一昨日昨日と自営業(画廊留守番)したせいか足の腫れが酷く、午前中寝てたらそれが引いたのはいいのだけど、ちょっと立ち歩くと、ぴ、ていう引っ掛かり、衣類が裂けるような不快感がアキレス腱のあたりを刺すように通り抜ける。断裂、という言葉があたまをよぎる。いやな感じがして外へ出かける気力がない。というか、たぶん、出ちゃ駄目なんだろう。
でも無職w むしょくなんだよほんとにもーwww
いやー、こまったです。が、まあ、しかたないしかたない。
そんなこんなで、今日はさくっと伴走メモからいきますよ。
「スカーフ事件を「生で」体験した生徒の声を聞く限り、市民性教育の理想とする行動をとったのは高校生たちであった。小学校から公民科で「他人の意見を聞 く」とか、「異なる人と共に生きる」という教育を受けてきた生徒にとって、スカーフをかぶった同級生が発言権を与えられず、排除されようとしている事態 に、権利が守られていないと疑問に思うのは当然であった。放校される同級生の権利を守ろうと立ち上がったのは、まさに市民性教育の実践である。権利や人権 に関する知識を現実社会に照らして判断し、責任を持って行動する民主的な市民としての態度がフランスの高校生たちに育まれている。それはやはり義務教育期 間に市民性が自然と育まれた結果であるといえるだろう。」
http://synodos.jp/education/6632
EU市民権と市民意識の動態 (叢書21COE‐CCC多文化世界における市民意識の動態) [単行本]
鈴木 規子 (著)![]()
EU市民権と市民意識の動態 (叢書21COE‐CCC多文化世界における市民意識の動態)
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師 匠といいんちょの養子と弟子、ラスボスと店長とその娘と妻のラインはココを描かないとならないはずなのだが、わたしに力不足でたんに他者排除としてのいじ めとしか表現されてない、いや、そこはわざと突っ込んでないんだけど、ね。あのはなしの荷重はそこにないから、その程度で示すほうがエレガントだとおもう ので。
とはいえ、もちょっとヤレルとよかったなーとはもちろん、思ってる。
黒髪君と茶髪くんが海外の大学いって、そのあとかまえか、だろうなー、いや、書くとは言ってないけどw
現代のこと書くの、じつはとても難しいよね、ておもう。
身の回りのことだけなら別だけど、視野の問題というか、批評批判であるのは当然として、さらにはそれなりに展望というものをも書かないと味気ないという時点で。
ずっと「共同体」について考えていて、たぶん、わたしのはなしはほとんどどれもそれについて語ってることになるのだろうけど、「世界観」と言い出す理由もきっと、個人(みくろこすもす)と世界(まくろこすもす)の有り様を「社会」がどう受け容れるのか、ていうところが焦点にあるからだとおもう。
前もつぶやいたかもだけど、わたし、じぶんが「宇宙人」だとおもってるんだろうな、間違ってこの地球に落ちてきちゃった的なw ことをここに書けるわたし、すんごく恥ずかしくて偉いwww(だってハズカシイの好きなんだもんv)
(でも、なんか、すごく「人間のふりをしている」て思ってることがあるよ。しゅのーせんせーが、
なんだか50年近く一所懸命人間のふりをして生きてきたような気がするw
— 殊能将之 (@m_shunou) 2010, 8月 1
て呟いてらしたけど、すんごくよくワカル。もちろん、わたしなんかと一緒の気持ちではないんでしょうけれど、あのしゅのーせんせーですから! でも、なんか、そういう感じがする、ん、だよね)
(そういえば、うささんにはコスモポリタンて言われてたよね、言われてたで間違いないらしいので、こすもって宇宙じゃん!w)
というわけで、
うえの文章をもういちどここに引く。
「小学校から公民科で「他人の意見を聞 く」とか、「異なる人と共に生きる」という教育を受けてきた生徒にとって、スカーフをかぶった同級生が発言権を与えられず、排除されようとしている事態 に、権利が守られていないと疑問に思うのは当然であった。放校される同級生の権利を守ろうと立ち上がったのは、まさに市民性教育の実践である。」
わたしのなかには、こういう態度が当然である、という「感覚」が備わっていて、それはきっと、世界文学(的なもの?)から教わったもので、素朴すぎると言われようと、実際はそれを行わない人間たちへの憤りというのを抱えて生きていたりするたいそう生真面目なところがあって、しかしそうした憤りこそがまた誰かを排除する「理由」として容易に利用され得ることを理解しているがためにその表明を躊躇(ためら)い、どうすべきかと考えて、凡人であるがゆえにだいたいにおいてはどうしようもなく、その生き辛さのために小説かいてるんだろうな、とは思っている。
ただし、己の生き辛さを吐き出すだけのものはけっきょく同じ痛みを持つものにしか通じないていどのモノだ、という弁えはもっていて(それが悪いというのではないのだけれど、長生きはしづらいかな、ていう感じ)、
「待ってろ、世界!」
とは言う。言うことにしている。
待たれてないかもしれないけどw
まあべつに、だからといって「コロニー落とし」たりしないwww
でも、平気で人類一掃し、地球ひとつくらいぶっ壊すぜ、てはなしは書いている(『遍愛日記』ねw)。
それにくらべたら、ずいぶん穏当な小説です。
という顔をして、さりげなくさりげなく、「野望」がたくさんつまってるかもだけど。
よろしくね☆http://novel18.syosetu.com/n1558bq/ (縦書きPDFにしたり文字の大きさを変えて読むことができます