たまには番外なんてのもありかな、と。
これは、あちらへは載せない。
11月の文学フリマをめどにイベントはしばらくお休みにする予定でいる。
主に気力体力の問題で。
オンとオフ両方で活動したいとがんばってきたのですが、オフがともかく疲れる、という理由なんだなあと。
具体的に何かが辛いとかイヤだとかそういうはなしじゃなくて、
「まわりに有象無象のひとがいること自体が堪えられない!」ていう、恐ろしい症状を自覚したので、もう、ヤバイですwww(ほんとなんだよ、もーやばいよwww)
とはいえ、
接客業は自分でもむいてると思ってて、それなりの成果もあげてきて、それはたぶん「相手」に集中できるから、なのよね。
そういう人間の書くものが、「大勢のひとに愛される」のは断じてナイだろう、とwww
まあ、それはともかく。
いま現在、わたしの書くものはあるていど集客を見込める小説検索サイト等ではその要件を満たさない。
まずは性的な内容を含み、反社会的な事柄が描かれ、さらにヘテロのみでなく、BLオンリーでもGLオンリーでもなく、それらすべての混合であるというのは「世にあまり受け容れられない」のだ――この世の中というのは、そのようにして出来上がっているというのに(ある意味でこの世のことはなんであれ性的であると言っても過言ではなく、じっさいに「反社会的」行為の行われない日はなく、ある特殊な状況を描くとでもきめなければこの世のひとびとの性愛は多様なものである)。
そんなわけで、
わたしは、じぶんの書いたものがすでにしてWEB上である種の「締め出し」をくらっている状態にあることを身をもって知っている。
今後この国が右傾化なりなんなりしていけば、さらに厳しいことになるのは火を見るより明らかだ。
こうして「自己検閲」が加速度を増していくにちがいない。
いきなり、ほんとに唐突に言い出すけれど、わたしという人間は小説を読み書きするひとびとに大きな「期待」をもっていたのだとおもう。
たとえば、これのように。
昨日今日と、慰め(?)られた記事ふたつ。括弧内コピペ文です。
石井恭二という人
http://www.gendaishicho.co.jp/news/n951.html
「ご 苦労なことに、国家権力はあれやこれらを見逃さなかった。その挙句が1961年の有名な「サド裁判」である。権力の論理も、権力を支える者たちにとっては それなりにあたかも実効性のあるように見えるものであり、無駄ではないと錯覚したらしい。被告人はサドの『悪徳の栄え』を出版した石井さんと訳者の澁澤龍 彥氏。本人たちにとっては迷惑な話だろうが、とても名誉なことでもある。埴谷雄高氏を筆頭に、当時の最良の文化が総出で弁護に駆けつける! 遠藤周作氏な どは、裁判長から「あなたは噓つきという評判らしいので、噓をつかないように」と釘をさされる始末である。おまけに被告である澁澤氏は裁判が始まっても姿 を見せず、遅刻に遅刻を重ね…。」
幻の『アントナン・アルトー全集』
http://www.gendaishicho.co.jp/news/n952.html
「と ころで、この現代思潮社版全集はガリマール版『全集』(現在26巻まで刊行されている)を底本にしていたが、このフランスの全集の刊行自体、20世紀の出 版史上特筆すべき事件だったのである。この現代思潮社版第1巻に収録されたものに限っても、有名な『ジャック・リヴィエールとの往復書簡』の初版が620 部、『冥府の臍』が790部、『神経の秤』にいたっては何と75部だった! 実際、アルトーの全著作のなかで初刷部数が一番多い『演劇とその分身』ですら 2000部そこそこだったにもかかわらず、それでもガリマールはアルトーの生前に『全集』の刊行を決めたのである! こんなことは火星にでも行かないかぎ り普通はありえない。だがそれは 20世紀に実際に起ったことであり、そのおかげでわれらが第1巻も40年前に刊行される運びと相なったのだ。」
かっこよすぎるっ!
さすが、ガリマール社!!
鈴木創士さんのジャン・ジュネ、読むぞ!!!
あのキニャールがそれでも、
ソレデモ、ガリマール社を辞めた事実を思いだしてはため息をつくことがある。
そして、
誰かが「居場所」を追われた事実を、わたしは一生忘れない。
じぶんの無力を、その愚かさを、じぶんの小説になんの力もないことも、とても憎んでもいる――思い出すと今でも息が乱れる程度には、本当に。
ホントウだから、始末が悪い。
それでなお、「書く」ことしかわたしにはできない。
それしか、出来ることがない。
ほんとうに。
そんなわけで、書いている。
そのうち更新する。応募もする。寄稿もする。
そんなふうに生きていく。