ほんとうは、本を、捧げたいんだろうとおもいつつ。
わたしにはそれだけのものがまだ書けているとおもえなくて、じっさいそうで、自分が情けないのだけど、お花を。
言葉ではなく、お花を。
ほんとうは、本を、捧げたいんだろうとおもいつつ。
わたしにはそれだけのものがまだ書けているとおもえなくて、じっさいそうで、自分が情けないのだけど、お花を。
言葉ではなく、お花を。
なんとなく、めちゃくちゃ久しぶりに伴走メモを再開しました。
いま、カクヨムさんで連載してます。
記事タイトルの後ろ側は、こちらから。
検閲を警戒すること。しかし忘れないこと──社会においても個々人の生活においてももっとも強力で深層にひそむ検閲は、【自己】検閲です。
- 作者: スーザンソンタグ,Susan Sontag,木幡和枝
- 出版社/メーカー: NTT出版
- 発売日: 2004/03
- メディア: 単行本
- 購入: 4人 クリック: 53回
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お上に検閲されることより、委縮して自分でじぶんを「検閲」するほうが問題なんだよなあって。ワカル。おっかないもんね。
いわゆる政治的なことだけでなく、いろんなこと。性的なことだったり、ひどく個人的なことだったり、色々なことですよ。
「言葉」というのはそのひとの「生命」みたいなところがあるから、じぶんのそれも、大事にしないとねっておもう。
ここで、この言葉について語りだす前に、はてなハイクの伴走メモのリンクだけとメモとをはっておきます。
「 原著はPassing It On---A Memoir として、2004年に刊行されています。原題が示唆するように(pass on は、「次に回す、伝える」の意)、また「日本語訳への序文」で著者自身が述べているように、回顧録は、「何よりも愛しい子どもたちのために」書かれたとのことです。 確かに、著者の家族や友人についての記述に、かなり紙幅が割かれています。(邦語版では一部が割愛されています。)とはいえ、原著が刊行されたときに、ある友人が私に一読を勧めてくれた理由は、著者ユリ・コチヤマがマルコムXと親しくしていた様子がよくわかるから、というものでした。マルコムXは私の研究対象ですので、早速購入して興味深く読んだことを覚えています。そんな思い出のある本が、邦語版の抄訳として、広く日本の読者に届けられることになったのは、個人的にも嬉しい限りです。なお、ユリさんの半生を綴った伝記としては、中澤まゆみ著『ユリ 日系二世ハーレムに生きる』(文藝春秋、1998年)が出版されています。」
http://blogs.yahoo.co.jp/hisaeorui/26390434.html
ユリ―日系二世・NYハーレムに生きる [単行本]
中沢 まゆみ (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4163544909
ユリ・コチヤマ回顧録―日系アメリカ人女性 人種・差別・連帯を語り継ぐ [単行本]
ユリ コチヤマ (著), Yuri Kochiyama (原著), 篠田 左多江 (翻訳), 増田 直子 (翻訳), 森田 幸夫 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4779115450/
丸屋さんの師匠の訃報。
R.I.P.
さて、「紅旗征戎吾事に非ず」を知ったのはたぶん高校生のときで、この本を読んだときでした。
あ、こんな本が出てるのね。
備忘のためにはっておく。
定家卿、めっちゃ好きでして。
青白い顔をしたかんしゃくもち、狷介(けんかい)の士。でも、わりとお茶目なところもあるとおもう。
『松浦宮物語』とか、ほんとに定家卿が書いてるんだとしたら、めっちゃラノベ☆
Wヒロインだし、ご都合主義だし、願望充足ファンタジーっぷりがチョーゼツ可愛い☆
ともかくわたし、定家卿が好きすぎて、式子内親王と恋愛して欲しくてたまらないので、誰か小説に書いてかいてと言い続けて、けっきょく三島も辻邦生さんも死んでしまってるので、ほんと悲しい。
ああいうひとたちが、戦乱の時代に生きた芸術家を書いてから逝くべきでしたよ。政治と、芸術と、恋と、ちゃんと書いてくれるべきですよ。
ちなみにふたりとも同じ年生まれ、学年が違う形かな。
てことで(?)、「紅旗征戎吾事に非ず」も好きです。
諸説あるらしいですが、若いときに書いたのでも、晩年に書き足したのでも、どっちであろうとも、わたし、この言葉がかっこよくてとても好きです。
かっこいい、という、どこか浮ついた言葉のままに好きだとくりかえしたい。ここに「重み」が必要になるほどのことがないように、願っている。
テキレボ5、おかげさまでコラボ花うさぎで出品したものは完売したそうです。
ほんとうにどうもありがとうございます!
こんかいテキレボでは、おじコレさんと疑似家族ナビさんにお世話になりました。
この場にて、重ねて御礼申し上げます。
素晴らしいレビューをいただいております。
こういうマップがあるのはよいですよね!
4/1テキレボにて開催します有志企画「疑似家族ナビ」 https://t.co/EgYZPPYMt8 では「疑似家族」要素が含まれている本、頒布サークルを紹介します。イベント当日はMAPを配布します。 #テキレボ #疑似家族ナビ pic.twitter.com/04voxNWdLK
— 疑似家族ナビ (@pfamilytr5) 2017年3月30日
またテキレボさんのアンソロの際は、じぶんが思っていたのをはるかに上回るたくさんの、ほんとうにたくさんの感想を頂戴することができました。
本当にどうもありがとうございます。
何度も言いますが、全年齢でこんなに官能的とかエロいとかいう単語が並んだのは初めてではないかという気がいたします。えへへ☆
(本文へのリンクもはっておきます)
うささんにはこういう振り返りもまとめてもらいました。
まいかいテキレボさんはツイッターのタイムラインを眺めるのが楽しいです。
委託での参加でしたが、元気になったら一般でふらっと遊びにいきたいとしみじみおもっています。
つづきまして、金沢文フリです。
#bunfree #文フリ金沢 委託33 卯楽々堂 委託作品『百花王』の冒頭試し読みチラシをつくりました。チラシ棚に預けます。古都・金沢にふさわしいデザインをと凝ってみたのでもらってくださいね!
— usaurara文フリ金沢委託33 (@usaurara) 2017年4月7日
作品のウェブカタログはこちらです → https://t.co/5XbpzqLyKC pic.twitter.com/K3gFiEWnfD
金沢、仕事では何度も行ったことがあるのですが(あ、学生時代も旅行したことあるな)、仕事じゃなくていってみたいですね。
『百花王』のうささんのほうは北陸アンソロさんへ寄稿した『海柘榴(うみざくろ)』との関連作ですので、ぜひ北陸繋がりで両方とも御手にとっていただけると幸いです。
北陸アンソロの次回頒布は 4/16 #文フリ金沢 です♪ アンソロにも参加いただいている里見様(@ystk310)のサークル【あ01 oricol】様で委託頒布いただきます! 静マル限定配布の鳥散歩用おまけポスカ付き(これでラストです!) ぜひお立ち寄りください〜 pic.twitter.com/8rlCdkdKCM
— 北陸アンソロ@通販休止中 (@anthology_h) 2017年4月5日
『百花王』の赤のほう「街にて赤灯る」、試し読みです。
どうぞよろしくお願いします!!!
きょう、会社のちかくの公園でサンドイッチを食べた。
もちろん独りで。
桜が、咲いていた。
七分咲きくらいだろうか。
綺麗だった。
わたしよりもずっと若い、ちいさな子供連れのお母さんたちがいて、子供は走り回ってたけど、お母さんたちはのんびりしてて、その姿を見ながらぼんやりと息抜きができた気がする。
ベンチに座って思い出していたことがある。
もう6年も前になる。
コメント欄にいただいた言葉を引用する。
今年4月4日の「血止め式」の記事、「イチレツランパン破裂して」に、florentineさんから一通の手紙コメントを頂戴した、というところからメモは始まっています。この頃、妹は得体の知れない顔面の痛みに四六時中苦しんでいた上に、地元の通院先から都内の大学病院への紹介状を出されたことで病魔への不安がいや増していた頃でした。「そんな折りだっただけに、東京はソメイヨシノがきれいです、と書かれたflorentineさんのその一行にえもいわれぬ慰めを感じた」と妹のメモは続きます。「桜見物どころではない人間はいくらでもいる。それでも桜はちゃんと咲いている。人間さまがどうあがこうとも、この地球で咲くものは咲き、降るものは降り、死ぬものは死んで、生まれるものはちゃんと生まれる。そうだ、これほどの自然生命の循環の中に、いっそ全部をまかせてしまえばいいのだと初めて思った。ただただ痛みが怖くて身を硬くすくませていた私の心奥が、florentineさんの手紙のその一行できれいにひと拭きされたような気がする」と。
いまでも鮮明におぼえている。
あのとき迷いにまよって「東京は」と書きはじめたときのじぶんの気持ちを。
もっと違う言葉、というより、それを選ぶ際の「方法」「手段」その他の何かもあるのかもしれないと考えもした。
けれど、あのとき、わたしが持つ言葉のなかから一番のものをさしだしたつもりで、そしてそれはそのとおりに受け取ってもらえたのだとわかった。
言葉が通じることがある、という奇跡みたいな体験をさせてもらったのだなと、きょうベンチに座りながら思い返していた。
わたしは家族や知人友人と言葉が通じないことが多く、「書く」ことでどうにか言葉と世界の折り合いをつけてきて、生きているひとたちのなかで孤独ではないと本当に感じるようになったのはインターネットの時代になってからのような気がする。
hebakudanさんのブログにあって、読んだもの。
貼っておきます。
とうとう月に一度しかブログを更新しなくなった磯崎です、こんばんは。
ところで、先日「世界観をどうやって作ってるのですか?」というご質問をいただきました。
作っているという感覚はわたしにはなくて、後でまた言いますが、「その世界を言語化してる」ていう感覚は山ほどあるのです。
えっと、
その前に、以下ふたつの記事、そこに紹介した本をよんでもらったほうがいいです。
(いきなり話しを終わらせてますがwww でも、名だたる作家から教わるほうがいいと思うのね。わたし、何かを教えてもらうなら超一流がイイっておもうひとだから、わたしなんぞの言うことより、ていうのは言っておきたいのだよ、どうしても! 保身もあるけど、だって、ウンベルト・エーコ先生みたいな地球人類の優れた知性の持ち主に教わりたいでしょ???)
あとこれ
よし、言い訳したぞ!
自分のやってることの整理のために書きます(はあ、これでこころおきなくやれるぞ)。
ぶっちゃけ、くりかえすけど、
小説書きのいうところの「世界観」て、ただたんに「世界を観て言語化する力」だとおもうんです。
てことは、ほんと、
本を読めばいいんですよ!!!
①世界中、そしてこの国の神話伝説民話の類を読みまくる
②シンボルや表象についての本を読む
③美術史の本を読む(服飾史や建築史や音楽史など、衣食住、ひとに関わる文化史)
④モデルにする時代や場所があったらそこの土地時代に関する本(政治経済宗教法律等)を読みまくる
⑤モデルにする土地に行く、むずかしいなら美術展を見る
ほんとゴメン。
ほんとに本を読むしか言うことないんだよw
だって、何度も言うけど言語化するってことだから、
⑤を体験しても「書く」てのは文字情報なんだよ!!!!!
視覚や触覚や味覚や嗅覚や聴覚という情報を「言語化」するには、本を読むのが手っ取り早いんだよ!!!!!
言わずもがなですが、うん、そうなのさ。
体験しても言えないと、駄目なの。
その言い換えが「世界観」なんだとおもうのね。
てことで、
かんたんな例と説明をほんのちょびっと。
物量で攻めるものなので、そこが大事とおもいますです、はい。
①世界中、そしてこの国の神話伝説民話の類を読みまくる。
世界中です!!!
もちろん中華とかヨーロッパとか限ってもいいんですが、ここの仕込みが多いとそれに準じてネタが増えるんだな。
何度でもいいますが、出来得るかぎり世界地図見て、ひとの住む土地すべて網羅したほうがいいです。
何故かというと、ファンタジーで国家や地方を考えるとき、それが土台にしやすいから。
あと、日本のなかでも北から南から、県ごとの民話とか読むと面白いのであわせて。
茨城県の民話―イバラの城ほか (県別ふるさとの民話 (36))
②シンボルや表象についての本を読む
いきなりカッシーラーもってきたのはわたしの趣味なんでw
事典をただ捲ればいいとおもいます。
テケトーに図書館で借りてきて、なんとなく意識するだけでよいとおもいます。
体系立てるのに、そっくりそれを真似てしまうと読者にネタ元を割ってしまい神秘性を失う、ていうのもある。
このさじ加減なんだろうとおもう。
③美術史の本を読む
ここまで読まなくともいいのかもですが、いちお。
入門の本、数冊だけでも是非!
何故かというと、「様式」の理解があると文化文明の説明描写がしやすいからです。ゴシックとかロココとかいう言葉を使わずともそれが表現できると、とたんに異世界に確かな手触りとでもいうものが得られます。世界を素描する力を自分のものにすることができるのです。
服飾や建築あたりもこのへんがわからないと難しいんじゃないかなとおもうので、美術史自体はちゃらっとおさえておくと便利と繰り返しておきます。
④モデルにする時代や場所があったら、そこの土地時代に関する本(政治経済法律日記等)を読みまくる
たとえばわたしはルネサンス時代イタリアをよく使うのですがこういう感じ。
概説本。
さらに当時の一次資料としての日記。
じっさいは一本の小説を書くのに3ケタの本を読みます。
短編でも少なくとも50冊くらいは読んでるとおもう。
ファンタジーだと科学との折り合いがありますが、医学とかそういうのも。
衣食住、ひとが関わるものすべて、戦争とか犯罪とかもそうでしょう。
⑤モデルにする土地に行く、むずかしいなら美術展を見る
言語化するのに、もともと言葉をあつかうのが得意なひとは行ってみてきたらそれですむかもしれない。なんとなく。
新しい世界に触れるってこと自体が、「世界の見方を刷新する」ことだから。
以上!!!
旅行したいね~~~~~(←オチはここだぞ☆)