がらくた銀河

磯崎愛のブログです。本館は小説サイト「唐草銀河」。

73 「なんとか生き延びなければならぬ」

編集S氏から電話があって、あ、こんかいはわたしが無職になった件を心配してとかじゃなくて、S氏の相談事だったんですが。

ふたりしてまたフローベールの『感情教育』で盛り上がってしまったw

またかよ、て思われるかもしれませんが、でも、感情教育チョー面白いYO!

あのねあのね、わたしは20代であれすごく面白かったけど、基本きっとあれの面白さは30代過ぎてからしみじみとワカルものかもね~。

夢のように、おりてくるもの

http://novel18.syosetu.com/n1558bq/ (縦書きPDFにしたり文字の大きさを変えて読むことができます

てことで、さくっといきます。

大江さんの『核時代の想像力』をよんでいる
これ、1968年の講演なんだね
でも、まるで今この日々のことのようで・・・!

あと、大江さんの小説大好きな大塚先生が、もう何年も前からずっと、何をやってきたのか、ていうのがようやく去年ハッキリとわかったようなニブイ私なのでなんか申し訳なさすぎるのだけど
まあしょうがない馬鹿はバカなりにゆっくりかんがえるよ
ていうか
あー
わたしもっとちゃんと大江さんの作品読まないとなあ、ていう感じがひたひたと

「詩 人は若死にしてもそのなかに完成がありますが、小説家には、その仕事の本質そのもののなかに、なんとか生き延びなければならぬというところがあるのではな いでしょうか。鈍痛で死ぬ場合だってありますが、ともかく生き延びるべくつとめて鈍痛に耐えねばならぬ。死ぬときも鈍痛のうちに死ななければならない。 (略)そしてぼくは、生き残っている小説家には、一般に鈍いところ、鈍痛で忍耐しているようなところがあると思っています」

 

核時代の想像力 (新潮選書)

核時代の想像力 (新潮選書)

 

 by florentine(磯崎愛)  

 
『核時代の想像力』読了

小説を読むようには読みやすくない、というかこのほうが一般的には読みやすいのかもだけど、わたしにはむつかしかった、講演だからなあ・・・
とはいえまるで今このときのようなはなしだった、68年! いや、もちろん、そうおもったから借りてきたんだけど
明治から、だよなあ
ほんとに
なんていうかなんていうか・・・

そういえばコリン・ウィルソン氏が亡くなったのだよね
そして、ユートピアが翻訳されたのが明治15年、自由民権運動興隆の時代だそうです
 
あ、大事なことを!
プロローグのための短い小説=沈黙の講演者
が、とてもイイ!
大江さんの小説よんでるひとはこれよむだけでもいいからひらくといいんじゃないかな

by florentine(磯崎愛)

 大江さんのいうように、小説家にはどんくさいところというか、のろまなところがあってイイといつも思ってて、それはわたしがどんくさくてのろまなせいでもあるんだけど(自己肯定感満載だよ☆)、でも、ほんとにときどき、あーーわたし、わたしというひとは小説かくのにとっても合ってる、才能はともかく「素養」はふんだんにあるよなあって心の底から感じるというか、素養はあると言われるときもちゃんとあって(素養ってでもなんだろね?w)、廉恥心もなにもなくそんなこと言えちゃうのはどうなのさ!? て思われるかたもありましょうがでも、うん、だって、わたしってひとは小説かくのとっても好きだし、それきっと、とってもじぶんに合ってるもん、てニコニコ笑顔で言えちゃうなあ。

まあ、なので、4月から無職ですがなんとか生き延びようとおもってますv(無職てなんかでも、イイ響きよねえええ♪)