がらくた銀河

磯崎愛のブログです。本館は小説サイト「唐草銀河」。

叉似刃(CYBER)本丸琴弾之記四 「細川家起請文の世界展」と「大名細川家の茶席と加賀の九谷焼展」にいってきたよん♪

ようやく行ってきたよーーーーん☆

会期は6月28日(日)までです!

 

起請文は、自らの主張や約束が偽りないことを神仏に誓う文書です。
永青文庫熊本藩細川家の家臣が主君や上役に提出した起請文を約270通所蔵しますが、その4割は、第2代細川忠興(1563-1645)が死去するまで の間に提出されたものでした。この時期の起請文を通して、戦国から江戸時代へという転換期における武士の生き方の変化に迫ります。

www.museum-cafe.com

 

 

公式サイト

永青文庫美術館

 

こちらさまで学芸員さんによる説明のこと等もありますね。

行けたら行きたいです。

blog.goo.ne.jp

 

あと、これも。

 

「私は三斎のスパイじゃない!」室町幕府三管領の一家、細川家起請文(きしょうもん)の世界とは!? | 和樂和樂

 

あの、ほんとにマジで、こんな感じでした……三斎(忠興)さん、いったい、ていう??? 

さすが歌仙さんの元主!

(いえ、その、どういう人物かまったく知らないとかいうわけではなかったんですが、あれ見るとホントに鬼気迫るというか何というか、言葉を失う)

いまどきの言葉でいうと、親子(忠興と忠利)と祖父孫(忠興と光尚)の喧嘩(?)に巻き込まれてみんなして疑心暗鬼になってるブラック藩みたいな感じ?

息子の忠利に先立たれてるところもこう、なんていうか。

(そんなでも忠興さんが嫌いじゃないぜ、というかむしろ好きだったりするのでわたしというひとはまったく!)

なかには、お家騒動ストレスによるウツ病に違いないと思わせるものがあったりとか、ね。いや、ホントびっくりした。

 

ともかく強烈な個性の持ち主である忠興(三斎)さんの巻き起こす波紋というものなのかもしれないし、あとはやはり時代の移り変わりも大きかろうと。

ご存じの通り、天草の乱とかもありましたし。

 

うえの記事にもあるように、戦国期から江戸への過渡期に生きる上での価値観そのものが変わっていく、そのことが個人の起請文のなかに見える、というのが個人的にとても興味深かったです。三斎についてるひとは、三斎という武将(ひと)に従ってるのよね。

ところが続く後の世代はそうじゃない。

「御国家(御家と御国)」という言葉が出てくる。

そりゃもう、全然チガウよね~。

 

あ、そうだ。

「小原無楽等十名連署起請文」に古市宗庵の名前を見つけて小躍りしました。知ってる名前があると単純に嬉しい。

 

細川三斎細川忠興)は利休七哲に数えられるほどの達人であるが、豊前小倉忠利家督を譲ると、忠利は寛永2年(1625年)に円乗坊宗圓の婿である古市宗庵を細川家の茶道役として召し抱えている。三斎も忠利も、古市宗庵に利休から変えることのない「古風の茶の湯」を伝えることを命じている。これが肥後古流の祖である。

 

肥後古流 (茶道) - Wikipedia

 

kotobank.jp

 

 ちなみに「小原無楽等十名連署起請文」は、「丁寧な扱いと破損させたら隠さず報告する」などという誓いだそうです、はい。

 

お茶のはなしが出たところで、有名な逸話ですが、三斎は古田織部とともに利休さん切腹の際に会いにいってるのですよね。最悪自分もそうなる可能性があっても。このひとは、「ひと」についたんだろうな。

お父さんの幽斎とはちがうのかな、とか色々考えてるけどまだよくわからない。

このへんはまた。

 

同時開催で「大名細川家の茶席と加賀の九谷焼展」も素晴らしかったです!

利休さんの竹蓋置、そして柄杓が出てた。

いっつも思うんだけど、なんかこう、キレッキレなんだよなあって。見てると痛いような、光悦の「雨雲」の口にある硬さとはまた違うけど、なんだろう、あれ。なんていうか、利休さんのっていっつもわたし、怖い、ておもう。こわいし、強(こわ)い、かなあ。うまく言えないけど、こう、たまに喉元にぐうううって迫るというか、きゅって息が止まるような感じもある。ぽやん、て見るのを決して許さない、とでもいうのか。

 

ただ、そう、んーと、今日展覧会場の何かの史料を立ち読みしてたとき、関ヶ原で忠興が首級136もあげたとか書いてあって、わたしホントに戦国時代とか知らないのでアレですが、えーと、それって凄すぎだよねて呆然としたので、何が言いたいかわかりませんが、そうだよこのひとたち命のやりとりを日常でしてるんだよなあって、たしかお茶の御点前の袱紗の扱い、ちりうちは確か、毒を盛ってないですよの所作だったはずだし、平和ボケした現代人で身体能力も低いわたしには何かしら強烈な圧迫感を与えるだけの「モノ」であって少しも不思議はないんだよなあって、前からおもってたけど、もっと感じるようになったかも。

 

逆にすこし想像できるようになったのは、松向殿(軒)(庵)の写真パネルが二枚あったこと、かもしれない。

blogs.yahoo.co.jp

 

大徳寺 高桐院 松向軒

http://www2.wbs.ne.jp/~eltango/syoukouken/syoukouken.html

 

これに関してはまた書くかも。言語化はできてない。

 

それと、同じお部屋にパリで装幀させた本があって、背に置かれた足利の「二つ両引き紋」がとても素敵でした。ああいうのタマラン。

あとシルクロード関連の書物とかね。

 

細川三代 〔幽斎・三斎・忠利〕

細川三代 〔幽斎・三斎・忠利〕

 

 とりあえず、ちょっとずつ史料よんでいきまする~ん。

 

まあそんなこんなで思いつくまま書き散らしましたが、とても面白かったです!