いまさっき、ツイッターとミクシに「下書き」を垂れ流したのは、わたしです(涙)。いやん!
さいきん、パソコンの調子が悪いです。地震より原発より、そのほうがずっと怖いとマジで思う瞬間があって困ります。いちお、ワード文書は保存してあるんだけど、「毎日」はしてないからなー。
ま、そういうお馬鹿な愚痴はおいて。
キニャールさんですYO!
強靭……ではなく(?)、
透徹とした知性をたたえながら、どこか弱々しさの漂うパスカル・キニャールも、やはり好きだと思ったのであげておこうっと。「書く」という行為を、こんなふうに語ってくれて、そのひとつひとつに頷きたくなるのは、自分のなかにもこの種の戸惑いや恐れがあるからだと思う。
ことばは恐ろしく、そして強い。
その強さに怯みながらも、「書く」という行為によってしか自分を表現できなかった(できない?)己を省みて、彼の「書くこと」に、なんだかとっても納得してしまう。
きっと、すごく好き。
愛してると言えないけど。
と書いたのが、2008年のことだった。
なんていうか、どこが「弱々しさの漂う」なのよっ!? と、おのれの不明を恥じる(慙愧の念的な?w)って気もするが、晒しておくよ。うん。
まあでも、なんだ、「母恋」的なはなしを書かれると、そう反応したくなるのよね。
んでもって、こっちにも再掲しておく。
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キニャールの作品をよむと自分の考えていることをこれ以上ない形で書かれてしまったと感じる。だから、愛してるとか言わないけど、一生よむと思う。
以下、ネタばれ満載なので閉じておきますね。
(と、掲載当時は書いたけど、いまは閉じないでおきます)
「早すぎる自伝」という名称をこの作品に与えることを躊躇う必要がどこにあるのかわたしにはわからない。躊躇ったのは自分であるが、それはこの作品が今のわたしの年齢と同じ年(2009年当時)に書かれたことを知ったからというわけでもない。かるく驚きはしたが、そんなことでいちいち感動できるほどナイーヴに育ったつもりはない。そう、フランス文学を読むのに、無垢(ナイーヴ)ほど相性の悪い性質はないのだから。
訳者の書くように、主人公シノーニュとセヌセは作者の分身であり、いっぽうを殺さずにはおけなかったのも、それは作家の生理として当然だ。
わたしは読み方を間違っていた。
そう。
何かしら、こう、間違ってしまったのだ。
予断、というものをもって読書にのぞむのは相応しくない。いや、相応しくない本がある。あらかじめ予期されたものがそのとおりに進むことで覚える快楽と、まったく異なる愉悦がある。
すでにして、この作品に彼のその後の主題、ライトモチーフ的なるものはひそみ、否、突出し、その音を、聴き取る耳をもつことができたのは楽しかった。
あふれんばかりの固有名詞の乱立に、その押し寄せる知識の波に、からだのあちらこちらを刺激されてすすみながら、そうだ、小説というのはどう考えてもカンタンにできすぎていると考える。わたしはいつもそう感じ、でも、と反駁をのみこんできた。
いったん途中で投げ出したのは、女が、つまりは《運命の女》がつまらなかったからだ。わたしは読み方を間違った。これは、男ふたりと女ひとりの三角関係のメロドラマという筋立ての話ではなかった。わたしが勝手に勘違いをしたのだ。帯をみて、表紙の裏の文句をよんで。
間違ったのはわたしだ。
残念だ。
とても、残念だ(せ・とれ・どまーじゅ)。
ドイツ語とフランス語にひきさかれるキニャール。
ガリマール社に勤め、古典(バロック)音楽に精通し、古い家柄のオルガン職人の家にうまれた彼。
記憶。
それは、過去のあらたなる創造だ。
意図された、または意図されぬ間違い、勘違い、覚え違い。
そのなかにしかないものが、人生だとしたら。
作家はたえず嘘をつく。
ほらふき男爵のように。そう、シノーニュ、あなたのことだ。
騙されたほうがいい。きっと。
読み解こうとするのが間違いで、ときに気の抜けたような記述があることで、読者は今まで捲ってきた頁に罠がはりめぐらされていると気づく。
川は流れる。
フランスが運河の国であり、河川の国であることは疑いをもたない。そしてまた、それは遡ることのできる緩やかなそれだ。
国境を分かつものである川は、分断する記憶にふさわしく、また流れ逆らうもので、かつ母なる海へと注ぎ込むそれで、キニャールはまことに男性作家らしく、川にありとあらゆる性的なものを見る。聞く。
プルーストのような作家をうんでしまうフランス語は、どうしてもどうやっても時制に絡めとられる。あんなに時間を考えて話していては気が狂うのではないかと心配になる。
そして、気の触れたような書き方をする作家がいるのだ。キニャールだ。美しい、うつくしい、夢の詩。
ひとりの作家の誕生に捧げられた褒め歌を、わたしはどうやら飲まされたらしい。こころよい自己陶酔の極上の甘露か、アフロディテの生まれた貪欲で濁った泡かはわからない。
一生つきあいそうな予感が確信にかわり、ひとまずは、読みかけのプルーストに戻るかとため息をつく。