がらくた銀河

磯崎愛のブログです。本館は小説サイト「唐草銀河」。

ルーヴル美術館展「日常を描く—風俗画に見るヨーロッパ絵画の真髄」いってきたよん♪

足痛いけど行ってきた! 湿布はってるw

www.ntv.co.jp

 

えーと、待ち時間なしでした。お時間ある方は、今のうちに行かれたほうがよろしいかもと。

 

ところで。

風俗画て言葉、馴染みありますか?

 

風俗画はブルジョア階級や貴族階級の一部の間で成功をおさめていたにも関わらず、アカデミーや理論家達からは長い間、マイノリティーまたは下品な絵画テー マだと考えられていました。18世紀に激しくなっていった論争により、風俗画は絵画のヒエラルキーの頂点にあった《偉大な絵画ジャンル》とされていた歴史 画と対立します。神話や聖書のテーマが理想化された様式で展開される歴史画に対し、風俗画の作者達は自身の家族や親密な関係、庶民的な環境を直接観察し、 現実とその簡素さを描くことを探求していました。無名な人々こそが風俗画の画家達の英雄となったのです。風俗画は16世紀からヨーロッパ、特にフランドル 地方で発展していきます。フランスで日常生活を主題とした絵画が発展するには、歴史画が衰退する19世紀を待たなければなりません。

 

「日常を描く—風俗画に見るヨーロッパ絵画の真髄」 | ルーヴル美術館 | パリ

 

んと、まずはアカデミーの成立のはなしとかもしないとアレかなと思いつつ難しいのでスルーして(をいw)、この「ヒエラルキー」について感じながら観るといいのかなあと。

見たいように観ればいいって考え方もあるのですが、いちお知ってると見方が広がるので。印象派がどういうものなのか、ていう意味も含めて。

ちなみに、アカデミーの賞は「ローマ賞」といいます。フランスアカデミー絵画とかいうものがどういう成立をしてるのかって証左になるかなと。

 

ローマ賞 - Wikipedia

Prix de Rome — Wikipédia

 

てなわけで、本調子じゃないのでまあともかく行ってみたらいいやって勢いで出かけたので、グルーズの《壊れた甕》の淡い色合いの美少女を見た瞬間、わたしのテンションあがりまくった!!!

失われた純潔

無邪気な目を大きく見開き、紫色のリボンと花を頭に挿した、子供っぽい無垢な少女が佇み、ドレスの中で散った花を両手で押さえている。ひび割れた甕 が、少女の左腕に掛けられている。フィシュ(三角形の婦人用スカーフ)は乱れて、少女のふくよかな喉下が垣間見え、ドレスの身ごろに付けられた一輪のバラ の花弁はむしられ、白サテンの美しいドレスはやや無造作に身に付けられている。

 

《壊れた甕》 | ルーヴル美術館 | パリ

 

 

 

 

わたし、この子が凄く好きで、大好きで!!!

逢えて嬉しかったなああああああ(はあと)。

テーマがテーマなので、わたしほんとふしだらではしたなくてごめんねって小学生くらいからずっと思ってたけど、でも。

どう受け止めていいかわからないような曖昧な表情してるひと、好きなんだよね。なんか、たぶん。すごく。うん。

あと、

やっぱりレンブラント、指物師のが、よかったなああ。

いわゆる表象がたくさん入れこんであったのには気づいたけど、途中でもうそういうのどうでもよくなっちゃった。ふわっと全部を、あのひかりみたいに包み込むように観ようっておもった。

なんだろうね、あのレンブラントというひとの絵を見るとこう、みぞおちのあたりがきゅううってなる感じは。酷いと鷲掴みにされて引き倒されてガシガシ殴られるみたいだけど。こんかいの絵はとても、やさしかった。

 

あ、クロード・ロランやらユベール・ロベールやら、ほんとに風景をかくの大好きだよね貴方といってあげたいゲインズバラやらという、わたくしお気に入りの画家作品もきてました。

あ、クロード・ロランの名前が出たので、せっかくだからクロード・ロランが本名で出てくるこの本あげておくね!

ローマのテラス

ローマのテラス

 

 キニャールの、このクロード・ジュレ(ロラン)がホント、すごく、無茶苦茶イイので!!!

なんかねー、いやもう、あーこうも描けるんだなあと。

たぶんわたし、ロランの名前だしちゃったのもしかして申し訳ないのかもですが、でも。素敵なの、ものすごく。

 

あと、展覧会にもどって。

フラゴナールが凄かったなあと。いつだったか、素描を見たときにこのひとすごいっておもったときがあって、あれ、なんの展覧会だっただろう?

www.fashion-press.net

 

眼で見た固まりの位置取りと色彩とが動線を繋いで筆遣いでさらに加速かけるかんじが、ね。

絵のよう、ていうのの、まさに絵のよう、だよなあ。

 

そうそう、

わたし、ヴァトーが好きってここで叫んでるからご存じの方も多いとおもいますが。

ヴァトーはやっぱり、雅宴画の代名詞になる気品があって、それをエスプリというのならそうなのかもしれない。そうそう、なんか今日みて、あ、これ「気品」か、ておもったのだった。気品? なんか、そんなふうだった。精髄、真髄? 

それと、フラゴナールはイイのだけど、わたしブーシェまでくるとチョット味付けが濃くて実は好かない。薄味で軽妙なランクレの流れのほうがしっくりくるのね。

それにしても、

少女マンガ趣味といわれようと、ヴァトーは美しいよね。やわやわとした夢まぼろしに幾らかの郷愁とふいに胸を締めつけるような、刺すような、甘い痛みがあって。

あれはなんか、夢のなかの世界だよなあっておもう。

雅宴画、好き。大好き。

 

三島がヴァトー好きっていうの、なんか言いたいこと色々あるけど、ヴァトー見てきた今は握手したいきもちでもある。しないけど、ていうか出来ないけどw

 

西洋絵画観てると落ち着くなあとw

あるべきところにあるべきものが配置されているのがすごく、きもちがいい。

 

ブリューゲルとかムリーリョとかシャルダンその他いろいろ言いたいこともあるのですが、まあ今日のところはこんなで。