(※先日ハイクで http://h.hatena.ne.jp/matsuiism/11539585421224888213 のおはなしをいただいたので、ずいぶん前にかいた記事を再投稿しちゃいます!)
ほんともう、この暑いのに毛皮はナイだろうって思いながら、せっかく読んだのでアップし~ちゃおっとv
- 作者: L・ザッヘル=マゾッホ,種村季弘
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2004/06/04
- メディア: 文庫
- 購入: 9人 クリック: 400回
- この商品を含むブログ (32件) を見る
わたしが読んだのは、マゾッホ選集のほうなのですが、書影が出るほうが好きなのでこちらをアップします。
はるか昔に読んだときは、すでにもう使い尽くされた感のある迷(名?)台詞たちの出所はココであったかと、そんなことに感激していました。
個人的には「薔薇色の靄」ということばがお気に入り(笑)。
この当時から今にいたるまで現役で「ピンクのモヤモヤさん」ってイケナイ妄想をあらわす表現だったのかと思うと楽しいです。
そして、本家・本元だというのに、なんでしょう、このパロディ感!
それだけスゴイということなのかしら?
でも、う~ん、当時の衝撃度というのは別にして、小説のあり方という点で、なんとなくメリメの「イルのヴィーナス」のほうが迫力があり、
- 作者: メリメ,杉捷夫
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1986/03/17
- メディア: 文庫
- クリック: 1回
- この商品を含むブログ (13件) を見る
ドーデーの「アルルの女」のほうが、女性存在としての恐ろしさという点でも肝が冷えるというか・・・出てこないオンナだからこそと言われてしまえばそうなのですが・・・
- 作者: ドーデー,Alphonse Daudet,桜田佐
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1958/11
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログ (6件) を見る
- 作者: 桜田佐,Alphonse Daudet,ドーデー
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1958/01
- メディア: 文庫
- 購入: 1人 クリック: 3回
- この商品を含むブログ (7件) を見る
またはサドの一連の著作のほうが奥行きや幅はもちろん、数字好きなサドらしく、わりあい単純な繰り返しの多い話なのに深みがあるなあと感じました。あれはやはりとても立派な「哲学」だからでしょうかしら、ねえ?
- 作者: マルキ・ドサド,マルキ・ド・サド,渋澤龍彦
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 1991/04
- メディア: 文庫
- 購入: 5人 クリック: 55回
- この商品を含むブログ (35件) を見る
とりあえず、表紙が出てた作品だけ(笑)。
などと辛口なことをいいつつも、今回読み返してよかったのは、女神イシスの名前を見つけられたこと。
- 作者: ユルギス・バルトルシャイティス
- 出版社/メーカー: 国書刊行会
- 発売日: 1992/11
- メディア: 単行本
- クリック: 3回
- この商品を含むブログ (2件) を見る
バルトルシャイティスのこの本についてはまたどこかで書きたいなあと思っています。
ところで、このマゾッホという人物、「若くしてグラーツ大学歴史学教授」になった方なのですね。
前はそんなのに気がつかず読み飛ばしていたのか、なんの感興もわかなかったのか謎ですが、今回はすご~~~く納得!
ディレッタントな主人公の設定って、そういうことだったのですね?
そして彼らはフィレンツェに旅立ってしまうんですね~。
これ、ローマやミラノじゃないところが、ソレっぽいなあと(笑)。
もちろん、この「ヴィーナス」がかの有名な《メディチ家のヴィーナス》だということもあるのですが、でも、あの街の小ささが作品の雰囲気にとてもあっていて、ローマほどに開放的でなく、ミラノよりは北方でなく、春ともなれば美しいものの盆地だから夏冬けっして住みやすくはないというあの街だから、ラストシーンはああなったのだろうなあと思います。
トポス的にもバッチリです(笑)。
そして、ドイツ人の画家!
う~ん、これ、やっぱり他の国の男性だとダメなんでしょうね。
ティッツィアーノの名前は出てきますが、絶対に、あんな官能的な筆捌きでは描いていないとわかります。
ヨーロッパにおける「謹厳な北」と「官能の南」・・・という対比、
男とはいかなるもので、女とはこうであるという、あからさまな二項対立、
そうしたわかりやすさ満載のお話は、訳者であり解説者の種村さんのことばを借りるなら「今日通読してほとんど解説を要さぬ、それだけで立派に完結した物語世界」です。
そして、わたしが今回、オヤと思ったのはそのラスト。
「(前略)女は男の奴隷となるか暴君になるかのいずれであって、絶対にともに肩を並べた朋輩とはなり得ないのです。女が男の同行者になれるとすれば、女が権利において男と同等になり、教養も労働も男に匹敵するときがきてはじめて可能なのです。(後略)」
ん?
この小説、ほんとのところは「フェミニズム小説」だったのかしら?
そうとも思われるような、1870年発刊のお話でした。
ぜひともこの暑い季節、毛皮を着ない、本来の姿そのままのヴィーナスの美しさを愛でるため、イタリアへ旅立ちたいものです。
ラテンなわたしは南へと想いを馳せて、本を閉じました。