4時間くらい汗かいて寝たら、鼻がとまりました。節々が痛くてたまらなかったのがダルイにかわった。やはし、さっきが底、か。明日かあさってには動けそうだな、と。
今日はさっそく伴走メモいくよ。
ということで、わたしイタイひとだねw
といいながら、編集S氏に「自意識過剰ながら韜晦があるから、読める」と褒められたので(というかもひとつ言われたがこれは秘密だ)、ていうか、じゃなきゃ恥ずかしいじゃん、ねええ???
まあしかし、その「韜晦」もエレガンスと呼べるほどの何かになってはいないのであろうから、全部脱げと言われてるのだという批判は受けとめつつ。
ていうか、すらっとほんとになんでもいえるひとは「強い」よね。わたしは真似できない。それなりに痛い目みてるし。
てことで、今日はクランチさんにのせたやつをさらに引っ張ってきた。いや、アマゾンリンクはりたいので、ね。
(あとやっぱり、使い勝手が、ね。これはしょうがないねえええ。
クランチさんはでも、まじで小説は読みやすいので絶賛おすすめです。これはほんとに、保証付き!)
モテても何もいいことはない。
というのが主題のひとつです、というのはわりとハッキリあちこちで言っている。
そして、こういうことをすらっと何食わぬ顔でいえるのが、わたしの「長所」だとおもってもいる。
自慢ではない。じぶんがそれだけ「弱い」のだという告白に他ならないからだ。
他者の欲望の餌食になることがある、と言い換え可能な体験をつねづねしているという訴えであるからだ。
とはいえ、わたしはそこまで弱くはない。
むろん、強いわけでもない。
これで「ふつう」だと、おもっている。
それに、
誰が、なにを、いつなんどき都合の好いように解釈し、またはその欲望を押しつけ、意のままにならぬと知ると離れていくかなんて、わかるはずもない。人生は「小説」ではないのだから。
あからさまに性的な事柄、鬱陶しい自虐、または露悪的な自己開陳、そういう物事で耳目を集めるのはエレガンスにかける。しかし、そういう「時代」なのだとも思う。厄介だ。なので少しばかりやってみた。いかがだろうか?
あまりそれらしくできた気がしないので、不評かも知らん。まあ、それはいい。
ひとが、「恋愛」という名の何かでしでかすことのほとんどが凄まじく滑稽で、かつたいそうおぞましいことどもの連続だ。
それに麗しい美辞麗句をつけて売り出すつもりは毛頭ない。
それは基本、「災厄」だと思っている。古典的に過ぎるかもしれないが。
アベラールとエロイーズ―愛と修道の手紙 (岩波文庫 赤 119-1)
- 作者: アベラール,エロイーズ,畠中尚志
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比較的手に入りやすいものをあげてみた。が、
それと佐藤輝夫訳もあるらしい。だが残念ながらこちらは未読。トリイゾの翻訳(旧版!!! 新版は平易すぎて味わいにかけるとわたしはおもう)が素晴らしいので、おそらくそちらもおすすめである。
あの頃彼女は「どうしても、どうしても、恋愛が書きたいのだ」と言った。
「なのに、お前には書けないと言われた」と嘆いた。
「おおきなにもつ」より
相方うささんの、「ピンクのエプロン」
https://i.crunchers.jp/data/work/3995
たしかに、そう言われた。忘れてはいない。しかも、そう言った相手はここを読みもしないであろう。たかだか少々相手の気を引いてモテたくらいでは、そのていどのことなのだ。
どうせそこまで言うなら、わたしがそれを書けるまでシッカリ見ててくれよ、とおもう。
だから、すこしばかりモテても何もいいことはない。
とはいえ、
そのいっぽう、そういうことをおぼえていて、こうやって記してくれるひとがいるのだ。
わたしの名は磯崎愛。
「SF帝国歴史ファンタジー領ロマンス特区」に生息している小説書きである。
この銀河のありとあらゆることを書くよ!
以前、恋愛は奢侈品といったおぼえがある。まあこれ、べつにわりとあたりまえかと。
しかし、奢侈品くらいなら、いいのである。贅沢をできるだけの身分があれば、わがものとすることも可能だ。
けれど「災厄」となるとそれはもう、スティグマとか何とかという世界のはなしにひとしく、誰もが手に入れられるわけではない。
このおはなしの主人公たちはみな、物語世界のひとらしく(!)、それらを我が身に受けとめている。幸か不幸か知らないが。
そういう、はなし。
『夢のように、おりてくるもの』 | CRUNCH MAGAZINE クランチマガジン - 書き手と読み手をつなぐSNS
(連載中です。文字の大きさ変えられます。コメントとかはこちらのほうがつけやすいかもです)