は男の子らしく女の子は女の子らしくあるように、またその土地に馴染むようにあれ、という圧力を感じないで生きるのは難しい。

わたしの生まれ育った土地では四年制大学にいく女の子は当時まだそれほど多くなかった。結婚して子供を産むのに、そこまでの学歴は要らない、いや邪魔だとはっきりと口にされたことも幾度かある。

そのほかにも、よそから来たひと、ともかく「異なった」ところのあるひとびとを排除する力が働きやすいのは感じないではなかった。友人の家に遊びに行って、誰ちゃんとは遊んじゃ駄目という「言いつけ」を耳にしたこともある。苗字がちがうでしょう、と続いたはずだ。わたしはとても驚いたけれど黙っていた。じぶんの親にも話さなかった。うちの親は、そういうところだけはちゃんとしていた。

 

そういえば、我が家がいくらかまともではないと知ったのは二十歳を過ぎたころのことだった。わたしはおっとりしていると褒められながらある程度親しくなったひとに「感じ過ぎる」と責められて、細かな気配りができると羨まれながら鈍いともトロクサイとも叱られる人間だ。

長所短所などというものは物言いひとつでどうにでもなる。本をたくさん読む子だったので、そういうことを理解するのだけは早かった。

 

エディは少し変わっているんだ」これが父親の言葉。サッカーをしない息子、こう言ってサッカークラブの会長に言い訳をする。

その二頁後、「よく育ったね、あんたのとこのエディ、ほかの子とはちがう、すぐにわかるよ」これが村の女の言葉。それぞれフォントを変えてある。そしてこの言葉のあとはこう続く。

「そう言われて得意になった母は帰ってくると、今度はぼくを褒めるのだった」

 

ああ、と声が漏れた。

ああ、これはよく知っている、物凄くよく、知っている。

 

あんたの弟はすばらしい、あたしは好きよ、ふつうとは違うわ」姉が、弟エディに友人を紹介したときのこと。

 

恋するひとが誰にとっても「特別」だからこう言われているのではない。

価値観の逆転、その転倒が、ここでおきている。いまいる場所よりずっと生きやすいはずの「上」の世界へ行くための。

それはともかく、

ことじぶんに関しては「変わっている」とはおもわなかった。わたしにとっては常にこれがスタンダートな状態なので。まわりが勝手にあーだこーだ判断するだけさ、という諦念がいつごろ定まったのかはよくおぼえていない。

それでも、

そう、それでも。

わたしはたぶん、こういう言葉に出会うたびに曖昧に微笑んでやり過ごしてきたのだろう。褒められるのが苦手でひとと距離をとりたがるのは、この繰り返しに厭きあきし、しんから怯えてもいるのだ。そうしたことを理解したのも遅かった。

 

近親者が不器用にさしだしてくる「好意」、身近で血がつながった存在であるがゆえに愛したいと願いながらこちらへ分け与えようとする歪で、あまりにも僅かな、またはどうしようもなく過剰な「好意(それ を愛情とわたしは呼ばない、わたしには愛情がよくわからない)」、それを受け取り損ねながら育つひとはけっして少なくはないとおもう。とはいえ、ほとんど支配としか呼べないようなその「期待」と「情」を、だれもかれもが素直に拒絶したりできるわけもなく、または妥協しながら受けとめられるほど器用なひとばかりでもないはずだ。

わたしの父も、母も、程度は違いながらもああいったことをするひとだ。

それに、愛情表現もまた、「教育」のたまものとしてあるに違いない。それをことさら言い立てる必要もないと、個人的におもってはいる。

 

さいしょに「ありふれた日常」と紹介したけれど、読みながら思い出した本を。

黒人コミュニティ、「被差別と憎悪と依存」の現在――シカゴの黒人ファミリーと生きて

黒人コミュニティ、「被差別と憎悪と依存」の現在――シカゴの黒人ファミリーと生きて

 

 たしかこのなかで、勉強をすると「白人みたいだ」といじめられるはなしがのっていたはずだ。

ホモソーシャルな空間の圧倒的な「暴力」、男性が男性らしくあるための掟に縛られた世界、そしてその裏に隠匿された女性への「依存」といったものも描かれている。むろん祖母や母親、そして女の子たちも強かではあるのだけれど。当たり前に。誰もが弱いままでは生きられない。

 

それから、こんな記事もふたつ、おいておきます。

bmr.jp

 

bmr.jp

 

くりかえされる「恥」という言葉、その重さについても考えているのだけれども、まだ、言葉にはならない。たぶん、これは今ここで無理やり吐き出すよりも、ちゃんとおなかのなかにためておいたほうがいい。

 

 そして実をいうと、こちらのイベントでこの本が出ることは知りました。

 

東京創元社創立60周年記念イベント第3弾 酒寄進一×高橋啓×柳沢由実子「翻訳小説が面白い!」|Special|Webミステリーズ!

 

お話しをうかがったときからもう、たのしみでたのしみでたのしみで!!!(このイベント自体がとても素晴らしかったです。また、こういうの行きたいです☆)

 

それと、こんな記事も見つけたので。

高橋さん仏小説翻訳 同性愛体験「エディに別れを-」【帯広】|北海道ニュースリンク

 

訳者あとがきに、著者と会ったときのはなしがある。

ジャン・ジュネ風にも、パゾリーニ風にも書きたくないと言っているよね」という言葉を見つけて、あ、とおもった。さきほどの「恥」という語、その体験とともに、ジュネの名前はずっと響いていた。

あとがきにはパスカルキニャールの名前も出てくる。

キニャールのファン、そしてもちろん高橋啓紙のファンもこのブログを読んでいるものと思うので是非!

 

さいごに。

読み終えて、名前を変えたエドゥアール・ルイというひとのことでなく、

男ったらし」と言われていた女の子ローラのことを考えた。

きっとエディほど賢くはないのだろう彼女は、その後どうやって暮らしているのだろうと。

誰かといっしょに生きているだろうか。

ひとりでも、誰かといても、彼女がわらっていてくれたらいいと。そう願った。

 

歓びの野をつづれ織る14 地下への憧れ、ロワール地方の洞窟住居のことなど

novel18.syosetu.com

 

 

ここ毎日かくのが大変だと気がつきましたわたしです。
愚痴ってすみませんw
今日は、このへんとか

ロワール地方の魅力 <洞窟住居> - 晴れのち曇り、時々パリ

blog.goo.ne.jp


じっさいわたしは夏訪れてるのですがひんやりして心地よかったです。
小説のなかでも書いたように、修繕、というのかな? 
水漏れすることもあるので、そうういうところは直したりしないといけないですが、冬も夏も気温が一定なので暮らしやすいそうです。
(上記リンクのようなホテルじゃなくてたんにカーヴでしたが住居使用のはなしがでました)

このはなしのテーマ自体が「地下」なので、今後もこういうくらーくてしめーっててっていう場所ばかりが展開されるのですが、地下世界へのなんともいえない郷愁というか愛着というかは子ども時代に読んだ色んな神話や物語的なものに溢れていただけでなく、なんというか、あの「安心であったかい」でも「なんとなく怖い、不思議な感じ」のいわくいいがたさに凝縮されてるような気がします。
胎内回帰願望の安逸さじゃなくて、そこに「神秘なるものへの冒険」が加味されてること、ていうのかなあ?
あ、
そうだ、いつかはあれですよ、地下牢のはなしなんかもしないとねv
by florentine(磯崎愛) 2013/01/01 18:36:05
(加筆修正あり)

 

jp.rendezvousenfrance.com

 

ロワールのお城についてはなんかたくさんお話ししたいことがあるのですが、とりあえず手に取りやすい本など。

 これはカラーが多くてわかりやすいです。

海野さんの文章も好き。

ロワール河畔古城めぐり (京都書院アーツコレクション)

ロワール河畔古城めぐり (京都書院アーツコレクション)

 

 あとこれとか。

京都書院さんの本は、なんか見つけたら手にとってみる、ていう感じです。

それから、ぷち・レオナルド・ダ・ヴィンチ・ネタとしても最高によかったこちらなども。主な舞台はパリですが。

カルチェ・ラタン (集英社文庫)

カルチェ・ラタン (集英社文庫)

 

 (佐藤さんの小説で、もしかしてこれがイチバン好きかもしれないなあ、わたし。三銃士ネタも大好きだけど、これ、たぶん、レオ様ネタだというのが大きいのかも。けっしてメインじゃないですが、小ネタのほうが嬉しいのだ、わたし的には)

それから、こんなのも。

 

シャンボールの階段

シャンボールの階段

 

 レオ様が考えたといわれる例の階段の名前がタイトル!

実をいうと、わたしの初・キニャール様だったりするのですが、まあそれはまた。

 

お城、イイですよねーお城☆

歓びの野をつづれ織る12 爵位順で偉さが決まるわけじゃない難しさとか紋章とか

歓びの野は死の色す https://novel18.syosetu.com/n5403bl/

外伝をひとつアップしてきたのですがすでに読まれてるかたも多いかなあと。

さて、今日は爵位とか。

よく知られているように「公、侯、伯、子、男爵」というのは明治期の日本に輸入されたもので、じっさいのヨーロッパ史だと、これ、ヒジョーにめんどくさいんですよ、ていうおはなしを。


ちなみに、作中でいうとヴジョー伯爵家が皇帝に次いでエライ、というあたりは、読むひとがよむと、
「あーこのひと、西欧史大好きなんだろうなw」てほくそ笑むパターンです。

(現実世界でも、平気で「エルサレム王」とか出てくるからねw ぶんどってもいないのに!)

それから、帯剣騎士と法服騎士についても頭にはいってないと、
「貴族階級」というのがなんなのか、そも、わからなくなる。

もっといえば、そも騎士とは何ぞ、
馬持ちの騎士というのがどこから来たのか、
ていうはなしをしだすと、ローマ帝国のあたりに遡ってイロイロ話し出すひとたちがいるのが、西欧史のめんどくさいところで、
まあでも、
そのめんどくささが、たとえば西欧歴史風SFファンタジーといえ、多少なりとも「歴史」とついているからには、その醍醐味だとおもってます☆

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


おはなしでは黒死病の猛威が続いてますが、
爵位とか王様についての、またわたしのぼんやり話を。

幼稚園くらいまで王様がいちばん偉い、爵位はその順番どおりにエライって単純におもってたので(絶対王政の悪影響といってみるw)、小学生くらいでちょっと難しい本を読むと、あ、待て、どっちが「偉い」のかは歴史的な背景があるのかってことがようやくわかるようになります(武力や領土の問題じゃないところでのはなし)。

中世ヨーロッパ史というのを小学生がどこまで理解できているのかという問題はさておき、
たとえばパリ伯はフランス王であるけれど、パリのほうが南に比べて偉くない時代があったということへの想像や理解が及ぶようになるのがどうにか十歳をこえたくらいで(フランスという国の歴史的な流れがワカラナイとそのへんぴんとこないですよね)、

つまり家にあったタイムライフ社の人間世界史を読んでなんとなくやっとそのへんがわかったのでした、というか、わたしの歴史的な基礎知識はすべてあそこで覚えたので(小学生の記憶力なので意外にツカエルw)、

ライフ人間世界史〈第3〉蛮族の侵入 (1969年)

ライフ人間世界史〈第3〉蛮族の侵入 (1969年)

 

 

ライフ人間世界史〈第4〉信仰の時代 (1967年)

ライフ人間世界史〈第4〉信仰の時代 (1967年)

 

 

ライフ人間世界史〈第9〉王政の時代 (1968年)

ライフ人間世界史〈第9〉王政の時代 (1968年)

 

 歴史物って説としては古くなってしまったりしますが、

わたし、このシリーズには大変お世話になったので、うん。

 

昭和30年代くらいの全集ブームはありがたいものでしたよ、その恩恵にあずかれる時代に幼少期を過ごしたわたしは大きな声でそう言います。

ブンカシホンっすからね。あえて片仮名で書きますが。

贅沢で大きな、美しい本がたくさん作られた時代。

 

まあ、それはさておき、

エライえらくないって、どういう基準だってはなしもあるんですが、そこを言いはじめると大変なことになりますな。
よって、
エリゼ公国が舞台なのに、エリゼ公爵よりもヴジョー伯爵のほうが「偉い」っていう妙なはなし(しかしかなり現実的ではある)を書いてしまうというのが、じぶんらしさかなあ、と。

中学生くらいのわたしの憧れの職業は「紋章官」でした。

紋章の歴史―ヨーロッパの色とかたち (「知の再発見」双書)

紋章の歴史―ヨーロッパの色とかたち (「知の再発見」双書)

 

 

紋章学辞典

紋章学辞典

 

ついでに、

日本の、紋章上絵師についても。

家紋の話―上絵師が語る紋章の美 (新潮選書)

家紋の話―上絵師が語る紋章の美 (新潮選書)

 

 

折鶴 (文春文庫)

折鶴 (文春文庫)

 

 (このへんはまた、いつか語りますね。わたし、元呉服業OLなのでw)


ちなみに、

貴族になるならもちろん「伝説付の帯剣貴族(たとえばリュジャニャン家)」だろ! といつも思ってましたw 
ジャン・ジュネと心情が似てて笑えますw(オチはここっすよv)

恋する虜―パレスチナへの旅

恋する虜―パレスチナへの旅

 

 (リュジャニャン家のおはなしは本当に美しいですよねえ、しかもだって、ジュネにとってはいなくなってしまった美貌の、しかもひとならざる母親の物語だもの。うん)

 

by florentine(磯崎愛) 2012/12/30 19:24:23
(加筆修正あり)

歓びの野をつづれ織る11 騎士と剣

歓びの野は死の色す https://novel18.syosetu.com/n5403bl/

今日は、ルネの妻であったひとが刺繍していた武勲詩の元ネタのはなしをちょぴっと


ローランの歌 - Wikipedia

 

フランス最古の叙事詩
シャルルマーニュのこの伝説は、ことにロンスボーの大敗におけるロランの英雄的な死とともに語り継がれています。
角笛と剣のガジェットとしての扱いがとてもエロい!
剣と騎士の関係のエロティックさっていうのは枚挙に暇がないものですが(あと馬ね!)、
このデュランダルとロランの関係はチョット常軌を逸してる感があるくらいえろえろなので、そこもけっこうおすすめ☆

(ていうか、ガストン・パリスとジョゼフ・ベディエの日本語WIKIないのか、えええ?)

 

 

ガストン=ブリュノ=ポーラン・パリ(Gaston-Bruno-Paulin Paris, 1839年8月9日 - 1903年3月5日)は、フランス文献学者言語学者。主にフランス中世文学の研究を行った。

 マルヌ県のアヴネ・ヴァル・ドールに生まれた。父のポーラン・パリも学者であった。コレージュ卒業後、ドイツボン大学ゲッティンゲン大学に留学した。ボン大学ではドイツの高名なロマンス語学者であるフリードリヒ・ディーツドイツ語版に学んだ。1859年に帰国し、1862年フランス国立古文書学校を卒業した。1865年にシャルルマーニュ叙事詩の研究[1]文学博士の学位を得た。

ガストン・パリ - Wikipedia

 

(あ、あった。できたんだね!)

でもベディエはなかった!!!

 

ベディエ【Charles‐Marie‐Joseph Bédier】

1864‐1938
フランスの批評家,中世学者。コレージュ・ド・フランス教授(1903‐36)。厳しい文献学をもととして現在の中世文学研究の基礎を築いた。とくに武勲詩の研究で,民間伝承の集成されたものとして武勲詩をみる説に対して,巡礼の巡る聖地の顕彰のために作られたものとする説をたてたことは名高い。また20世紀前半に盛んであった文学史研究を代表する一人でもある。

ベディエ(ベディエ)とは - コトバンク

 

 本は、岩波とちくまで出てる。
うちにこの手のモノが転がっていたので、わたしが騎士大好きになるわけですなw

ロランの歌 (岩波文庫 赤 501-1)

ロランの歌 (岩波文庫 赤 501-1)

 

 うちにあったのはこれじゃなくてもっと分厚い本だった気がするけど、これはっておくね。

中世文学集〈2〉ローランの歌;狐物語 (ちくま文庫)

中世文学集〈2〉ローランの歌;狐物語 (ちくま文庫)

 

 

あと、手に取りやすいのはこのへんか。

シャルルマーニュ伝説 中世の騎士ロマンス (講談社学術文庫)

シャルルマーニュ伝説 中世の騎士ロマンス (講談社学術文庫)

 

 それから、これ、これですよ!!!

信仰と愛と    フランス中世文学集 1

信仰と愛と フランス中世文学集 1

 

白水社からこれ出たときはほんと嬉しかったなあああ。

 

 

 

 (ちなみに脇役であるオリヴィエと主役ロランの関係もなんだけど、剣のデュランダルのほうがマジあやしい。エルリック・サーガストームブリンガーよりもこっちのほうが元ネタらしく原初的で、わたしは好きです) 

メルニボネの皇子―永遠の戦士エルリック〈1〉 (ハヤカワ文庫SF)

メルニボネの皇子―永遠の戦士エルリック〈1〉 (ハヤカワ文庫SF)

 

 (この表紙も好きだけど、

天野さんのなんだよねええ、イメージ的にはもう、わたしのなかで、こういうのって初めて見たのがってのあるでしょ?)

 

by florentine(磯崎愛) 2012/12/29 22:58:57

 

剣て、ほら、どうやっても男性器の象徴だったりするのでねえええ。

その名前をやたら連呼したりしてるとあやしいなあっておもいますですよ、はいw

 

いや、基本的に刀剣といったものは大好きですよ、ふふふ☆(←いやらしく笑ってみせる、もと剣道部主将、これでもねw)