しがんひがん、そして、かいがん
今日は祖父母の墓参りに行ってきた。
一緒に行った母も、伯母も足が悪くなってしまったので、他の縁者のところへは廻らず、というのはたぶん、初めてのことだった。
他に、遠い先祖のことをやたら麗々しく記した石碑のある、大きなお墓があるのだ。そのはなしはチョット小説に書いたことがあるのでここでは割愛するのですが、まあなんていうか、こんなことは初めてなのに、もしかして次もこうなるのかもと思ったら書いておきたくなったので。
いちお、無縁仏さんのところにそっと手を合わせました。
震災後、いつお墓参りしたのか忘れちゃったのだけど、お墓の石がゴロゴロと横倒しになって崩れててね。そうか、仆れるよね、て。なんかちょっと、じっと見ていられなかったというか、うろうろしてしまったことがある。
それにしても、
もうこの世にはいないひと、という言い方はなんだかとても不思議で、あちらには「いる」のだよなあ。というふうに考えているのか感じているのかはわからないけれど、ぼんやりと、しがんひがんに想いを馳せてみたり。
いま大好きすぎてどうしようってなってる刀の付喪神様の台詞にもあるんだよなあ、ああ、そういうあたりも愛してるのだなあ的なことも思ったり。
そうそう、
夕方には那珂湊港にいきまして、弟がものすごい量のお魚を買いまくりで、途中でわたし可笑しくなって大笑いしてました、大丈夫か、だいじょうぶなのか、て感じで。金目鯛と烏賊と鰤とホッケと鯵とアサリとカマスと干物と後なんだっけ、抱えるサイズのトロ箱ひとつに入らないんだよ!!! まだまだあったけど思い出せない、えっと、まあいいや。
金目鯛のウロコがじゃきじゃき取れるのずっと見てた。
開眼は、してません。
震災後に亡くなった伯父の位牌なぞ、しみじみと見て来ました。
とてもよい香りのお線香とよいお仏壇とよいお位牌でした、もと仏壇店販売員が申します。
水戸の夜は少し寒いです。
むかしの男――夢日記11
むかし男ありけり――そうじゃない、そういう話しじゃないんだ、と呻いている。わたしが。
じぶんの寝言で目が覚めた。
夢のなかで夢だとわかっていて、そこから抜け出したくて目覚めたいので起きられない。
改札を抜けて駅構内、天井の高いコンコース、自分の目指すほう、1、2番線ホーム階段をのぼりきったところに背の高い男がいて、あ、とおもう。あ、という、この、あ、は本当に自分のくちから漏れた。あ、の次は、いやだ、だった。見つかりたくない、気づかれたくない、会いたくない、だ。でもわたしは1番線ホームへおりたいのだ。
ひとのながれ、ざわめき、そういうものに置いていかれて、その男だけが目に入る。見れば見つかるよ、じぶんに言い聞かせる。
腕時計を見る。青い革ベルト、あ。
あ、あ。
そこで気づく、これ夢だ。いまわたしは腕時計を嵌めない生活をしてる。この時計すごく気に入ってたのに失くしたのだ。出張先のホテルで。
ああ、でも、ともかく助かった。
そう思うのに、夢から醒めない。醒めないから、その男はこちらのほうへ歩いてくる。やだないやだなと動悸がする。知らんふりをして3、4番線ホームにでもおりたらいいのにと頭ではおもうのに足が動かない。喉許から胸のあたりが苦しい。重い。
そんなに嫌な男だっただろうか、そうかもしれない、いや、そういうことじゃなくて。
くるしい、心臓のあたりが痛い。いたい。いやだいたいいやだいやだ。
くらいで目が覚めて、心臓が下になって寝てた。
左側の肋骨を折ってるので、寒かったり圧迫があると、どうもほんとうに苦しいのだ。肋間神経痛。
藤の花、こないだと同じ日に撮った。
ところで、
ここで出てくる元カレはほんとに会いたくなくて、なんだろう、むかし付き合った男で夢のなかならまた会ってみたいっていうひとは、ともかく優しいとかそういうんじゃなくて、ひたすら「面白い男」なんだよなあ。わがままだねw じぶんを楽しませてくれって思ってるんだろうなあ、わたし。優しくしてとか好きでいてとか思ってないけど面白がらせてって、わたし、ほんとしょーもないな。
しかし、そんなものである。
帰り道――夢日記10
下り坂の砂利道を、男の右肘に掴まりながら歩いている。
どうせあんたは帰るんだろ、そう言われた。
帰るよ。
わたしは確かにそう言った。
帰らないで何処に行くつもりなのかは尋ねなかった。そのまま黙っていると、男は煙草の火を消して、わたしに右肘をさしだしたのだ。杖替わりにはなるだろ、と。
手を出さずにいると、なんだ、おぶってってやらないといけないのか、と問う。
さすがにそれには首を振った。
左手で男の灰色のセーターに包まれた肘を掴むと、男は振り返りもせずに歩き出した。歩幅は狭い。合わせてくれているのだとはわかったけれど、背中に意識を集中させていない。両脇の背の高い雑木林を眺め、杉の木だの檜だのと指をさす。木々の名なぞ、わたしのほうがよほど詳しいのだと言うつもりもなかった。ときどき鳥の羽ばたきが聴こえると男は脚を止めたがった。ただのムクドリだよと言うとかすかに笑い、けっこう歩かせたな、と呟いた。
左足の踝のあたりに水がたまっている。酷く痛むのに痛いと言わずについてきた。気づかれていたことに驚きはないけれど、今さら言うのかとわたしは声に出さずわらった。
足裏で砂利が転がって軋む音がする。
緩やかな勾配の坂道の果ては見えなかった。
ひさしぶりに、なんとなく書き起こしておきたい夢を見たので。
そういえば、20たまったらうささんに表紙絵をかいてもらってどっかにまとめてあげると言っていた気がするのにたまってないじゃんwww
うえの写真は夢と何も関係ない、今日いった公園の藤の花です。よい匂いでした。写真の撮り方はわかりません>< というより、じぶんが何を見たいのかがわからなかったなあ。精進!(は特にするつもりはないのだけど、言ってみるw)
※追記
あ、そうそう、金曜日に美術展をふたつ梯子したら、ていうかただたんに上野の博物館内なのにその夜と昨日と足が痛くて眠れなくてホントつらい、ほんとツライ!!!!!(という気持ちが夢に)
さいきん読んだ本とか同人活動とか
三島由紀夫の「詩を書く少年」に出逢ってしまったことは、ある種の「不幸」だったかもしらんなあと思いつつ。いや、今日はってる本は和歌だったり詩だったり韻文なので。
まあしかし、小説書いて発表するなんてのもホント「しゅうち☆ぷれい」以外の何ものでもないと思ってるので、あんまり変わらないか、うん。
読んだ本はあとでぺたりとはるね、まず同人活動とか。
ひとりサークル「唐草銀河」としてのオフライン活動はすっかりお休みしちゃってるんですが、ありがたいことにお誘いをいただいて、アンソロとか合同誌とかホイホイ参加させてもらってます。
じぶんで手をあげるのって正直ちょっと不安なのでしないのですが(だって手をあげるってなんかおっかないんだもん!)、誘われたら断らないあたりがこう、わたしのコミュ障ぷりというか、自信のなさがうかがえますなw(だって、誘ってもらえた時点で世の中にひとりはわたしの小説読みたいっておもってるひといるってことじゃん? 基本自家発電だからさ~、褒められると不安になるタイプだし、ていうことがつくづくわかりましたw)
てことで、
さいきん、とうらぶファンフィクばかり書いてるように思われるかもしれませんが、オリジナルも書いてます。
先日、校了を終えたこちら。
#北陸アンソロ ヘッダー入れました pic.twitter.com/KZ3DOoiF6J
— うさうらら/宇佐卯楽々 (@usaurara) 2016年2月28日
コラボ花うさぎ(詳しくはこちらを →コラボ「花うさぎ」『夢のように、おりてくるもの』活動記録、同人誌、その他のお知らせなど - がらくた銀河)
、ひさかたぶりにヤりましたw うささんに誘われたのでww
『海柘榴(うみざくろ)』コミック&テキストです。
ちょっと珍しい形式なので、是非ご覧いただきたいです!
それにしても、うささんには朗読&コミックと色々わたしの「初めて」をたくさん奪っていただきました本当にどうもありがとうございます(四コマみたいなのは大昔かいてもらったけど、コミック形式は初めてでしたね)。
詳しいことは、こちらさまで。→ホーム - 北陸アンソロジー
文フリ金沢の1週間後に静岡で開催される文芸イベント。北陸アンソロジーも委託参加で申し込みました! https://t.co/xBOmzeLel2
— 北陸アンソロジー (@anthology_h) 2016年1月31日
あとこちらも。
Index - tales-of-start-line ページ!
皆様の作品進捗は如何でしょうか。さて今回は、「〜の物語」の文言提出が早まるという旨を、先立ってツイッターでお知らせさせて頂きます。早まりました理由は、主催のコミティア参戦が決定し、企画の宣伝の材料として使わせて頂きたいからです。後日詳細を連絡いたします。ご確認くださいませ。
— Webアンソロジー:Index (@Episodes_Index) 2016年3月15日
うささんと参加予定です。
どうぞよしなに☆
それから、
去年秋の文フリで委託でお世話になったヨモツヘグイニナ様に今回は合同誌『無何有の淵より』のお誘いをいただきました。ありがとうございます。
やたら画数の多いのがわたしですw
チラシは #テキレボ さん内のチラシ置き場にもおいていただく予定でいます。とりあえず執筆者様のお名前入りのチラシの画像を投下しちゃうぞ… pic.twitter.com/SN4ZL8jfrb
— 孤伏澤つたゐ@5/1文フリ東京オ22 (@tutai_k) 2016年3月8日
で、ここから本を、おもに詩集とか、韻文の「読み」についての本とか。
超絶久しぶりに日夏耿之介。
若いころ好きでしたすきでしたよ、ええ。
(いや、とうらぶトリビュートに使いたいなあというシタゴコロで借りてきたw)
さいきんここのシリーズふらっと読んでる。
前も紹介したけど、これがよかったので。
薄い本なので、移動のときとかにさらって読めて、詳しくてよかったのでおすすめ。
現代語訳もあるし、代筆のはなしとか逸話その他も詳しかったです。この下の記事にお歌のってます。
うちはママンがこのへんのひと大好きで。
なんか懐かしくて借りてきた。けっこう覚えてたなあ。
また貼るけど!!!!!
かっこいい、とてもカッコイイ。ユイスマンスの『さかしま』を読んでから呪縛にはまりキケロを避けてきた、というあたりとか面白くて堪らない。ラテン語が読めるひとがこういうことをおっしゃるからカッコイイんだよねええ。うひゃー燃えた☆
そうそう、 あとね、
- 作者: E.R.クルツィウス,Ernst Robert Curtius,南大路振一,中村善也,岸本通夫
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 1971/11
- メディア: 単行本
- クリック: 17回
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この本をして、「いかに大先生(クルツィウス)のお説とは申せ」という言葉で始まって、「こういうところにヨーロッパの学者のもつ、ある種の限界のようなものがあるといえるような気がする」て書かれてあって、おおおおおおおって思いました。そうですよね。すっかり忘れてたよ、そういう一文のあることなんて。というか、この大著をちゃんとまた読まないとだよあなあ。あ、問題にされてるのは「牧畜」「牧人生活」について、です。
それと、何度も貼るけど。
言葉を使うって凄いことだなあとしみじみ、本当にしみじみと。
https://t.co/1yCLZsCamj
— 磯崎愛 @原稿中 (@isozakiai) 2016年4月11日
ラストがカルヴィーノ様で締められていたのと(始まりは『薔薇の名前』)、ヴィヨンの少年ランボーによる擬古文の模作が一部引用されていてわたし的にとても美味しかったです。殊にランボーの、話しにはよく出てくるけど読んだことなかったので。
えーと、なんか他にもあった気がしたけど、疲れたのでこのへんで。
んじゃね~