えーと、ここで残念なお知らせですw
チョーしばらくぶりに(2007年以来!)応募した小説また一次も通らず落選でした><
ほんともー、ビギナーズラックで最終選考いって以来ずっとこんなんですが(アレがわたしの人生狂わせたよwww)、そんなに落ち込んでなくて、ていうか、いま逆に、ちょーヤルッキーな気がする♪(うん、なんか、そうかもw)
いやまあ、正直いつもじぶんの感情というのがよくわからないので、ほんとは凄くガックリきてるのかもしれませんが、ガックリきてる暇ないだろ的なツッコミが即座にはいってるので図書館いって資料借りてきてます、ええ。
http://novel18.syosetu.com/n1558bq/ (縦書きPDFにしたり文字の大きさを変えて読むことができます)
そんなわけで、伴走メモです。
Title: 「軍事介入の論理」 M.ウォルツァーとM.イグナティエフ ――シリア問題に寄せて――
Other Titles: Syria and the Logic of Military Intervention: Perspectives from the Thought of Michael Walzer and Michael Ignatieff
Authors: 福富, 満久
http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/handle/10086/25832
http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/25832/3/shakaikg0050200290.pdf
いまよんでる『歓びの野は死の色す』は西洋風歴史SFファンタジーでしかも時代が19世紀でとまってるのでオリエンタリズム全開(19世紀ですから!)、まして「死者 の軍団」なんてものをすらっと出してしまえるので、このへんのことはある程度のところお気楽にできるのだが(触れてはいるけど、最後はファンタジーですっ て顔してそれらしくかっこつけて終わりにする予定ではじめから、いる ていうか、それがああいうはなしの快感だとおもうのね)
『夢のように、おりてくるもの』に関しては、どうやってもそういう「お気楽さ」とは無縁、つまり現代と地続きすぎるので非常にめんどくさい
アタマ悪いので困る、もっと勉強しないとかけないのでツライところなのだ
ラスボスと店長(とその娘にして妻)のふたりがこのへんはきちっと担うべきひとたちなのだが(あと師匠と委員長、というか、弟子とその彼氏の「ライン」ね)、
書き手の無知や勉強不足でおはなしが小さくなってしまうのは本当に申し訳ないことなのだがしかし
わたしはジュネではないので、なあ・・・(遠い目)
語り手の頼りなさ、その覚束なさがおはなしを小さくしてしまうのは本意ではない。
そう言いながら、今、ふとわたしの胸をよぎったのはこの言葉だった。
『物語を支配するのは声ではございません、耳でございます。』
- 作者: イタロカルヴィーノ,Italo Calvino,米川良夫
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2003/07
- メディア: 文庫
- 購入: 9人 クリック: 55回
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わたしの「声」は、いつか、誰かの「耳」に届くのだろうか?
わたしの「耳」は、誰かの「声」を、いや、声にすらならない何かをしっかりと聴き遂げることができるのだろうか?
このおはなしの主人公である黒髪君は、誰かの「声」を聴くことができなくて堕ちたのだ、ということを思い出しながら。
さあ、もういちど言うよ、
「待ってろ、世界!!!」(やっぱ、めげてないしw)
んじゃ、書いてくるよーん☆