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がらくた銀河

磯崎愛のブログです。本館は小説サイト「唐草銀河」。

スーザン・ソンタグ『同じ時のなかで』「二重の宿命――アンナ・バンティ『アルテミシア』について」他メモ

スーザン・ソンタグ 西洋美術史 ふぇみ的
このブログで何度もこの本はとりあげてきたのでまあ、またか、なんだけどw
同じ時のなかで

同じ時のなかで

 

 序文 パオロ・ディオナルド、アン・ジャンプ
まえがき デイヴッド・リーフ

美についての議論
一九二六年――パステルナーク、ツヴェターエヴァリルケ
ドストエフスキーの愛し方
二重の宿命――アンナ・バンティ『アルテミシア』について
消し尽くされぬもの――ヴィクトル・セルジュをめぐって
異郷――ハルドール・ラクスネス『極北の秘教』について

9.11.01
数週間後
一年後
写真――小研究
他者の拷問への眼差し

言葉たちの良心(エルサレム賞スピーチ)
インドさながらの世界――文学の翻訳について(聖ヒエロニムス記念講演)
勇気と抵抗について(オスカール・ロメロ賞基調講演)
文学は自由そのものである(平和賞[ドイツ書籍出版販売協会賞]受賞記念講演)
同じ時のなかで――小説家と倫理探究(第一回ナディン・ゴーディマー記念講演)

 

「二重の宿命――アンナ・バンティ『アルテミシア』について」がもう、なんていうかもう、みんなに読んでほしいって叫ばずにはいられないんですが、まあ、いいやそれは。いや、よくない。

とりあえず、これだけはっておくね。

イタリア絵画史

イタリア絵画史

 

 

本書は、1912年にローマ大学の研究員になった24歳のロンギが、研究のかたわら美術史を教えた高校での講義録に基づいて書かれた。それが日の目をみた のは、60年以上も後のロンギの死後、ローマで講義を聴いた学生の1人でのちのロンギ夫人、作家のアンナ・バンティの編集による。

本のエッセー | カフェオランジュ | ホルベインアーチストナビ

 

 以前、『ナポリ・宮廷と美―カポディモンテ美術館展』を見たときの記事。

それから、ちょっと見るのが怖かったのがアルテミジア・ジェンティレスキの《ユディトとホロフェルネス》。

展覧会公式サイトの作品紹介頁より
http://www.tbs.co.jp/capo2010/works/03.html
 
史上名高い「女性」画家。わざとカッコで括りましたが。「含み」を読み取っていただければ幸いです。
このひとについては、したの本の「二重の宿命――アンナ・バンティ『アルテミジア』について」を読んでからイロイロ思うところがあったのです……

 

優れた父の娘、のアルテミジア。
そして、偉大な夫をもつアンナ。
ソンタグの批評は、アンナ・バンティの小説の論評であるのみならず、女性が仕事をすること、一人前の仕事をすることについての葛藤や苦悩、差別、その他を丁寧に、真摯にすくいあげようとしていると思いました。

にしても。
「女流」とか呼ばれちゃうゲイジュツカってなんなんでしょうね?

 

florentine.hatenablog.com

 

 どうせなので、

Anna Banti - Wikipedia, the free encyclopedia

これもおいとく。

以下、はてなハイクで引用してたのの自分用まとめ。

 

 

『同じ時のなかで』 スーザン・ソンタグ 著
http://www.nttpub.co.jp/search/books/detail/100001997#
 
「まえがき」から勝手に引用。 
「ぎ りぎり可能な線まで踏みとどまって、道義について猛り狂う自分をなだめて生きてきた作家たちを、私は数多く知っている。彼らには少なくともこういう幻想が あった。作品は自分より長く生きるだろう。また、遺族も長生きして、彼らの残り時間は思い出に忠実でいてくれるだろうという幻想。母はそういう作家の一人 で、自分の想像のなかで、片目だけは後世の世代に照準を合わせて書いていた。加えて言えば、彼女は消滅に対する純正な恐怖をもっていた」
「自著について彼女は強烈な自負をもっていたが、厳格な批判者でもあった」
「彼女はあらゆることに関心をもっていた。彼女を一言でいい当てる言葉が私にあったとしたら、それは「貪欲」だろう」
「「早 く大きくなりたい、早くもっと広い現実世界へ逃げて生きたいと思っていた子ども時代の私を救ったのは読書でした……文学、世界文学に手が届くということ は、国の虚飾、蒙昧、偏狭さの押しつけ、空疎な学校教育、中途半端な将来の進路、運の悪さ、といった檻から逃げ出せるということを意味します。」」
「「作 家はまず第一に読者である。自著の出来映えを判断する基準を、私は読書から学んだ。それに沿って評価すると、自分は嘆かわしいほどに不出来だと思う。書く 以前の、読むことから、私は共同体――文学という共同体――の一部となった。そこには、現世作家より大勢のすでにこの世を去った作家たちがいる」」
「読者諸兄姉、これからはあなたが引き受ける番だ」

 

 「早 く大きくなりたい、早くもっと広い現実世界へ逃げて生きたいと思っていた子ども時代の私を救ったのは読書でした……文学、世界文学に手が届くということ は、国の虚飾、蒙昧、偏狭さの押しつけ、空疎な学校教育、中途半端な将来の進路、運の悪さ、といった檻から逃げ出せるということを意味します。」

 

これ、我が事のようだとおもうひとが少なからずいるとおもうんだよね。

本さえ読んでいればキツイ現実とか色んなものから少なくともその時間だけは逃げ出せるというか。

幼少期ものすごく大変だったとは言わないんだけど(幼いころの我が家はわりあい平和だったので)、でも学校を休むことばかりだった、学校の隣りの病院によって診察してもらってから通学するようなおこちゃまだったわたしには生きてくことそのものが非常につらかった、ていうのは間違いなくあって(大病してるわけじゃないんだけどねw そこもまた辛いんだよ、ひとに「言い訳」できないからさ)。

 
『同じ時のなかで』 スーザン・ソンタグ 著
http://www.nttpub.co.jp/search/books/detail/100001997#
言葉たちの良心――エルサレム賞受賞スピーチ
 
「私たち作家は、言葉に心を砕く。言葉は意味をもち、言葉は指し示す。言葉は矢である。現実を覆う肌理の粗い皮膜に突き刺さった矢だ」
「作 家の第一の責務は、意見をもつことではなく、真実を語ること……、そして嘘や誤った情報の共犯者になるのを拒絶することだ。文学は、単純化された声に対抗 するニュアンスと矛盾の住処である。作家の職務は、精神を荒廃させる人やものごとを人々が容易に信じてしまう、その傾向を阻止すること、妄信を起こさせな いことだ。作家の職務は、多くの異なる主張、地域、経験が詰め込まれた世界を、ありのままに見る眼を育てることだ」
「さまざまな現実を描写すること、それも作家の仕事だ。汚れた現実、歓喜の現実。文学(文学の功績という多元的なもの)が供する叡智の精髄は、何が起きていようと、つねに、それ以外にも起きていることがある、という認識を助けることだ」
「私自身の見解は、もし真実と正義のどちらかを選ばざるをえないとしたら――もちろん、片方だけ選ぶのは本意ではないが――真実を選ぶ」
「私たちがもっとも大切にしているもろもろの価値観のなかには、矛盾も、ときには緩和しえない対立もありうる、ということを想起させること(「悲劇」とは、まさにこのことを指す)。文学は、「これもまた」とか「ほかにも」といった別の存在に気づかせる仕事だ」
「文学の叡智は、意見をもつこととはまさに正反対の位置にある」
「作 家以外の人々、有名人や政治家が偉そうに話しているのは、話させておけばよい。嘘八百だ。では作家が、同時に公の声としても語った場合、何かましなことが あるだろうか。それは、意見や判断を組み立てることが、みずからの至難の責務であることを、作家たちならば肝に銘じている点だろう。
 意見にまつ わるもうひとつの問題。自説に凝り固まるきらいがある点だ。作家がすべきことは、人を自由に放つこと、揺さぶることだ。共感と新しい関心事へと向かって道 を開くことだ。もしかしたら、そう、もしかしたらでかまわない、今とは違うもの、より良いものになれるかもしれないと、希望をもたせること。人は変われ る、と気づかせることだ」

 

 

13日間で「名文」を書けるようになる方法 (朝日文庫)

13日間で「名文」を書けるようになる方法 (朝日文庫)

 

ソンタグの遺言ともいうべきことば
コピペさせてもらった記事にもあるように、高橋源一郎の『13日間で「名文」を書けるようになる方法』のはじめにも記されている

 *1


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若い読者へのアドバイス……
(これは、ずっと自分自身に言いきかせているアドバイスでもある)

  人の生き方はその人の心の傾注(アテンション)がいかに形成され、また歪められてきたかの軌跡です。注意力(アテンション)の形成は教育の、また文化その もののまごうかたなきあらわれです。人はつねに成長します。注意力を増大させ高めるものは、人が異質なものごとに対して示す礼節です。新しい刺激を受けと めること、挑戦を受けることに一生懸命になってください。
 検閲を警戒すること。しかし忘れないこと──社会においても個々人の生活においてももっとも強力で深層にひそむ検閲は、【自己】検閲です。
 
スーザン・ソンタグ

【『良心の領界』スーザン・ソンタグ/木幡和枝〈こばた・かずえ〉訳(NTT出版、2004年)】
http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20100428/p5 (序の全文読めます)

 わたしはじぶんがフェミニストだと思ってるんだけど、

名づけとして、それは自ら公言しといても悪かないかなというかんじでいて、

とはいえ、そんなんわざわざ名乗る必要のない社会のほうが楽そうなのでそれがいいかなとおもってる。

でも、アジア人で女性で小説書きなので、そういう「認識」でいてもいいかな、みたいな。

そのていどのことですが、大事なことでもあります。

*1:わたしインテリげんちゃんの「小説」の読みは好きなんだろうけど、「ゲンジツ」のそれはじぶんとは関わりのないひとかなっておもってる、ことにさいきん