東京は17日までなので、慌てていってきました!
前期も行きたかったんですがまだ足の調子がアレなので。ていうか今日も帰りの電車で立ってるのチョットつらかった><
いちばんのお目当ては細川幽斎の書状、例の「古今伝授」絡みのそれ。古今伝授の書状はこんかいは展示がなくて、家康に仕える東條行長らに宛てた書状。1600年8月2日の日付。
安土桃山時代から江戸時代へ移る慶長年間、細川幽斎は分かれた「古今伝授」を集大成します。 1600 年、幽斎は、智仁親王に「古今伝授」を始めます。おりしも関ケ原の戦いの直前で石田三成方と徳川方の対立の緊張が高まり、徳川方の幽斎は居城・田辺城へ帰 ります。その城を、石田三成方が包囲します。ところが、「古今伝授」の断絶を恐れた後陽成天皇の勅命により、城の包囲が解かれることになりました。
東常縁が確立した「古今伝授」が、後々まで尊重されたことを物語るエピソードです。
このエピソードは有名なので知ってましたが、今回そのときの書状が見れてすごくよかったです。少ない兵しかいないのに敵に屈せず籠城、その才を惜しむ勅命によって開城ってのがこう、戦国きっての文武両道のチート代表、細川幽斎! て感じだなあと。
このお歌の短冊も出てました!
古へも今もかはらぬ世の中に心の種をのこす言の葉(衆妙集)
【通釈】
【語釈】◇古今集証明の状 古今相伝の箱に付した証明の状。丹後田辺城落城に際し、死を決意した幽斎が、古今伝授の絶えることを怖れて門弟智仁親王(後陽成天皇の皇子)に遺贈しようとしたのである。◇心の種 古今集仮名序の巻頭を踏まえる。
【参考歌】三条西実隆「雪玉集」
いまさらにしきしのぶかな敷島の道のをしへにのこす言の葉
ちょいとメモも。
幽斎と黒田如水の関係。
茶人で歌人でもあるふたりの交流ここに詳しい。
元持ち主でいうと、小夜さんと長谷部さん、そしてどうも微妙な関係の歌仙さんの図???
(忠興と官兵衛はあまり仲がよろしくなかったようなおぼえがあるのだ)、
というのもありかなあ、とか、ね。
これも、近いうちにいきます。
あと、気になってる本もはっとくね。読まないと!
それと、無知をさらしますが、鞭をはじめて見たような気がして。
今まで見たことなかったのかなあ、わたし。あんな感じなんですね。もうほんと自分が何にも知らなくて怖すぎるっておもいましたです。
あ、
蜻蛉切さんは持ち主の絵姿と甲冑のかたわらでよかったなあ、と。
甲冑、黒と金でセンスいいなあっておもった。そしてあの数珠が凄かったなあ、と。
忠勝というと、この逸話がずっと気になってて。
晩年、自分の持ちものに名前を小刀で掘っていた時、誤って指を怪我してしまいます。
生涯57回の出陣において怪我ひとつしなかった忠勝は、これがはじめての怪我だったそうで、『私の命ももう長くはないだろう』と、家臣にこぼしたといいます。
そしてこの数日後に亡くなったそうです。
好きなんです、こういうの。ホントかどうかわからないけど、なんかこう、いかにも武人ぽいじゃないですか。
せっかく刀のお兄さんたちなので無茶苦茶な身体能力もってる、て考えたほうがソレっぽいよなあとおもってるのでしたまる。
そうそう、焼けた刀もありました。
こちらを思い出しながら見てきた。
とっても素敵でした、是非どうぞ!