ほぼ一日一辻邦生本、みたいな。
主人公がちょっと変わってて、旗本の長男に生まれながら歌川派の浮世絵師になった歌川貞芳、という設定。花鳥図や風景図をかかせれば腕は確かだと認められているけれど、いまだに女絵はかけない。むろん描いてはいても、外に出すには至らない。さてどうしたら――というこれだけでこう、なんていうか、そそられるよなあと。
いわゆる捕り物帖に分類されるんだろうけど、ちょっとやっぱり雰囲気がちがう、かなあ。出てくるひとびとはたいていお武家のひと、なのだよね。
しかも、主人公がそういうひとなので、つねに絵について云々してるのがたいそうツボです。そのぶん、世話物人情物の泣ける要素の「やわらかさ」はないかもしれない。泣き要素がないわけじゃないけど、辻さんの小説には気品が満ち溢れてる。
(うまくいえないんだけど、「気品」て今、もしかしてあんまりイイ言葉におもわれないのかもしれないと怯えつつ、でもわたし、そういうものが備わってるものが好きなんだよねえ。そして、気品て努力で備わるものではなさそうだけど、うん。そしてまた、容易にひとを近づけさせないものでもあるというのは理解しつつも)
脇役には当然のごとく蔦屋重三郎がいて(この名前が出た時点でこのおはなしがいつの時代か特定される)、毎回絵のモデル(像主)として何かしらの謎を秘めた「美人」が登場し、ときには友人の旗本赤木半蔵があらわれ、または八丁堀与力の秋山冶右衛門は事件が行き詰ると画室を訪れ、飯炊き爺の伊助がちょっと面白いことをいう、といったような役処もはまっている。
また、幕藩体制の軋み、歪みを物語する歴史物としての面白さにとどまらず、プルシアンブルーについてのはなしなどもあったりと、小道具遣いも面白い。
短編連作なので事件自体の繋がりはないいっぽう、舞台装置としてうえの関係は常に一定で、しかも事件はすべて「美人画」のモデル等が発端となっているのだから仕掛けとしては凝りにこっているのだけれど読後はそれを感じさせず、歌川貞芳という浮世絵師の日常、季節の移り変わりと歩いた場所、そして絵の完成をただただ丁寧に切り取ったようにおもえるのがとても魅力的だ。
それがつまり、タイトル通りなのだろうなあと。
あと、
いまさら気がついたこととかではないですが、
辻さんはほんとに画家を主役に据えたり画家についての話しが多いよなあと、
たぶん、そこらへんも好みなんだろうなあと。
(なんどもいうけど、奥さまは美術史家の辻佐保子さんです!)
そして、
おお、こんなものも!!!
辻さん、もっともっと読まれるといいよ!