前期に引き続き後期もいってきたよー!
足がイタイけど帰りの電車で杖に気づいた方に席を譲っていただいたのでだいぶ楽でした。この場を借りて再び御礼を。ありがとうございます。
ちなみにこれが前期分。
どんな展覧会かというと、こんなのです。
後期「日本屈指の経営史料が語る 三井の350年」では、三井文庫の膨大な所蔵史料から選りすぐった経営史料により、日本から世界へ歴史の波濤を乗り越えてきた三井のあゆみを紹介します。 三井文庫所蔵史料の大規模な展示は、これまでに例がなく、史料現物の迫力を感じられるまたとない機会です。
三井の文化と歴史 [後期] 日本屈指の経営史料が語る 三井の350年/東京の観光公式サイトGO TOKYO
そして、公式サイトからこちら。
出展目録
http://www.mitsui-museum.jp/pdf/mokuroku_150514.pdf
えーと、わたくしがまったくもって経営とやらに疎いので、お話しできることってほとんどなくて、ですね。いやもう、申し訳ないというか、こんかいはカタログがわりのご本も買って帰らなかったので余計にあやしい(欲しんだけど、いま無職のくせにカタログ買いすぎてヤバイです。近々に必要じゃないのは後回し)。
よって、このへんはっておきますね!
雰囲気わかるとおもいます。
いくつかわたしのテンションあがったところをば。
海運橋第一国立銀行の広重の絵のところだったかで、うろおぼえですみませんが、「渋沢栄一に実権を握られてしまった」(うろ覚えです、メモってこなかったゴメンナサイ)みたいなことが書いてあって、ひとりで大受けしてました。そうだよね、うん。なんかこういうところがツボるのですよ、個人的に。
わたしのブログには渋沢栄一タグがあるんだよ、ははは。
詳しくはこのへんを。
こうした渋沢の呼びかけに応える形で
江戸時代からの両替商、小野組による100円
同じく三井組による100円に加えて
一般からの出資44円が集まり
当初244円の資本金にて、日本最初の銀行が立ち上がったのです。
こんなのも。
明治4年8月着工、翌年6月に竣工した建物で、清水建設の前身清水組の二代目清水喜助が設計施工が手がけたました。当初、三井組の銀行として設計計画が行 われましたが、明治6年に第一国立銀行として開業することになりました。変則的な5階建てで、当時としては画期的な高層建築でした。画面左下には、郵便外 務員の姿が見られます
それから、
富岡製糸場の生糸があった!!!
ラベルがフランス語だった。だよね、知ってる。
でもわたし、あれちゃんと見たの初めて。史料写真では何度も見てるけど現物見るの初めてです! 感激した☆(昨年の文学フリマ秋に出した合同誌で富岡製糸場関連の小説「あやとりゆめむすび」を書いたばかり)
おーーーーってなった。
凄く、綺麗。光沢が美しい。あれはたいそうよいものです(←元呉服業界人)。
それと益田孝(鈍翁)の文字とか、あ、見たことあるなってなって、今度こそ覚えておこうとか、ね。
あとGHQの覚書とかも、おーってなったんですが、
そこはまあ絶対に出されてる資料だろうと思いながら見にいってあったので。
わたしがすっかり忘れてたのはこちら。
血盟団事件関連。
その事件を忘れてたとかじゃないですが(三島の『奔馬』に出てくるから忘れたりはしない。あ、そうだった、みたいな)。
テロ、だよね。
茨城県大洗町の立正護国堂を拠点に政治運動を行っていた日蓮宗の僧侶である井上日召は、1931年、彼の思想に共鳴する近県の青年を糾合して政治結社「血盟団」を結成し、性急な国家改造計画を企てた。その方法として彼が考えたのは、政治経済界の指導者をテロによって暗殺してゆくというものであった。「紀元節前後を目途としてまず民間から血盟団が行動を開始すれば、これに続いて海軍内部の同調者がクーデター決行に踏み切り、天皇中心主義にもとづく国家革新が成るであろう」というのが井上の構想であった。
うん、
血盟団て名前はたぶん、教科書じゃなくてこっちで覚えた気がするね。
そして、太政官札とか。
あ、これ、本よまなきゃなやつだと思い出したり(メモってはあるのだ、メモっては!)
なにしろホントになんにも知らないというか物知らずすぎてツラいと思いながら生きてるので。
経営とかがわかったらきっともっと面白いんだろうなと思いつつ(近世近代史の、「史料」をああやって大事にとっておいて、だいぶ早いうちからきちんと編纂する、ていうのは素晴らしいことだよなあと。小学生並みのことを呟いておきますです。