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がらくた銀河

磯崎愛のブログです。本館は小説サイト「唐草銀河」。

97 誰にも知られない秘密をもつ

花うさぎコラボ 夢のように、おりてくるもの 伴走メモ デリダ パノフスキー

ようやく風邪らしい症状が出て、目がまた三重になってたりして、思う存分からだがそれを受け入れて喘いでいるのでつらいけど、ほっと安心しています。たぶん、ここまでこないとわたしはじぶんの身に起きていることがワカラナイ。

――もし近所のコンビニ店員のエプロンがピンクだったら

磯崎愛さんの小説「夢のように、おりてくるもの」でのコラボについての徒然

『ピンクのエプロン』 | CRUNCH MAGAZINE クランチマガジン - 書き手と読み手をつなぐSNS 

 

「が、聴こえすぎる耳というのもきっとつらい。拾いたくないノイズを拾う日が続けば、そのひとは侵入を防ぐために心に壁を積み始めるだろう。「うじうじくん」と読者からネーミングされる彼=黒髪君は、他者との接触に少しの困難が生じる運命をはじめから負っている。」

花の散る音 | CRUNCH MAGAZINE クランチマガジン - 書き手と読み手をつなぐSNS

 

18歳くらいのときに書いていた小説に、「感じすぎることを責められても困る。感じるなと言われたら死ぬしかない。」と記したおぼえがある。親友の、開校以来の才媛(! いや、マジで。たしかずっとオール5だったんじゃないかな。いまだに彼女の名前は教師たちの間で忘れられることはない、という優秀なひとである。ちなみに彼女が答辞を読みました。いまのマフラーネタと絡めて、これは書いておこうとおもったのだ)と謳われていた子が熱心に読んでくれていた小説である。

わたしがアメリカに短期ホームステイするときにひとこと「愛ちゃんはどこにいってもどうにかやっていけると思うけど、どこにいってもここなら安心で大丈夫って場所がない。他の子はその場所が広かろうが狭かろうがそれがあるしわかるけど、わからない」と言いのけてくれたひとで、もうほんとにいやん><、てなったのも忘れない(たぶん、これはハイクで書いたような気もする)。

てことで、伴走メモです。

ジャッキー・デリダの墓
LE TOMBEAU DE JACKIE DERRIDA
目次
〈友〉なるデリダ
断片、あるいはデリダの「ように」
絵画に〈声〉が来るとき――アトラン「カヒナ」(1958年)
祈りと無神論――『名を救う』
リス=オランジス、2004年8月8日
名のおかげで
   *
〈裸〉の師
盲者のオリエント
怪物のような「かのように」――日本における政治上の嘘の歴史のために
デリダにおけるヘーゲル――『弔鐘』における〈晩餐〉の記号論を中心に
レジスタンスを愛すること――『精神分析の抵抗』
葬送不可能なもの――『マルクスの亡霊たち』
来たるべき民主主義への挨拶――『ならず者たち』
戦略、スタイル、情動――ジャン=リュック・ナンシーへの三つの問い
   *
解体と政治
「死せる叡智」と「生ける狂気」――〈さまよえる星〉の比較文学
神の裁きからの演劇の〈誕生〉――『バルコン』から『オルダリ』へ
明かしえぬ共犯性――ジュネをめぐる二つの集いのこと

 

ジャッキー・デリダの墓

ジャッキー・デリダの墓

 

 

http://www.msz.co.jp/book/detail/07829.html
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目次みるだけで、なんかもう、こみあげるかんじがある
いつか、「墓」のはなしはかきたいなあ、という想いがある。ちょびっと、「視界樹の枝先を揺らす」で触れてはいるのだけど。
も ちろんこないだのシャトーブリアンのそれを読んだときから、ということだけでなく(ちなみによく知られているようにジュネも大好きな作家だよね、シャトー ブリアン)、そもそもわたしのなかに葬送というか喪の儀式というかそういうものに対する何かがあるんだろうなあ。祖父母の墓とかアメリカフランスイタリア で見た墓とかについて、というか、あれだよ、芸術の一様式としての墓について、か(ぱのふすきーv)。
とにもかくにも、『弔鐘』が日本語で読みた いです、はい。一頁にも満たない文章をフランス語でみた(みた!)けど、あれは、無理。学生時代のじぶんのフランス語能力がいま戻ってきたとしても無理 (今のほうが、あのころより語学力はなくともかしこくなったとは思うけどそういうレベルじゃなかった)。
でもきっと、ほんとは、この『夢のように~』はあの本を読んでからのほうがいいんだろうな、ていうのはずっと思ってる。

 

墓の彫刻―死にたち向かった精神の様態

墓の彫刻―死にたち向かった精神の様態

 

 by florentine(磯崎愛)

 

ああ、ちなみに、わたしもいまだにじぶんの居場所がよくわからないけど、ただ、ひとつ、じぶんの憧れのひと、本を読み書きするプロのひとたちのいる場所にいると、ともかく生きていて幸せでいちばん愉しい、というのだけはわかった。たんじゅんである。

それと同時に、そういえば、わたし、ひとさまに好きすき言われるのキライなんだよな、ていうことをあらためて考えている。嫌いというか、うん、ちやほやされると警戒するし、警戒する必要がないとわかっても、じっさいとても居心地が悪い。自己評価が低いといわれたらそれですむはなしなのかもしれないけれど、己を偽ってイイ顔をしている、という単純さではなく、もっと根深いところでの自己遺棄がある。けれどそれは、いちがいに悪いことではないとおもっている。わたしは書くことのはじめにまず「切断」を選んだし、それのないままにできあがった作品のだらしのなさを嫌う。しかし、今はもう少し、「じぶん」を「言語とイマージュ」に引き寄せていったほうがいいのだろう。

じっさいのところ、わたしはわたしの「生」をかなりのところ小説に入れこみすぎているのだが、それをそうと知るひとのあまりの稀さゆえに、はたまたそれをあまりにも大事に隠しおおしてしまったがためにおそらくは、じぶんが披(ひら)いてきたはずの世界が固く閉じられていると感じられるものとして仕上がっているらしいので。

世界の秘密よりも、じつはじぶんの秘密のほうがそうとうにめんどくさくて大変なものである、といういかにも物語の主人公っぽい感覚もなかなかに面白いと、うっとりと感じているところだったりする。

 歴史とは解釈の数だけあると述べたのが誰であったか忘れたが(僕の物覚えの悪さは葬祭長になれなかっただけあって深刻だ)、このはかりがたさゆえに魅了されるものがあるという点には僕でさえ頷かないではない。
 とはいえ、こうして僕の要領をわきまえない分断された思考は、いつしかまた、《夜》によって再現されるのではないかと僕は恐れている。
 暴かれるものとは隠されたものであり、
 隠されたものとは暴かれるためにあるものだ。
 それは、性欲に似て暴力的で醜く、知られない秘密という名に相応しくこのうえなく無垢で、己の無知をかえりみないために恥知らずであり、欲望を喚起せしめるものであるせいで美しい。
 僕が、何について語っているかわからないと思うむきには、わからくてもいいと告げておく。わかる必要などない。今はまだ。
 いずれにせよ、《夜》は来る。
 僕の処だけでなく、
 アナタノトコロニモ。

 

『歓びの野は死の色す』《夜》2

http://novel18.syosetu.com/n5403bl/

 

 そういうひとが、書いている。

『夢のように、おりてくるもの』 | CRUNCH MAGAZINE クランチマガジン - 書き手と読み手をつなぐSNS

(連載中です。文字の大きさ変えられます。コメントとかはこちらのほうがつけやすいかもです)