文学フリマまで、もう二週間きりましたね。
一般のお客様は無料で入場できます。カタログも無料です!
あと、したのWEBカタログ便利ですので、是非チェックしてみてくださいまし☆
次回開催「第十八回文学フリマ」 第十八回文学フリマWEBカタログ公開中です!
https://c.bunfree.net/開催日 2014年5月5日(月祝) 開催時間 11:00~17:00 会場 東京流通センター 第二展示場 アクセス 東京モノレール「流通センター駅」徒歩1分
※詳細は会場アクセスをご覧下さい出店サークル募集 出店参加の募集は締め切りました 出店サークル数 約650ブース 一般来場 一般の方は入場無料です!
当日、会場入り口にてサークルカタログを無料配布します。
※無くなり次第、終了主催 文学フリマ事務局
てことで、
こんな評論誌です。
土地研究評論誌『ジオニタス』を頒布します。
ブースはFホール(2F)オ-41。価格は400円。サイズはB5、項数は50ページ。
お越しの際はぜひお立ち寄り下さい。もくじ
◆もくじ巻頭文・土地そのものへ:物語評論からひとまず離れて
本誌企画の動機:足立区で芽生えた土地への関心(どかい) …… 1機動商店ジャス○ム「○オングループの勃興」(グダちん) …… 4文化事象としての「珍スポット」とその現在(すのぶ) …… 7日本最大のショッピングモール「越谷レイクタウン」リポート(どかい/yasagon) …… 17大学生のアイデンティティが郊外を「取り入れ」ることの恐怖(港真南) …… 23
坂東夫人 (磯崎愛) …… 26巻頭言
土地そのものへ:物語評論からひとまず離れて編集長/どかいはじめに、文学フリマの評論ブースにおける大状況を概観しよう。
前回の「第十七回文学フリマサークルリスト(50音順)」(※1)を「評論」で検索すると、評論誌の主流にはある種の傾向性があることに気付く。
論じられる対象を見てみると、アニメ・マンガ・ノベルゲームに小説に映画。加えて勢いを増しているのがアイドル評論だ。アニメ・マンガ・ノベルゲーム・小説・映画は「物語評論」というカテゴリで括ることができる。そしてアニメ・ゲーム・映画・アイドルは、テレビやスクリーンで見るという意味で「映像系評論」と括ることができる。アイドルは握手会などで直に接する機会があるとはいえ、テレビやインターネットがなければこれほどの流行は無かったことだろう。
アニメ・マンガ・ゲーム・小説・映画・アイドルは、「キャラクターを享受する」という体験性質で括ることもできる。このように、主流となる評論ジャンルには、緩やかな共通項が見られる。哲学者のウィトゲンシュタインが「家族的類似」と呼んだような類似性だ。
ところが本誌『ジオニタス』が論じる対象は、「物語」でなければ「画面」でもなく、「キャラクターを享受するジャンル」でもない。本誌は、文フリ評論で主 流となっている対象に背を向けた、反主流的な、マイナー雑誌だと自己認識している。確かに物語は語りやすい。確かに映像は流通しやすい。確かにキャラク ターは魅力的だ。しかし我々はあえてそれ以外の対象に目を向ける。「~ではなく」と否定的にではなく、肯定的に本誌を特徴づけるなら、我々が目を向けるのは、我々が踏みしめて歩いた「土地」だ。そして土地で営まれる人々の活動に目を向けるだろう。
我々は物語表象に「反映」された日本社会を推測するよりは、直接日本社会を歩く。我々は映像製作者に「編集」された光景よりは、直接光景を見る。我々はキャラクターに「代理」された階層や属性よりは、直接人間の階層や属性を読み取ろうと試みる。※1 http://bunfree.net/?17th_circlename
本誌は、反映や編集や代理された表現を論じることを全く否定するものではないが、鑑賞よりも行為論的に現実に接近することを優先させる。その結果、本誌がどのくらいの価値を生んでいるか。それを「主流」の評論誌と比較して、読者に審判して欲しい。
拙サークル「唐草銀河」C-03と相互委託予定です。
えっと、
お気づきの方もおいででしょうが、
あれ? 頁数の半分くらいがわたしの小説!
という恐ろしい状態なのですが、ええと、ええと、ははははは(汗)。
あの、
わたし、今のところ新刊だせないかもしれないので(無職だし!w)、
是非とも『ジオニタス』さんをお手に取ってくださいますよう、よろしくお願いいたします!
小説の内容ですが、
ジオニタスさんのテーマが「郊外・土地」といったものでしたので、
畏れ多くもフローベール様の『ボヴァリー夫人』を睨みながら(うん、チョット睨んでやりました)、
郊外に住む人妻の夢と現実といったものを描きました。
主な舞台は、JR常磐線の走る土地です。
某ノーベル賞作家のように、土地の名前を出してなにかあるといけませんので(笑)、そこは伏せてありますが、実は先日わたしが転出したところでもあります。つまり、わたしの生まれ故郷ということです。
冒頭はこんな、です。
坂東夫人ため息をつくと幸せが逃げるというけれど、この半年でどれほどそれを逃しただろう。いや、この十一年の暮らしでついたため息をすべて数えあげたら、幸福が逃げるどころではないはずだ。
そう考えて陽子(ようこ)の唇からまた重苦しい吐息がもれた。頭痛がする。身体のあちこちが痛み、涙が出る。鏡台の横に立てたイーゼルにある描きかけのキャンバスを眼にすると、嗚咽はさらに激しくなった。
あれほど祝福されて結婚したのに、子どもを育てるにはいい場所だと説得されて引っ越したのに、何もかも違ってしまった。
ほんとうに、何もかも。
何もかも、終わりにしないとならない……。
少し書き手の内情をお伝えいたしますと、
七、八年ぶりに書く三人称で覚束ないところにくわえ、表象を巡る「作意」との戦いで正直もう本当に疲れ果てましたが、そのぶん面白く書きました。
たぶん、この配分、なにをどうどこまで指し示すか等が掴めればもっと色々やれるようになるだろう、という手応えはあります。
読者様の御叱正を賜りたく、どうぞよろしくお願いいたします!