がらくた銀河

磯崎愛のブログです。本館は小説サイト「唐草銀河」。

『夢のように、おりてくるもの』外伝・小咄「明月」更新しています! 

 先ほど同人誌原稿を提出したのですが、

三人称がむずかしくて泣きそうです、わたし!

 

いちお小説更新のお知らせなんですけど、

これ、一人称だから、ねええええええ。

(茶髪くんパートに限っては「二人称」ぽいアレだけど、「あなた」で書いてるからさ)

 

『夢のように、おりてくるもの』外伝・小咄
「明月」
http://karakusaginga.blog76.fc2.com/blog-entry-761.html

店長とラスボス。
髭のない店長みてすぐさま書いたのだったまる。

by florentine(磯崎愛)

 

いちお、まとめて読むならこちらを。

夢使い」の青年と大学生。ふたりはコンビニのバイト同士。仲はけっして悪くないけど、ちょっと微妙な距離……。「夢使い」という不思議な仕事を生業にするコンビニ店員と、大学生アルバイトのお話しです。
※自サイトからの転載です
※2013年9月28日完結しました。本当にどうもありがとうございます! 
※R18シーンは第二部以降になります。予告なしに性的・暴力的なシーンが入ります。ご注意ください。
※同性愛・両性愛異性愛その他、多様な性愛のかたちを描いています。

夢のように、おりてくるもの

 

 で、

いま、外伝を連載してるんですけど、ね。

いや、まあ、これでヤリタイことに関してはべつにここでいうことじゃないからイイんだけど、さ。


コラボ「花うさぎ」『夢のように、おりてくるもの』、約二年半にわたる連載、完結いたしました! どうもありがとうございます☆ - がらくた銀河

 

その他このへんもどうぞ☆

 

花うさぎ無計画発電所 - はてなハイク

花うさぎ - はてなハイク

 

 

花が、見たいなあ(←一月以上家と病院往復のみのひとw)

たまに素で忘れるんだけど、ものすごく花、ていうか野山にある植物が好きなんだよね、好きというか、里山的なところにいないとツライ、みたいな。コンクリートジャングル的なアレが合わない、ていう。田舎に育った素朴なひとなのでw

当たり前に身の回りにあること、ていうのは失うと気づくのよね。

今年は梅の香を知らないでいる、なんてかわいそうなわたしでしょう!(いや、マジで。夜に紅梅の香を聞かないなんてねえ)

けっきょくお茶が性に合ったのは「野にあるように」だからだなあ、と。あ、でも、温室の花の人工的な美しさにはそれはそれで妙に魅かれるところもあるので、うん。人間の好みってオモシロイね。

あ、

こんかいのタイトルはもちろん、定家卿から。

定家明月記私抄 (ちくま学芸文庫)

定家明月記私抄 (ちくま学芸文庫)

 

 

定家明月記私抄 続篇 (ちくま学芸文庫)

定家明月記私抄 続篇 (ちくま学芸文庫)

 

  堀田さんの明月記については何度もなんども書いたのでアレですが、

ともかく高校でこれをよんで、わたしがどれほどコウフンしたかは余人にはわかりますまい!?w 定家卿のお歌だけ浮かびあがって見える、あの不思議な現象を解き明かしてくれたひとでもある。

あ、あとね、定家卿ではなくて、

これは、嵯峨本といわれるご本の成り立ちのおはなし。

嵯峨野明月記 (中公文庫)

嵯峨野明月記 (中公文庫)

 

 琳派が好きなかたは読まれたら面白いと思う。

またいつか。

 

それはさておき、

コラボ花うさぎ相方のうささんがブログはじめて短編とお絵かきしてるので、みんなこぞっていくといいですよ☆


短編小説 さばれもん - usaurara's diary

 

 んじゃね☆

わたしの好きな三島由紀夫(何度でも書くけど)

不貞寝をしていたが、とりあえず気分転換に何か書こう。

花ざかりの森・憂国―自選短編集 (新潮文庫)

花ざかりの森・憂国―自選短編集 (新潮文庫)

 

 いま、こういう表紙なんだねえ。

わたしの初・三島。このなかの「詩を書く少年」のせいで、わたしは「詩を書かない少女」になった。15歳のときのことである。

我が家には古今東西の詩の本がそれなりにあったが故に書かなかった、ともいえるのだがこの三島の自伝的小説を読んでしまって後に何か書きたいとは到底おもえなかった。

かえりみれば、わたしの「初めての作家」が三島なのは当然で、我が家の書棚に元からない著者だったのだ。*1

じぶんの部屋の小さな本棚一段くらい、つまりわたしの肘から下の長さ分ほどは新潮文庫をあがなった気がする。あの特徴的なオレンジ色がだだだーっと並んでいたはずだ。その程度には入れ揚げた。

じつをいうと、表題作の「花ざかりの森」が今となっては一番好きかもしれない。その当時は、「中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃」とかが大好きでしたけどね!

(「海と夕焼け」とかもモチロン。いや、なんていうか、三島のチュウニ病力の凄味はほんとにホンモノで、ムチャクチャ可愛くて魅力的なので、チュウニ病大好きなひとは読むといいよ)

「橋づくし」とか「女形」とか「遠乗会」の、三島の黒乙女(乙女は黒いほど麗しい!)とでも呼ぶべき意地の悪いところは大好きで、このへんは昔もいまも、なんか、うん、ていうかんじ。フローベールとかも意地悪だけど、乙女じゃないんだよね、ほら、ボヴァリー夫人はわたしだとか言ってるくせに、乙女度が、ね。低い。フローベールにはやはり可愛げが足らないのだ。

だが、しかし、三島はチョー可愛いんだよ、そこかしこで! ひとのこころをくすぐるように、可愛い。花ざかりの森、本人たしかリルケ風とかいってるけど、ごめん、それ、少女小説風ですよ、かわいいもん。

て、おもいながらよんでます。(ちなみに読みかえさないでこれ全部書いてるよ、わたしw)

ところで、

三十越して仕事上の必要にかられて三島を読んだ編集S氏に、あれを中学生でよんで「自分に似てる」「自分ももっと小説書くぞ」て思った磯崎さん、ほんとおかしいですよね、ふつうはこんなの読んだら自分には小説なんて無理だと思うはずです、とか言い腐されたことがあるのですが、しまいには「でも確かに似てはいます」て言ったので、「でしょーーー!!!」と相槌をうって前段の悪口は忘れてあげましたw(←忘れてない)

そのくらい、わたしの三島への愛は自己撞着でキモイので大変なんですが、ちょっと晒しとくよw(わたし、若いなw いまのほうがスレてる、というのがわかったので再び晒しあげとくぜ)

~三島らヴ☆(我ながら、これは気色の悪い妄想であるとお断りして)~ 

16日のトークイベント後、中央快速線に乗り込んでからずっと、
三島由紀夫のことばかり考えていた。
トークで名前がでたせいもある。
でも、そうでなくとも思い出したに違いない。
「読者を信じる」ことを自分に許そうとしなかったひととして。
または、それが出来ずに死んでしまった作家として。
わたしの胸のなかにはいつも、彼がいる。
わたしの初めての「作家」であるし、そしてまた書きつづけてほしかったひととして。 
 
世の中のひとはどう考えているかわからないけれど、
わたしは、小説家が自殺するときというのは、
「書けない」という、ただ一つの理由のためだと思っている。
病気とか借金とか色恋とか政治的理由とか? そりゃあ理由はあるだろう。
でも、「書ければ」死なないと思う。
死ねないとも、思う。
 
誰とはなしても、「三島は馬鹿だ」といわれる。
も ちろん、わたし自身もそう感じないではいられない。というか、「愛すべきお馬鹿ちゃん」というとっておきのナイスなポジション(ここ、笑うところなのかど うかイマイチ書いててもわかんないのですが)があったのに、どうしてそこにおさまれなかったのだろうと、いつも悲しくなる。ときたま短編でちらりとみせ る、その幼稚なつぶやきめいたものこそを、切り捨てず、大事にして、隠して生き延びさせながら、60歳か70歳すぎてもう格好をつけられなくなってきたと きに長編として世に問えば、それは、真実の「黄金の書」になったと思うのに。

ところが三島はそれを刈り取って踏みつけて無いものにして、自分の命を投げてしまった。 
 
三島とその肉体、ボディビルの件は誰もが語りたくなることで。
ああいうことをせずにはいられなかったのはともかくとして。
なんてバランスの悪いひとだろうと嘆いても、もうその声は届かない。
 
だからというわけでもないが。
わたしはときどき夢にみる。
 
『豊 饒の海』を書き終えた瞬間の三島を拉し浚い、乳と蜜の流れる楽園のような惑星に連れて行き、20年くらい死なないように自分を痛めつけないように見守って (ていうかズバリいうと監視して)ときどき盛大に褒め上げて(途方もないさびしがりだから孤独にはたえられんと思うし、さりとて他の人間がいると緊張する し、はたまた賞賛されないと欲求不満になりそうのでイロイロめんどいのだがな)、いいかげんに堕落して日本語わすれて弛緩しきったところで地球に戻し、机 の前に座らせたいといつも思う。
 
それでも書きたいものがあるかどうか、問うてみたい。
 
きっと、あると、思うのだよ。
人気作家としての下手な賞賛で間に合わせるようなレベルのものでない、またはこう書けばこう論じられるだろうというような小さな小説世界の約束事からはなれた、超ド級の文学が。
 
(いやー、それにしても、この妄想も変態度満点だねv そして三島の場合、ドは、カタカナだよね。このひとSFスキーだから)
 
ナボコフは三島を貶しているらしいと聞いたことがあり、そりゃあそうだろうと思う。
そ れでも、わたしはロレンス・ダレルの『アレキサンドリア四重奏』より、三島の『豊饒の海』のほうが小説として格上だと思う。後から来るものは強い。いっぽ うで、谷崎の『細雪』に比べると、あまりにも弱い。おかしなことに、そう感じずにはいられない。もちろんわたしはその理由を自分なりには飲み込んでいる。 だが、ここでは挙げない。
こんな、強いとか弱いとかいう大きすぎる単語で言い尽くせるものではないし、それをちゃんと相手に伝えたいと望むなら、「小説かくしかない」と思い定めてしまうのがわたしなので。
(だってだって、小説よんだら小説かく以外にスルこと思いつかないよ!)
 
三島は読み手を裏切りたいと望み、賞賛という冷たくやわらかな愛撫を欲しがることをやめられず、何処へもいくことを諦めて、自分自身を本当の最後の旅に連れ出してしまった。
 
あ の文体で表現できる最上最高のものをやり尽くしたからといって、そしてその限界がもう見えてしまっていたとして、でも、それはきっと変えられたはずだ。変 われなくて苦しかったのだろうとはわかるけど、でも、変わることはできたと思う。たとえば、ジョイスのフィネガンズ・ウェイク自分でぜんぶ訳しちゃうとか ね。かなり無茶しないとダメだっただろうけど、やるだけの意味も意義もなにもかも、あったと思う。
 
「信じる」という行為は、小説家のもつ生理とかなりかけ離れていたりする。少なくとも、わたし自身はそうであるし、自分の好きな作家たちを見ても、基本「疑り深い」系であると言って咎められないと思われる。
(だいたい、大声でいうけど、信じやすい作家のかくものが面白いわけナイだろう。そんな素直で可愛いお馬鹿サンが書いたもの、読みますか? 読みたいですか? わたしは読まないよ)  
 
信じていれば、最低限の言葉でいい。
ひとことで言えれば、言葉は重なっていかない。文章にも、ましてや小説にもならないであろう。書けてしまうという時点で、だから、信じてはいないのだ。何もかもを。
みなが何気なく思い込んでいることに疑義を呈するのも「小説家」の愚かさという名の特権であろうことを鑑みても、きゃつらは殆どなにも信じてはいないのだ。
この世がこうであること全て。ほんとうに、すべて。
 
さりながら。
小 説家は己の生理に反してまでも「信じる」必要があるし、それを迫られるのが「小説」(書く行為)というもので、また「信じ」なければ書き得ることのできな い「小説」があるのもまた事実で、奇妙なことにそういうことだけは「真実」だと言い切ってしまう素朴さが、これ以上ない「小説家の愚鈍」であると思いなが ら。
まあべつに、こんなこと、物書きはみんな書いてるので今さら言うことじゃないよなあと頭の隅で考えて、ほんと、このひとたちって恥ずかしいわ、と我が身を振り返らずに嘲弄し、あとでひとりえすえむ的に愉しむことにする。
 
いちおう、わたしにも、ささやかながら廉恥心はあるのだ。芥子粒くらいにちっちゃいけどね。
あと七度うまれかわっても、『カンディード』ほどカッコイイ小説かけるようにはならないと思う、甘ったれた自分にカツをいれてみた次第。
んじゃ、更新準備してきます☆

 ちょ、待て!!!

いまブログの数みて吹いた。

みんな、春の雪だけよんでるとか、そーいうわけじゃないよね??? たまたま一巻目だからだよね??? 四つ貼るのめんどくさいからでしょ!!!

春の雪―豊饒の海・第一巻 (新潮文庫)

春の雪―豊饒の海・第一巻 (新潮文庫)

 

 

奔馬―豊饒の海・第二巻 (新潮文庫)

奔馬―豊饒の海・第二巻 (新潮文庫)

 

 

暁の寺―豊饒の海・第三巻 (新潮文庫)

暁の寺―豊饒の海・第三巻 (新潮文庫)

 

 

天人五衰―豊饒の海・第四巻 (新潮文庫)

天人五衰―豊饒の海・第四巻 (新潮文庫)

 

 とはいえ、だ。

べつに読まなくともイイ小説って言われたらそうかもしれないなあ。必要ないひとはトコトン要らないものだとおもう。日本人作家の大部の小説読むのなら『細雪 (上) (新潮文庫)』の三巻をすすめるな、わたし。

それに、けっきょくだって、三島はゴンブローヴィッチに負けたんだよね、みたいな気持ちになることがある。やさぐれてw 

もう、こういうの、愛ゆえに酷くメンドクサイ。

(ゴンブローヴィッチについてはこのへんを。でもごめん、『コスモス―他 (東欧の文学)』は未読なのだ。ゴンブローヴィッチ カテゴリーの記事一覧 - がらくた銀河

まあでも、

わたしは大好きだけどね!!!(『細雪』のほうが凄いとおもってるけど、贔屓というのはそういうものじゃないのだよ)

豊饒の海について語りだすと終わらないからここでやめとく)

どうせなんで、三島の自選短編もいっこはっとくね。ここを読みに来てくれる方にはキニャールファンも多いでしょうから。

真夏の死―自選短編集 (新潮文庫)

真夏の死―自選短編集 (新潮文庫)

 

 翻訳者・高橋啓さんのブログから。(もう、読めないです。閉鎖されてます)

キニャールの今回の「王女メデイア」では、
Midi Médée médite.という台詞が何度も繰り返される。訳せば、
「真昼にメデイアはもの想う」
『真夏の死』というタイトルを思いついた三島由紀夫には、ただただもう絶句するばかり。

王女メデイア
http://web.me.com/k.t.trans/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E5%95%93%E3%81%AE%E5%8D%81%E5%8B%9D%E6%97%A5%E8%AA%8C/Blog/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC/2011/8/16_%E7%8E%8B%E5%A5%B3%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A4%E3%82%A2.html


「読書の秋2011:王女メディア」に行ってきました! - がらくた銀河

 

どこで書いてらしたか忘れたけど、高橋さんは三島をほとんど読んだと。

なるほど、高橋さんの翻訳がわたしにとって怖いくらいにキモチイイのはそのせいかもしれないと、そのときふとおもったのだ。

わたしの三島文章評。

文章のブランク(一行明け)や句点読点の打ち方、または改行のあざといまでの巧みさは、三島由紀夫がダントツであると言ってしまう(笑)。
否、じっさい酷くあざといのだ。下品すれすれのキワモノ的エレガンス。
(下品と呼んでくだすってもかまわない。三島は多分、嫌うであろうが)
三島は小説より戯曲が上だと力説するひとの判断を、わたしはとても正当と思うのだが、それはひとえにあの「間」の取り方の絶妙さに由来するのではなかろうか?
(それだけじゃないけど、そこは大きいはずだ)
呼吸の短さに、または長文であろうとも息継ぎの見えるところに予期せざる艶が出る。ほとんど喘ぐように書く三島は、そこに喘息持ちの患者を見るように読者の目にはっきりとうつる。そして、その喘鳴は笛の音のごと美しい。
だが、長く一生走り続けるには向かないことは、言うまでもない。

 「真夏の死」の象徴性等については擱いて、『豊饒の海』へ戻るけど、

文体の限界というのはあるとおもってて、この「大きさ」なりこのナントカの小説にはこの「文体」が有効、みたいなの、ね(有効ていう感じで正解ではモチロンないのだけど、やりやすいとか、そういうの、ね)。

2008年くらいからずっと、そういうことを考えていて、三島はそれなりには読んだので、わたしの大きなひとつの「指針」ではあったのだ。

まあ、そういうのはともかくも、『真夏の死』には、「煙草」が入ってる。わたしはこういう感じの小説が好きなんだなあと読みかえしておもったので書いておく。

 

三島は戯曲のほうがいいっていうひとがいて、うん、それに同意しないではないんだけどでも、三島が小説でやりたかったこととか、わたしにはワカルと言いたい気持ちもあって*2

ていうか!!!

定家卿のことを書いて、それから死ぬべきだったよ三島!!! ていつも思うので何度でもくりかえしておく。

(ちなみに辻邦生さんもですよ、定家卿そのひとのみではないけどまさにあの時代、新古今の時代のことでしょ??? ほんともー、ほんともー、あなた方が書かないでお亡くなりになったから今のこの国ってこうなんじゃないの、どーしてくれるんですか!? とまで嘆いてるわたしがいるので、うん)

新訂 新古今和歌集 (岩波文庫)

新訂 新古今和歌集 (岩波文庫)

 

 

なんかさびしくなっちゃったので、

このひとの三島評は、とても好き、です。

「三島由紀夫」とはなにものだったのか (新潮文庫)

「三島由紀夫」とはなにものだったのか (新潮文庫)

 

 そう、この表紙だよね、三島っていったらさー、ほんとさー。

三島が好きなので、図書館やら書店やらで三島について書かれた本を見つけるとけっこう読むんですが、どれにでも「うん、そうだよね」ておもうわけじゃなくて。

だいたい何についてでも、小説書かないひとの書いた小説家評というのをわたしは常にほとんど受け入れがたくて。

偏見なんだけど、小説家には小説家の「生理」というものでもあるとでも思ってるのだね、わたしというひとは。ちなみにモチロン「女」だから、というわけでなく。「小説家」という「生物」がいるとでもおもってる、わたしの偏見。

橋本さんの、「三島=塔の上の王子様」説には泣きました。ほんとに。

三島が好きなひとには、というか何かを好きというこころには、なにかしら純粋無垢で、かつたいそう粗暴で、偏屈で、どうしようもなく狭隘なものがあるとおもってて、まして三島を愛するとなったらそれはもう、ていう気持ちでいるので、

そういうわたしの気持ちを逆撫でしない、逆に慰撫してくれるような本でした、とだけお伝えを。

 

そして、わたしが三島ミシマいってるときの精神状態がやヴぁいのはいつもどおりですwww(←知ってるーーーーーん)*3

*1:辻邦生にしても、澁澤にしてもそうだ

*2:←怖いもの知らず

*3:バロメーターなので、うん。澁澤シブサワとかキニャールきにゃーるとかいってるときなんかはそんなでもないのだ、三島にかかずらってるときは実はあまり調子よくないよ、わたし

アルフォンス・ドーデ『風車小屋だより』『月曜物語』(桜田佐訳)など

 今週から足に体重をかける練習をする予定だったのですが、腫れてて駄目でした! わたしはいったい何時から歩けるようになるんでしょう? ていうことでどうにもウツウツとするので清らかでまっとうでとても美しいものを読もうと、アルフォンス・ドーデを引っ張り出してきました。

アルフォンス・ドーデドデドデー)(Alphonse Daudet, 1840年5月13日1897年12月17日)は『アルルの女』を含む短編集『風車小屋だより』などで有名なフランス小説家

(中略)

ドーデは、ディケンズの真似はしていないと自らを弁護していたものの、主題も様式も良く似た箇所が多く、これが偶然とは考えにくい。しかし、彼の文体は間違いなく彼自身のものだった。それはまさに「印象主義」と呼ぶにふさわしい文体で、光と色彩にあふれ、古い流行を追った書き方ではなく、絵具の色のような言葉を見事に並べ上げて計算された効果をきらめかせている。魅力あふれる彼の作品をゾラは「魅惑的」と評価した。ドーデは基本的に自然主義文学に属し、エドモン・ド・ゴンクール(彼の家で亡くなった)、フローベール、ゾラらと親しくしていた。彼の自身の体験、彼の周囲の環境、出合った人々、いろいろな役者、パリの生活の全てが彼の作品に盛り込まれた。彼は記憶にある素材に生命を与えた。ただし、彼は実力があったにもかかわらずアカデミー・フランセーズには所属せず、作品『不滅』にはそこに対する批判も見られる。

 

アルフォンス・ドーデ - Wikipedia

わたしの、南への憧れ的なものがまずはイタリアにあるのは当然なのですが、南仏もすごく好きで。

それはたぶんゴッホに始まり、きっとこのアルフォンス・ドーデというひとの影響も多大なのだよなあと。

あ、それと、あれだよね、昨日もはなしたけど、『風と木の詩』。

あれ、アルルだったりシャトー・ディフだったり、聖ジルだったりするものね! 

これだけはっておきますか、ね。

では、

アルフォンス・ドーデです。

ドーデというとこの国では「最期の授業」で有名でしょうし、そしてあの歴史叙述的にはチョットていうネタももしかするとご存じのかたもおいででしょう。このへんは、ここをどうぞ(http://www.lib.hit-u.ac.jp/service/tenji/eu-lang/alsace.html

それはさておき、

今日のところはそれらはおいて、

桜田佐の翻訳で読むドーデの、南仏の美しさ、その土地への愛、というのを是非とも堪能していただきたい!

風車小屋だより (岩波文庫 赤 542-1)

風車小屋だより (岩波文庫 赤 542-1)

 

 フランス文学の華ともいうべきコントのうち,最大の傑作といわれ,作者が,鋭い観察による人生記録に,天成の詩的な風格と爽やかな諧謔とを交えて綴った短 編集.作者の故郷,南フランスの丘に筆をとり,その地方特有の光と匂いと色とを捉えながら描き出す純情素朴な人々の哀愁は,しみじみと魂の奥底にふれる. 一八六六年.

http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/32/X/3254210.html

 

何をおいてもこれ、かなあ。

いちお、これはっとくね。英語だよ、いや、英語じゃいかんだろうと思いつつ。

Letters from my Windmill by Alphonse Daudet - Free Ebook

あ、仏文のPDF落ちてたので、はっとくよん

http://www.cndp.fr/fileadmin/user_upload/DAUDET/files/daudet_livre.pdf

 

 

月曜物語 (岩波文庫 赤 542-3)

月曜物語 (岩波文庫 赤 542-3)

 

 第一部は幼ない心に映じた敗戦国の悲哀を写した名編「最後の授業」を最初に,物語の舞台を普仏戦争及びコンミューヌ当時のパリとアルザスにとり,人情の機 微,深刻な諷刺を詩趣豊かな文章に託し,第二部は多くの幻想や追憶を音楽的抒情的な筆致に託して,まだ見ぬ日本へのあこがれを語る「盲目の皇帝」に終る. 一八七三年.

http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/32/6/3254230.html

 

 しかし、なんでこんな素晴らしい本の数々が絶版なのかよくわからないんですが、岩波文庫さん!!!

で、PDFは落ちてたのでおいとく。

http://beq.ebooksgratuits.com/vents/Daudet-lundi.pdf

 

野 (百年文庫)

野 (百年文庫)

 

 ここに入ってるのは『風車小屋だより』の「星」なのです。

何週間も人里から離れて山のなかで過ごす羊飼いの青年が、嵐がきたために主家(うち)の「お嬢さん」と野で過ごす一夜のものがたり。

 そして人の悪いお嬢さんは私をもっと困らせておもしろがった。

 ――で、あなたのいいお友だちはときどき会いにくるの?…… きっとそれは金のやぎね。でなかったら山の峰ばかり駆けまわるせん女のエステレルよ……

 ところがそういうお嬢さんこそ、仰向いて美しく笑うところや、たちまち現われてすぐさま消える訪問振りがエステレルせん女そっくりだった。

 傍点が振れなくてすみません、「やぎ」と「せん女」のせんに点です。

あれですよ、妖精てことばにわたしはあまりロマンを感じないのですが、こどものころに読んだこの「仙女」にはぐっとくるのだ、なんでだろ?

ともかく、ほんtの、こういうのをホンモノの「純愛」っていうんですよ、手垢塗れの例の言葉が泣くよ、ほんとに!

て、わたし、こういうはなしが大好きで、好きな恋愛小説でこれ思い出しちゃうあたり、もう、ごめんなさい、じぶんの趣味がわかりやすすぎて泣きそうですがでも、これ大好きです。

あまりにも美しくて切ないラストを引きたいけど、我慢。がまんする。うん。読んで!!!(叫んでる)

ドーデだとあと、タルタランのはなしもしないとならないんですが、それはまたいつか。南仏のはなしのときにでも。

で、

今日は桜田佐訳のみ、ということで。

女生徒―他八篇 (岩波文庫)

女生徒―他八篇 (岩波文庫)

 

 これは未読、おぼえとく。

アルルの女 (岩波文庫)

アルルの女 (岩波文庫)

 

 「アルルの女」も恋愛小説の凄味があるのだけどたぶん、そうじゃない読まれ方をするんだろうなあ。いや、なんとなく。

てわけで、

以上、

桜田佐訳のみでお届けいたしました!!!

桜田(さくらだ たすく、1901年4月29日 - 1960年)は、フランス文学者、翻訳家、児童文学作家。 東京生まれ。東京帝国大学仏文科卒。法政大学教授アルフォンス・ドーデの作品などを翻訳、晩年は児童文学を自ら書いた。

桜田佐 - Wikipedia

 あ、このひとたちふたりとも牡牛座だw いや、どーでもいいんだけど自分が牡牛座なだけです。

いま見たら、家なき子も訳してる、このひとで読んだのかなあ。可能性は高いけど、確証がない。

家なき子〈第1部〉 (1957年) (新潮文庫)

家なき子〈第1部〉 (1957年) (新潮文庫)

 

 未読、このひとの訳なら読みたいので。

川船物語 (1953年) (角川文庫)

川船物語 (1953年) (角川文庫)

 

 それと、

こっから余談。

シーボルトと日本の開国 近代化

シーボルトと日本の開国 近代化

 

『夢のように、おりてくるもの』というか、『視界樹物語』というか、なんというか、ともかくわたしの「火の鳥」ネタで(畏れ多いが、やっぱりアレやりたいよね?)、いつか書きたいとおもってるはなしのひとつが、『月曜物語』ラストの「盲目の皇帝」ネタでして、シーボルト話のなかに出てくるんだけど。

そのメモとしておいときます。

盲人の歴史 〔中世から現代まで〕

盲人の歴史 〔中世から現代まで〕

 

 未読ですがこれは読むぞ、と。

あと、これ。

人康親王[1](さねやすしんのう、天長8年(831年) - 貞観14年5月5日872年6月14日))は、平安時代前期の皇族仁明天皇の第四皇子。母は贈皇太后藤原沢子正一位太政大臣藤原総継の娘)。光孝天皇の同母弟。官位四品弾正尹

(略)

 当道において、親王琵琶の名手で、隠棲理由の病気は両目を患った事を意味するとされる。江戸時代には座頭琵琶法師等の祖とされた。当時検校の位にある琵琶法師が毎年当地に集まり琵琶を演奏し親王の霊を慰めた。

 

人康親王 - Wikipedia

 

ではまた☆

 

冬から春にかけて咲く椿――「花ごしらえ」や『椿姫』、茶花など

きょう、これを見つけたので。


お水取り前に「花ごしらえ」 - NHK奈良県のニュース

 

椿の造花を400個ですって!

ぜったいにこれ複雑なお作法があるはず、とおもってぐぐりました。この記事の下のほうにはったのでご覧ください。

 

椿は、この国だとやっぱり資生堂ですよね!


HANATSUBAKI|SHISEIDO

 

ママンの化粧品にあった、むかしのマークが好きです。


資生堂デザインの原点。昭和のデザイナー山名文夫の美しき世界 - NAVER まとめ

 

フランスでいうと、ココ・シャネルの愛した花。

モダンでシンプル、鮮烈な印象を与えるながらあの形状ゆえに可愛らしさもある花。

それから、文学でいうと、これですね!

椿姫 (岩波文庫)

椿姫 (岩波文庫)

 

デュマ・フィス。つまり、大デュマと呼ばれるアレクサンドル・デュマの息子(フィス:fils フランス語で息子の意味です)の「実体験」をもとにして書かれたもの。

あまりにもこの花の使われ方が有名なので説明するのもアレですが、紅白の由来、ね。*1

椿だから、これ、ハマるんだろうなあと。

あと、これ読んだ当時、そうそう恋愛には障害が必要だよね、身分違いとかさーってわかったようなことをほざいた気がします、たしか高校生でしたw

じぶんが読んだのは岩波だったとおもうけど、新訳でてるね。

椿姫 (光文社古典新訳文庫)

椿姫 (光文社古典新訳文庫)

 

  あ、全曲っていうのもあるんだ、へー。

ヴェルディ:歌劇「椿姫」全曲

ヴェルディ:歌劇「椿姫」全曲

 

 そうそう、小説は『風と木の詩』のセルジュのお母さんのモデルっていうので気になって読んだのでした。

 いま、こういう表紙もあるんだ。と、アップ。

風と木の詩 (第1巻) (白泉社文庫)

風と木の詩 (第1巻) (白泉社文庫)

 

 (風木は、19世紀小説のいいとこどりの感じで好き、なんだよなあ。南仏とパリが舞台なのも。ちなみにアレですよ、オーギュとアスラン、ジュールとロスマリネが好きです、あとボナールのところの男の子←誰も聞いてないw)

(このはなしはまたいつか!)

 

はなしをもとにもどして、椿、です。

 

ツバキ - Wikipedia

 

椿は茶花としてよく用いられる花でもありますし(冬はお花が少ないし、あとやはりとても茶室に合う、ておもう。あれ、なんなんだろうね? いや、合うから茶花として用いられてるわけですが、しっくりくる具合が半端ないようにおもう、だってお茶しないひとが茶室にかかってる花ってイメージするときたぶんきっと椿だとおもうのよ、そういう意味で)、

椿油とかもあるし葉っぱもツカエルし、

あと、なんていうか、すごく「象徴的」は花だよなあ、と。

最新 日本ツバキ図鑑

最新 日本ツバキ図鑑

 

 (植物図鑑はわりとよく見ます。頭にはいってるかというとアレですが、ルドゥテとかの絵も好きなの)

 

ツバキ協会のホームページ

(あとで見る!)

あと、これも。しばらくお茶やってないから茶花もいけてないや。

椿をいける―百種百様 (決定版 茶席の花)

椿をいける―百種百様 (決定版 茶席の花)

 

 淡交社さんだからお裏さんがメインなのでしょうが、たぶん。*2

ご本たくさんあるのでよく見ます。

 

拙作『夢のように、おりてくるもの』*3の主役の夢使いが訪れる丸い湾のある土地のモデルは小浜で*4

お水送りとか八百比丘尼のはなしを盛りこみたい気持ちがあったけど、

固有名詞を使わないわけだし、あとあまりにも「表象」として大きすぎるので、つかえなかった、というかツカワナカッタ。

うまくしてそこが若狭湾であることが伝わればもう、それで十分に過ぎるわけで(伝わらなくても別に物語の筋としては問題はない)。

なので、椿という花は、書けなかったんだよなあ(あとお見舞いに持っていく花じゃないからそこでも使えなかったし、ていう。3月末にアーモンドの花を使いたかったので風景描写で入れるのもチョット難しかったのだ)。


『若狭幻想記:小浜市の八百比丘尼伝説 』 [小浜・若狭]のブログ・旅行記 by ANZdrifterさん - フォートラベル

 

それとね、

椿は、コラボ花うさぎ相方usauraraさんことうささんが好きな花、

(コラボ花うさぎとは、わたし磯崎愛ことflorentine(花)とうささんの活動です。詳しくは、こちらをどうぞ→ コラボ「花うさぎ」『夢のように、おりてくるもの』、約二年半にわたる連載、完結いたしました! どうもありがとうございます☆ - がらくた銀河)

 

 このへんで、 冒頭の「花ごしらえ」へ戻りまして、

ちょっと調べたらこんな素敵なサイトが!

東大寺 お水取り 修二会(しゅにえ)の椿の紙を染める

春の訪れを告げる、奈良・東大寺二月堂の「お水取り=修二会(しゅにえ)」には、その本行中に二月堂の本尊、十一面観音に椿の造り花をささげます。今回は その椿の花びらに使われる紅花で染めた紙と、お水取りの様子をご案内いたします

 

色の万華鏡

 

「もし、ゴザの外に出た場合は穢(けが)れたものとして使用してはならない。」て書いてあって、あーって、あー、やっぱりそうだよなあって。

わたし、秘密結社好きとかいってるとおり、儀式めいたものが好きなのよね、呪術とか魔法も好き。お茶を習ってそれが性に合ったのも、美味しいお菓子とお茶もあるけど、あの静謐な茶室の雰囲気、あれが凄く儀式めいたものだからだとおもう。親密で、深くてアヤシイ、みたいな。*5

トップもはっておきます。


紫のゆかり 吉岡幸雄の色彩界

 

幾つか本は読んでる。

きもの暮らし―着こなしの知恵と楽しみ

きもの暮らし―着こなしの知恵と楽しみ

 

 ご存じ、幸田文さんのお嬢さん。幸田さんはまたいつか、書く、かなあ。

これだけ、あげておきます。好き、という単純な言葉では言えない本。 きもの着る女のひとは手にとってみられると、おもうところがおありかも。そしてもちろんふだん着物など着ない男性も、おんなの一生に着物がどういう意味をもつのかとか感じることができるかも。

きもの (新潮文庫)

きもの (新潮文庫)

 

 それから、これ。

日本人の愛した色 (新潮選書)

日本人の愛した色 (新潮選書)

 

 新潮選書は小説の資料本として、わりとこまめに本屋さんでチェックしてます。そんなにかまえないで読めるし面白いし。(あと図書館によくはいってる。分厚い学術書だと奥にしまわれてることあるけど、新潮選書はわりと開架にあるから気になったら手にとります)

あと、これ、か。

図譜和更紗の紋様 (紫紅社文庫)

図譜和更紗の紋様 (紫紅社文庫)

 

 更紗、わたしは着るの意外とむずかしくて、でも好き。

それと、京都書院さんの本とかは、あれですよね、何か文字情報をよむの疲れたなあってときに読みます。

 こういうの、大好きです。

日本の藍―ジャパン・ブルー (京都書院アーツコレクション)

日本の藍―ジャパン・ブルー (京都書院アーツコレクション)

 

 わたしは初めて勤めたのが呉服業界だったので*6

バブルが弾けた後とはいえまだまだ時代もよくて、お値段が数千万円、または億といった単位の反物を惜しげもなく見せてもらい(触りもし!)、織でも染めでも人間国宝と呼ばれる方や著名な先生方の作品なども身近にみる機会に恵まれたので、安月給でこき使われましたが(糸偏業界はお給料安い!)、ほんとうに美しいもの、贅を尽くし粋を凝らした逸品を見て触ってこれた、ていう意味ではよかったのだろうなあ(とは思えるようになりました、イロイロあったからね!w)。

 

じぶんの手持ちで椿の花のきものじゃなくて帯はあったような気がしたけど、お写真ナイな。

まあ、いいや。

椿は、あの花の落ちるのが、イイよね。ほんとに、ぽとって落ちるものね。しかも、冬の日、霜がおりたあとの湿った暗い土のうえに(椿は日陰でも咲くので)、まっすぐに落ちるかものね。重力に従って。

葉の色も好きです、あと椿油つかってます。

大島椿 OST 60mL

大島椿 OST 60mL

 

  そして、

これだけのことを書くのに、わたしは「故意の書き落とし」というか、わかるひとにしかわからない情報を入れこんでしまっていて、

でも、何かを書く、というのは届いたかどうか書き手にはわからないラブレターを出すようなものでしかないよなあ、ていうロマンチシズムを抱えて生きてるのでわたし、色気はナイけど意外と乙女だとおもうのw

 

手の仕事が好き、です。

染めでも織でも、陶芸でも絵を描くことでも何でも。

文章を書くことは、それがテキスト(テクスト)というとおり、わたしにとってはこれ以上なく「手仕事」なのだとおもう。

*1:月のもののときに赤い花をつけてそれ以外は白

*2:表千家です、わたくし

*3:http://novel18.syosetu.com/n1558bq/ 

*4:『夢のように、おりてくるもの』の第二部から登場する黒髪君の依頼人の出身地は小浜、という設定なことは以前おはなししたとおもう。

小説を既読のひとには今さら言うことでもないのだけど、登場人物のほとんどが海に隣接する土地(汀、水の戸)となんらかの縁があり、「夢使い」関連の特殊用語(造語含む)以外の固有名詞を使わないという決まりによって、この国をさすのに「花綵列島」と呼び、かつまた最終話を「夢の花綵」とし、かつ夢使いが爪弾く夢を香音(かね)と呼び、それが明け方に東からくるものがいちばんであるといったことまで書いたので、なにもイロイロと説明しなくともなあ、ておもったけど、

小説よんでないひとにはワカラナイことなので、あげておきますw

*5:わたしは数寄者になれないとおもったのは、お料理できないし人付き合い苦手という能力の無さだけでなく、ごはんを食べて賑やかになるのより、シンとしてるほうが好きだから、ていうのもある。お湯の沸く松風の音を聴いているのがキモチイイみたいな。とはいえ元気になってお金に困らない暮らしができるようになったらお茶は再開出来たらなあとは長いこといってるけどオレ様いったい何時になったら人並みの生活ができるようになるのかわからない><

*6:身ばれしそうだから詳しく書かない、ギョーカイ狭いからw

辻邦生『春の戴冠』とともに中世とルネサンス期のイタリア商人の日記を読む♪

ひとの日記よむの楽しいですよね! 

ブログ読むのって、なんか、それに尽きる気がする。何食べたとか何買ったとか、誰とどっかいったとか気になるし、ひとさまの暮らしって知ると、へえええってなって面白い。

それっていつの時代もどんな場所でも変わらないかなあ、と*1

てことで、きのう、イタリア商人の日記のはなししたので。

つらつらあげていきます。

たぶん、ファンタジー書き歴史小説書きさんにも面白い資料だとおもいますのでご参考にどうぞ☆

プラートの商人―中世イタリアの日常生活

プラートの商人―中世イタリアの日常生活

 

プラートという、フィレンツェ近郊都市のフランチェスコ・ダティーニという富裕な商人の日記。

そして、これ見つけた。
CiNii 論文 -  『プラートの商人』 : フランチェスコ・ディ・マルコ・ダティーニとインノチェンティ捨て子養育院の成立

なんかいきなり関係ないこというけど、こういうキリスト教圏の「慈善」ていうの、いまの日本でもたくさんあるといいんだけどなあ、て。いや、わたし貧者なのでw

さて、続いてこちらは未読なんだけどずっと気になってたので。

中世東アルプス旅日記―1485・1486・1487

中世東アルプス旅日記―1485・1486・1487

 

 コロンブスがアメリカ大陸を発見する直前の15世紀末。トルコ軍に荒らされたアルプス山中のキリスト教会を、司教の1行が旅し、教会を清め直して歩 きました。その司教の秘書として、旅にお伴をしたのがパオロ・サントニーノというイタリア人でした。かれは公務以外に、個人的な興味から、目にした種々雑 多なものごとを、細かに書き残しました。それは主として当時の日常生活にかんする事柄です。日常生活というものは、その当事者には、わざわざ記すほどのこ とには思えないものです。ですから、日常的生活が記されることは非常に希有といっても過言ではありません。サントニーノは旅人だったからこそ、新鮮に映っ た、行く先々の異文化を書き留めたのです。それによって、500年前のアルプス山中の生活の様子を知ることができます。その意味で非常に重要な歴史資料な のです。

中世東アルプス旅日記 | 舟田 詠子のパンの世界へ [公式サイト]

むっちゃ面白そうですよね。サイト自体も面白いので、備忘のために。

 あ、あとこれは既読で、とてもイイ本でした。 

わたしがうだうだ書くより、これをよんでいただいたほうがいいとおもう。
 

清水 廣一郎 『中世イタリア商人の世界』 サントリー学芸賞 サントリー文化財団

 

そうそう、サントリー学芸賞のご本はどれもこれも大当りで面白いので、このサイト自体チェックしてます。

 

サントリー学芸賞 サントリー文化財団 | サントリー

 

あ、あと、年代記を書いて有名なのがこのひと。

 

ジョヴァンニ・ヴィッラーニ - Wikipedia

 

で、こちらのサイトさまに、

中世イタリアの商人群像―神に祈り、儲けに生きる―

 

1 フィレンツェの大市民ジョヴァンニ・ヴィッラーニ
2 プラートの成り上がり商人ダティーニ
3 ジェノヴァの一大家門のロメッリーニ家
4 ヴェネツィアの2人の典型的な商人

 すごく詳しくかいてあったので、是非どうぞ!!!

それから、

ランドゥッチというひとの日記をご紹介する前に、辻邦生さんの(ツジの字がちがいますがすみません)『春の戴冠』のおはなしをしなくては!

『春の戴冠』は、辻邦生さんが《春》や《ヴィーナスの誕生》を描いた画家サンドロ・ボッティチェリの親友(このひとは架空キャラ)を主役にし、メディチ家の貴公子たちやレオナルド・ダヴィンチ等を登場させながらルネサンス期のフィレンツェを描いた名作です。

春の戴冠〈1〉 (中公文庫)

春の戴冠〈1〉 (中公文庫)

 

 全四巻!

イタリア好きなら読んでよし☆ ともかくあちこちルネサンス時代の有名人が出てくるし、旅行された方は御馴染みの場所が出てくるので盛り上がることうけあいます。

むかし書いた記事もはっておきますね。


辻邦生『春の戴冠』とルカ・デラ・ロッビアの《カントリア》 - がらくた銀河

 そして、

この本の資料としてあげられているのが、こちらの日記です。

ランドゥッチの日記―ルネサンス一商人の覚え書

ランドゥッチの日記―ルネサンス一商人の覚え書

 

 これはルネサンス物を読むと必ず引用される、といっても過言じゃないくらいフィクションでも出てくるのでした。なので読んどくと、あ、あれだ! ておもうw

そのくらい人気ある。

それと、ちょっと歴史関係も。

ルネサンス人

ルネサンス人

 

 これ、職業別で書かれてて。君主とか商人とか傭兵とか芸術家とか宗教家とか宮廷人とか。

RPGゲームの手引書の雰囲気だなあって勝手におもっててw 

いや、わたしわりとこういうふうにして世界観を形作ってくのでそうおもうのかもだけど。面白いです。キャラ作りに役立ちました。

 

そしてお知らせが!


古典よむ部 - はてなブログ グループ

 

 作ったのでよかったら入ってやってくださいまし。

誰もいなくてさびしいです~(涙目)。

わたし、基本的にはさびしがり屋じゃないけど(ないけど!)、これはとてもさびしいので(グループなのにひとりはチョーさびしいよ)、入っていただけたらホントに嬉しいです。

是非お願いします!

(イタリア好きのほうも募集してます。くりかえすけど、グループなのにひとりは切ないので是非~><)

*1:中世とルネサンス期の時代区分については難しいから言わないw