今週のお題「今年の抱負」
すこし、外国語に触れる。すこしでいい。色々できないから。でも、文字を眺めるよりもうちょっと進みたい。ちゃんと「読む」というほどでなくても。撫でてさわる、くらい。
記事タイトルは下のほうで出てくる本からの引用です、思い出したので。
ところで、足がイタイときは小説あんまり書けません、ていうかほとんど書けません(痛み止めはまだ飲んでる)。で、資料というのもあまり読めず、けっきょく寝転がって本をよんでいる。
このところずっと ジャン・ジュネの『恋する虜』を読み返してるはなしはしたとおもう。
くりかえすけど、どうせ小説も書けないし、小説を書くためのスケジューリングも出来ないしで、辞書はひらいてないけど、一語一語、見ていってる。何度も言うようだけど、読んで、というほどのレベルに到達していない。
ただ、あの素晴らしい冒頭にあるように、そこにある「黒い記号」を目で見ている、もう少し馴染みが出来るために触る、というような感じで。
ほんと、ジュネの冒頭の素晴らしさはなんていうかなんていうか、もう、ホントに凄いとしか言いようがないというか、眼と心臓を撃ち抜かれる、もう何十回と読んだのに(冒頭は好きすぎてホントに何十回も読んでるのに!)読むたびにドキドキしてしまう。
- 作者: Jean Genet
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あと、英語版もあったほうがわたしにはいいのかもと思いながら(学生時代ゼミではたいてい英語も同時に渡してもらってた)。
ただし、サイードが何かで書いてたようにタイトルがもう、チガウんだよねえ、英語だと。
Prisoner of Love (New York Review Books Classics)
- 作者: Jean Genet,Ahdaf Soueif,Barbara Bray
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もうなんどもはってるけど、
また、はっておく。
サイード『晩年のスタイル』より「(……) そこで彼は、ひとりでいるときだけ、真実を語るのだと述べている。この考え方は一九八七年の『パレスチナ研究』誌とのインタヴューでさらに練り上げられる ――「わたしは話すとすぐに、状況によって裏切られる。わたしは、わたしの話を聞いている人によって裏切られる。なぜなら、まさにわたしが話しているがゆ えに。わたしは言語の選択によって裏切られる」。」
「これに劣らず非妥協的なのは、『恋する虜』である。そこに物語めいたものはない。政治や愛 や歴史について連続した、もしくはテーマとしてまとまった省察というものはない。事実、その本のなかでもっともめざましい功績といえるのは、雰囲気とか論 理を、とりとめもなく続くようにみせて、しばしば唐突に変化させながら、読者をひっぱってゆくことだ。結局、ジュネを読むとは、彼の感性のまったく飼いな らされていない特異性を受け入れるということである。彼の感性は、反乱と情熱と死と再生が結びつく領域につねに立ち返る――」
「端倪すべからざる 逸脱を繰り返す構造をもつ『恋する虜』のなかでもっとも印象的な断片のほとんどが、言語についての省察である。ジュネはつねに、言語から、アイデンティ ティと言明のための力を抜き取り、言語を侵犯的で、攪乱的で、そしておそらくは意識して悪辣たらんとする裏切りへの様式へと変えようとしている」
なんでじぶんはあんまりしゃべらないんだろうなあ、ていう理由はもう、なんか、これに尽きる気がする*1
「健全な関係」を築くのはむずかしいです、はい。じぶんの感情やおもってることを述べるのは、なんだかチガウことのような気がして生きている。
だいたい「小説」のほうがまだましなふうに言えるとわかっていることを、どうやっても誤解を招くか不穏なことにしかならない方法で表現してもなあ、ていうのはある。それにたぶん、わたしはたいそう弱い人間なのでもう、誰かに何かを乞うことに疲れきってしまったんだろうとおもう。
あと、じぶんの言葉が「他者にとって脅威となる可能性」が明らかである場合、口を噤むほうが穏当だとおもってる。むろん相手を傷つけないための配慮でなく、じぶんの生存を危うくしないために(というふうに物事を書き連ねてしまう自分の態度が妙に痛々しいがしかし、まあ、自己省察するとこうなる)。それはいわゆる「自己検閲」に相応するものだけど、だからこそ「小説」ではしないと決めている。
鵜飼哲『応答する力 来るべき言葉たちへ』(青土社)
http://www.seidosha.co.jp/index.php?%B1%FE%C5%FA%A4%B9%A4%EB%CE%CF
読みちう。
ゆっくりさいしょの一行からと思いながら、ジュネのところを開いて心臓にクる。
「いまや知られているように、五二年以降のジュネの考察の中心の一つは、眼差しの問いに他なりません。つまり眼差し、眼差され、自らを眼差し/眼差しあう(se regarderという表現の二重の意味、つまり再帰性と相互性)経験についての考察です」
ああ、そっか。って。
此処ですかって思いました。
まあ、すんごい遠回りしてようやく此処へ来たのだから、このまま行くよ。
と、自分に呆れてみせる。
これだけではちょっとわかりづらいですね。
前へ戻り。
「恥(サルトルによれば、恥とは物になる経験、〈他者〉の眼差しの前で自分になるという経験です)」
と、この前後に続く文章はわたしのなかでまだおぼろなので(いや、たぶん、なんとなくはわかってるのだけど、飲みこむには大きすぎる塊なのだな)、割愛。ところで。
序章の「愚かさの寓話」に、すっごく面白いことが書いてあった。
「興 味深いのはここでドゥルーズが、とりわけ明確に哲学と文学の、そしてさらに、「最悪の文学」と「最良の文学」の区別を立てていることである。「最悪の文 学」とは愚かさをもっぱら他者に投影し、愚言集を編み上げて自足する文学である。「最良の文学」とは愚かさの問いに取り憑かれ、それに「宇宙的、百科全書 的、認識形而上学的次元を付与し」「哲学の戸口まで導くことのできた」文学である。哲学はこの問いを、真偽の二項対立の権威にそれを従属させることなく、 言い換えれば、愚かさを誤謬と混同することなく、受け取ることができなくてはならない」
これ、すっごくよくわかる!!
だって、『神曲』とかまさに、ここで言われる「最良の文学」そのものだし!
あと、これって絶対に「SF」のこと、だよね?
SF、SF、えす・え・ふ~☆
わたしには、レイフェル・ラファティおじさんの声が聴こえる。
気を緩めたらすぐに罵詈雑言の山を築きあげることなどいくらでも出来る。恨みつらみについても同等で、溜め込んだものがあるのをじぶんで知るからこそ、言わない。
- 作者: ジャンジュネ,Jean Genet,鵜飼哲
- 出版社/メーカー: 現代企画室
- 発売日: 1999/11
- メディア: 単行本
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わたしというひとのかなりの部分は、翻訳物と呼ばれる一連のなにかで育まれたとおもっている。
じぶんが今いる場所と違うところのひとたちのこと、その歴史、文化、そういうものを知るのが面白くて楽しくて、ときどきほんとにその違いに愕然とすることもあるし、それでイロイロ考えたり悩んだりするのは自分にとって大切な経験なのは幼いころから変わりない。いや、今のほうがもしかしたらずっと重要なのかもしれない。
たしか、これを読んだとき「地球規模の翻訳作業」という語になんか、ぐっときたおぼえがあるので、はっておきます。
鵜飼 哲 『応答する力 来るべき言葉たちへ』http://www.seidosha.co.jp/index.php?%B1%FE%C5%FA%A4%B9%A4%EB%CE%CF
「そしてもうひとつ、ジュネとドゥルーズの傷をめぐる思考には、キリスト教文化を背景にしてはじめて理解される部分がある。キリスト教はすぐれて傷の宗教 である。政治的か否かを問わず、傷、受難、告白、謝罪、改悛、和解、赦しをめぐる言説には否応なくキリスト教の影が射す。それはもはや影響というレベルの ことではない。受難と贖い、あるいはむしろ受難による贖いというキリスト教思想の世界化を前提に、別文化、別の時代のなかで、別の戦争に抵抗するために、 死者を思い、死者のかわりに生きる〈私〉の生を思い、すなわちただ単に生きるために、一見無宗教、無神論の形さえ取ったキリスト教の両義的な世界化にどの ように応答するべきか。本書で触れた何人かのアジア人の表現は、例外的な力でこの課題を照射し、そこに繰り返し訪れるべき痕跡を遺したと思う。
「応答する力」、この表現もひとつの翻訳でありうる――フランス語で responsabilitéと綴られるラテン語由来のヨーロッパ語の。新たな世 界戦争のなかで、それに抵抗するため、一刻も早くそれを終わらせるため、応答する力の増大を求めて地球規模の翻訳作業が、集団、世代、個人の経験の間で加 速化している。日本語の表現世界もその渦中にあること、本書が示そうと望んだのはそのことでもある」
「終章 傷になること」から引用
「「応答する力」、この表現もひとつの翻訳でありうる――フランス語で responsabilitéと綴られるラテン語由来のヨーロッパ語の。新たな世 界戦争のなかで、それに抵抗するため、一刻も早くそれを終わらせるため、応答する力の増大を求めて地球規模の翻訳作業が、集団、世代、個人の経験の間で加 速化している。日本語の表現世界もその渦中にあること、本書が示そうと望んだのはそのことでもある」
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— 日本翻訳大賞 (@nihonhonyakut) 2015, 2月 1