番外5――小説ってむずかしいねえええ(嘆息)
「これは『小説』じゃない」とかそういう言い方、わたしは決してしないよう気をつけてるんだけど(言うとしたら、これはわたしのおもうところの「小説」じゃないであって、あくまでもそれに「」つけるねw)、
それとはべつに、
わたしもずっと、こういうこと考えてたなあっておもったので引かせてもらう。
本当に、みんなどうしてそんなにあっさり「小説」出来てしまうんだろうかって。いやみんな、書き出しは結構苦吟して書いているんだろうというのは分 かるんです。でも、おれの過去の小説らしきものを振り返ってみても我ながら「白々しい」と思ってしまうんですよ。「おれはどうして何の疑いもなく『如何に も』小説をスタートさせられたんだろう」と。
何て言うか、「如何にも」な小説が溢れているような気がするんです。プロ・アマ問わず。もちろんこれはおれ自身にも降り掛かってくることでもありま す。おれは取り敢えず今書いている「小説」らしきものを、思いつくがままに心の奥底にある声に従って始めているわけですがどうしてこんな書き出しから書き 始めてしまっているのだろうか、それを凄く不思議に考えています。
(略)
繰り返しになりますが、多分巧い下手で言えばおれより巧い人は世の中には山ほど居ると思うんです。そんな人と競い合ったって勝てっこないし、そういう人と闘おうという姿勢自体が間違っているかもしれない。「如何にも」小説している駄文を書いてしまうことになりかねないからです。おれが生み出したいものはそういう次元のものじゃなくて「おれにしか書けないもの」なんです。
ぜひ全文よみにいってみてくださいまし。
そして、わたしの言葉がなにげに過去形なのは、いまたんにその情熱より別の問題にかかずらって、ていうだけのはなしです。勝手にじぶんが「小説」だとおもってるものを真似して小説を書いた気にならない的な戒めは常にもってる。「小説」とは何か、ていう問いかけを抱えて書いてるのはいつものことなので。日々の基本です。
とはいえ、
さいきんは「物語」へと傾倒する自分というのも考えている。辻邦生さんを再読してるのはそのへんです。
この世には小説が、というか、上手に何でもできてしまうひとがいて、
ただし、小説というものにかぎっては意外とそうじゃないひとの味方なんじゃないか、ていうのも個人的には言い添えたいです。
これはもちろん、じぶんの願望というか希望でもあるんだけどw
小説書きはとろくさいひとが向いてますよ、少なくともわたしはそう信じてる。
あと個人的にこのへんの問題と相対するときのために生成論、もちょっと読みたい。ポール・リクールも。読みかけたままなので。
そんな感じです。
あ、これおいとくね。
ところで、
なにか新しいことを始めたい気持ちが山のようにあるのだけど、まあまず歩けるようになりたまえ、ていう当然のアレもあり、
かんがえてる。
それから、
世界小説化計画
参加者全員で主題を決め、それぞれが小説化する。新型創作講座
これは新しい創作の講座であると同時に〈計画〉です。参加者全員でテーマを決め、プロットを考え、描写を検討し、それをもとにそれぞれが1期で短篇を1作仕上げます。秘密基地的に世界とテキストについて考えてみましょう。
今回はちょっと歩くの怖いから行けないんだけど、7月にはいきたいのではっておきます。