しがんひがん、そして、かいがん
今日は祖父母の墓参りに行ってきた。
一緒に行った母も、伯母も足が悪くなってしまったので、他の縁者のところへは廻らず、というのはたぶん、初めてのことだった。
他に、遠い先祖のことをやたら麗々しく記した石碑のある、大きなお墓があるのだ。そのはなしはチョット小説に書いたことがあるのでここでは割愛するのですが、まあなんていうか、こんなことは初めてなのに、もしかして次もこうなるのかもと思ったら書いておきたくなったので。
いちお、無縁仏さんのところにそっと手を合わせました。
震災後、いつお墓参りしたのか忘れちゃったのだけど、お墓の石がゴロゴロと横倒しになって崩れててね。そうか、仆れるよね、て。なんかちょっと、じっと見ていられなかったというか、うろうろしてしまったことがある。
それにしても、
もうこの世にはいないひと、という言い方はなんだかとても不思議で、あちらには「いる」のだよなあ。というふうに考えているのか感じているのかはわからないけれど、ぼんやりと、しがんひがんに想いを馳せてみたり。
いま大好きすぎてどうしようってなってる刀の付喪神様の台詞にもあるんだよなあ、ああ、そういうあたりも愛してるのだなあ的なことも思ったり。
そうそう、
夕方には那珂湊港にいきまして、弟がものすごい量のお魚を買いまくりで、途中でわたし可笑しくなって大笑いしてました、大丈夫か、だいじょうぶなのか、て感じで。金目鯛と烏賊と鰤とホッケと鯵とアサリとカマスと干物と後なんだっけ、抱えるサイズのトロ箱ひとつに入らないんだよ!!! まだまだあったけど思い出せない、えっと、まあいいや。
金目鯛のウロコがじゃきじゃき取れるのずっと見てた。
開眼は、してません。
震災後に亡くなった伯父の位牌なぞ、しみじみと見て来ました。
とてもよい香りのお線香とよいお仏壇とよいお位牌でした、もと仏壇店販売員が申します。
水戸の夜は少し寒いです。