がらくた銀河

磯崎愛のブログです。本館は小説サイト「唐草銀河」。

54 「(そんなことしたら)登場人物に対して失礼」ていう感覚のある作り手が好き

kakuyomu.jp

アニメたぐでいいのかな?

夢のように、おりてくるもの

http://novel18.syosetu.com/n1558bq/ (縦書きPDFにしたり文字の大きさを変えて読むことができます)

ごめん、今日も長い。

けど、ここひとまとめだからこのままいく。

逆襲のシャア友の会 富野インタビュー
http://d.hatena.ne.jp/char_blog/20110626/1309097046
庵野 僕なんかが言うと、凄くおこがましいんですけど。富野さんの作品は(富野さん自身が)全裸で踊っている感じが出ていて、好きなんです(コブシを握っている)!
宮さんの最近の作品は「全裸の振りして、お前、パンツ履いてるじゃないか!」という感じが、もうキライでキライで。「その最後の一枚をお前は脱げよ!」というのがあるんですよ(すでに調子に乗っている)。」
「だ から、さっきも言った宮崎さんのフィルムがロリコン趣味の部分が見えてね、って事についてね。「本来、ロリコンなんでしょ、だったらそれ言っちゃいなさい よ」。それを言わないでこうしてるから、いけないんだ。どういうことかっていうと、白いパンツが見える、その瞬間を、この描き手というか、演出家が、 ファッションでしか見せていなかったり、知った風なものでしか見せていなかったり。(キャラクターの)肉付きがね、見えるって所まで意識しないで出すんな ら、それは止めて欲しい。
それで、パンツの向こうも、もうひとつ脱がしたいんだろうって、それがあるのか、無いのか。やっぱり知った風な、ロリコン漫画風になっているのなら、それこそ教育上良くないから止めて欲しい。アニメなんていくらでも、見せないで済ませられるんだからね。
見せるからには、少女のお股の所に食い込んでいる白いパンツがね、光っているのか光ってないのか。「見えちゃったんだよ」なのか、「見えたから、どうなんだ」という部分なのか?
それはキチンとやって欲しい。例え、セル絵であってもなの。
だ から、「その子のパンツを見てしまった」「見えてしまった」「見なくちゃいられなかった」。つまり、どっちかキチッとしてくれないと。そのキャラクターを 出した意味が無いというよりも、僕、失礼じゃないかと思うんですよ。うかつにパンツを描いちゃって。失礼じゃないか。」

猥談注意! な内容だけど
いってること自体はよくわかる、なああ
だからわたしは富野御大が大好きで、信用信頼している 
「キャラに失礼」ていう感覚のあるひとが好き
それから、じぶんを守りながら作品をつくらないひとが好き
その下品さを、下劣さを、ちゃんとしっかりじぶんで引き受けてるひとが好き
表現が暴力だって心得てて、そこから逃げないひとが好き

アングラ
そうね、アングラ
てもう、言わないよなあああ

御大の描く女性がきもいってひと、この世にたくさんいるとおもうのだけど
わたし、好きなのよ
ていうか
富野アニメの女性はみんな、男の思うとおりにならないひとたちばかりでw
あのへんのリアルさが、ほんとに好きw
都合悪いオンナ最高☆
ウソがないんだよな、ああいうところで
なのできっと好き

あと、いきなし三島のはなしとか出てきて受けた
 
作品の主張と作者のそれはチガウことがあるものだけど
映画はきっと見ないだろうからアレなんだが、しかし、それでも
宮崎さんのこのインタビュー、なんか、引っかかる
ttp://www.nikkei.com/article/DGXNZO57782960W3A720C1000000/
「職業人というのはその職業の中で精いっぱいやるしかないんだ」
ていうのは、どういう意味なのかよくわからない
字義どおりに受け取っていいものか
ここはなんかツッコムところではないのか?
なんかこう、咄嗟にアーレントの例のあれとか思い出すよ

ここで問い質すべきは「責任」ではないのかしら
科学技術の倫理とか、そういうの
映画評いくつかのぞいたら、エリート主義貴族的とかいう語が散見されたが、「選ばれし者」たることはつまり、責任を負う、ということと同義語なんだがわたしの定義においては

べつに矛盾自体はどうでもいいが(どうてもいいよw
堀田善衛をよんで、どうしてこういう語がすらって出てくるのかがよくわからん
例によって突き放したとことはあるけど、こういう「一生懸命」とか「まっすぐ」という言葉で何かをいったような気になる思想の持ち主ではないとおもうけど?
(まあインタビューだから、そのへんはわかんないけどさ、ていうか本人がそう言ってても作品は違うメッセージを送ることはあるんだけど

2013-07-19 サンデー毎日95年6月3日号 SFアニメと「オウム」考 富野由悠季
http://d.hatena.ne.jp/char_blog/20130719

ここで美意識と倫理の問題にツッコム御大は信用できる、ましてじぶんたちのしてきたことの結果がこれか、ヤバイ! て言いだすひとのほうがわたしは好き

美しいものが大好きなのはわたしだよ
ただ、
ただ、
その傲慢を美しく描いたらそうとうカッコ悪いんじゃないか、ていうのはあるよ
 
再掲しておく

ハンス・ヨナス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%83%8A%E3%82%B9
自然・環境・人間 ヨナス『責任という原理』について
http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~tsina/kantetu51.html
ヨナス『責任という原理』書評
http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~tsina/JonasPV.htm
あとで
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/131932/1/2010journal05.pdf
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/Dupuy_japanese_2011.pdf

ちなみにわたし、べつに「倫理的な作品」でなければならない、みたいなのは一切ないYO☆
谷崎大好きだし、ね(悪魔主義☆)
ただし、作り手がボケかますんじゃないよ、とは常におもってるけどw(小説家は馬鹿でもゆるされるけど、馬鹿のかいた小説がじぶんにとって面白いのかというとそれはないのさ、それは)

しかし、
世の中というのはそうはできあがっていないのさ
誰しも「甘い」もののほうが口にいれやすいからね
わたしがそういうのを好かない、愛せない、というだけのことであって、まあ、しょうがないw
じぶんにはウソはつけないさ

by florentine(磯崎愛)

 

「悪意なき殺人者と憎悪なき被害者の住む楽園」*
――ヒロシマチェルノブイリ、フクシマ――
ジャン=ピエール・デュピュイ
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/Dupuy_japanese_2011.pdf
「ア ンダースとアーレントは、まったく悪意が存在しなくても悪はおこないうるというスキャンダル、まったく悪意がなくても途方もない責任が生じうるという点を 指し示していました。われわれが持つ〈道徳〉という範疇は、悪が想像可能な範囲を超え出てしまうと、悪を描写したり裁いたりできなくなってしまいます。そ して、次のように述べる以外になくなってしまうのです。「大きな犯罪は自然を害い、そのまったくために地球全体が報復を叫ぶ。悪は自然の調和を見だし、罰 のみがその調和を回復することができる」vと。ヨーロッパのユダヤ人たちは、「ホロコースト」という語の代わりに「ショアー」という語を用いるようになり ました。「ショアー」は、自然のカタストロフィーという意味であり、とりわけ津波という意味ですが、この変更は、自分たちが被害者であったり責任者であっ たりする事柄が思考の域を超えてしまうと、悪=厄災を自然のものとしたくなる。そうした誘惑を示しているのです。」
「善が悪に転じるという悲劇的 な逆転、工業社会に対する偉大な批判者であったイヴァン・イリイチ(1926年-2002年)は、その逆転を反生産性....と呼んでいました。彼は、今 日、最も大きな脅威は悪人から来るのではなく、善.を.目指す工業界......から来ると主張しました。悪意のある人々よりも、国際原子力機関IAEA)のように、「全世界の平和、健康、繁栄」を保障する使命をもった組織こそ恐れるべきだというわけです。反原発派の人々は、戦うからには敵を 〈きわめて腹黒い人々〉として描き出す必要があると考えていますが、その態度がかえって批判の力を弱めていることに気づいていません。われわれを脅かす巨 大組織の人々が有能かつ誠実な人々であることの方がはるかに深刻なことなのです。その人々は、なぜ自分たちが非難されるのか理解できないわけですから。」

あちらの世界における善と美のちかしさについては説明はいらないだろう
美しさやかっこよさや便利さ等のもつ「危うさ」ということについても、トミノ御大はくりかえし語ってきているわけなのだけど(ていうか、御大はアレントに感銘を受けてるんですよね)
しかし御大、あれは褒めてるらしい
「本音」だから、なのかなあ?
by florentine(磯崎愛)

なんかわたし、長年ずっと「善悪」がわからない、て言い続けてて、それってどうなのさ!? て自問自答するも、でもだって、ソレわたしのなかにナイんだもん、ていう開き直りというか、たぶん「貪欲・強欲」な人間に「倫理」説いても無駄よねっていう傲慢な割り切りがあって、んー、だから「生権力」の勉強したいなあ、読まないとなあって思い続けてるのよねえ。むずかしくて、できてないんだけど。

わたしは、わたしがいつでも暴力的な存在だ、ていうふうに規定してるのかもしれない。ていうか、生きてるものはみんな「暴力」だよ!!!

ちなみにわたし、カレシによく「凶暴」といわれてますwww(オチはここだよ!w)

 

 

富野に訊け!! (アニメージュ文庫)
 

 

 

映像の原則 改訂版 (キネマ旬報ムック)

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