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がらくた銀河

磯崎愛のブログです。本館は小説サイト「唐草銀河」。

100  「境界」と「距離」と

今週のお題「名前をつける」

実は101回で終わらすか、煩悩の数108で終わらすか悩んでいるw(100じゃないのがわたし流☆)

伴走メモ自体は引き続いてメモってくつもりなんですが、この連載をどうするかなあって。

あ、そうそう、うささんの「ピンクのエプロン」先日連載完結しました!

いまだから聞けるナントカが満載で、もしかしてわたしが一番楽しみにしてたんじゃないかという気がします、はい(真顔)。でもって、悔しいことに、なんのかんのといつも美味しいところとカッコイイところのすべてをうささんに持ってかれてまして、ですねw 

コラボの実態がわかろう、というものですwww 

登録しなくとも閲覧は可能ですので是非とも読みにいらしてくださいね。

うささん、なにはともあれ、お疲れさまでした!

どうもありがとうございます☆

『夢のように、おりてくるもの』 | CRUNCH MAGAZINE クランチマガジン - 書き手と読み手をつなぐSNS

(連載中です。文字の大きさ変えられます。広告が出なくてとても読みやすいです)


夢のように、おりてくるもの

 

コラボ「花うさぎ」相方うささんの、「ピンクのエプロン」完結です!
https://i.crunchers.jp/data/work/3995

ともによろしくお願いします!

ということで、伴走メモですよ!

今日は勝新太郎バルテュス、お誂え向き、なのだ。

 



ばるてゅすとかつしん!
うん、わたしも封建時代の人間かも知らんよw

 

 何故なら、これからご紹介するのはダニロ・キシュについての本だから。

東欧(という言い方を、とりあえず、する)からパリへと亡命したひと。

境界の作家ダニロ・キシュ

境界の作家ダニロ・キシュ

 

 もうずっと読みたくて、でも、なんかまだ早いような気がして。

とりあえず翻訳本をそれぞれ三回くらいはどれも読んでからにしようとおもって、いや、ほんとはもっと読まないと、ていうはなしなんだけど。

ともかくも、「夢のように、おりてくるもの」をかいているとき、キシュの名前をなんかい伴走メモに記しただろう? わからない。でもどんなに少なく見積もっても片手以上いってるとおもう。

翻訳されてない作品もここの本には取りあげられているので、さびしいきもちのまま読んだのも当然あるのですが、でも。

どうにかこうにか、あるていど大事なところは大きく外していなかったように思えてほっとした。

少しだけ引く。

ただし、キシュは、文学上の対象に「適切な距離」を取ることを、強く意識してきた作家である。母のミリツァの像が自伝的な作品にさえ、あまり表現されないのは、「愛はあまりにパトスに満ちている」ため「母に対してアイロニカルで有用な距離をとることは、非常な努力を払っても、できなかった」からだと言うほどに。異化、断片化、モンタージュ、羅列、ディテールへの固執、パスティーシュなど、あらゆる文学手法を用いて、文学上の対象に「距離」を取り続けた。「中央ヨーロッパ」が文学上の対象であるときにも、事態は同じである。

 

第八章「自由亡命」という選択

3.故国のない男――「ユーゴスラヴィア」から「中央ヨーロッパ」へ

 「差異」という言葉もくりかえされる。

「普遍」という言葉も。

「世界文学」という語も、これらがわたしにはほんとうに想像もできないような想いでもって語られている。そういうことだけは、わかる。わかった、つもりだ。

読みながら、胸が苦しくてしょうがなかった。キシュを読むと、痛い・苦しい・切ない、と感じる。よくわからないのだけど、そこかしこに、そういうものが満ちみちている。ちょっと、そういう作家は他にいない気がする。哀切、というのだろうか。ものすごく、苦しいきもちになる。

そうしたら、こんな文章があった。

「人生がキシュにもたらしたもの、それは苦痛であった。友人の小説家ペキッチによれば、キシュは死の直前に、「痛いところはあるか」と聞かれたのに対して、「人生」と答えたということである。

 

終章 境界の作家 ダニロ・キシュ

 「このとき、キシュの脳裏には、おそらく、第二次世界大戦のもとでの幼年時代の記憶が点滅していたであろう」と続いている。

そういえば、父親との「距離」というのも何かしら、わたしには感じるところがあるようにもおもう。まあ、それはいつか、また。

ところで、

今日のブログのお題、

わたしのはてなIDについてまた、お話ししておきたい。

florentineというのはフランス語で、フィレンツェ人女性、という意味です。

ちょっと、ねじくれている。

素直じゃないと、じぶんでも思う。でもわたしには、こういう「距離」のとりかたが、自分らしいとおもうのだ。なんかもう、さいしょから、「どっちでもない」みたいな。内にも外にもいられない、みたいな。どうしても、なんでかよくわからないんだけど。

たとえばいま、クランチマガジンさんにいたりしても、そこのルールにすっとはまらず、はてなでそれを宣伝してるとことか。ハイクはじぶんにとってはホームグラウンドだとおもってる。でも、じゃあそこにずっといたきりも、たぶん落ち着かない。

よくわからないのだけど、こういう「居所の無さ」って、なんなんだろうね? クラス委員なのにぼっちだった学生時代とか、さw たとえば家庭環境に関係がある、というようなことだけではないとおもうのだな。

そのはじめから、「おはなし」をたくさんよんできたから、じゃないかな、とおもってる。「世界文学」に手がとどいたから、とかっこつけて言ってみようか、うん。

でもそれは、しあわせだけど、苦しいことかもしれない、とも考えないでもない。

それでも、

そうした気持ちがわたしにものを書かせる。

『夢のように、おりてくるもの』のような小説を。

 

まあそんなわけで、キシュのような作家にこんなにもひきつけられるのだから、わたしはもっと、その作品に近づけるようにならないと、ね。

ガムバル!

(あ、どうせなので本はっておく!)

 

若き日の哀しみ (創元ライブラリ)

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庭、灰/見えない都市 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集2)

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砂時計 (東欧の想像力 1)

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死者の百科事典 (海外文学セレクション)

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