先日ようやくカルヴィーノ様の『アメリカ文学講義』を読み終えたとお伝えしたかと思うのですが、イロイロ思うところがあったのだけど、というか、小説の技巧云々はもちろんのこと、なんていうか、うーん……そう、えっと、
しゅのーせんせーを思い出したりして。
えっと、ちょくせつ書くのはなんか、やだな。
やだな、と思うけど書かないとツタワラナイか。 でもな、でもなーっておもうから、カルヴィーノ様の本だけ、あげておく。
カルヴィーノ アメリカ講義――新たな千年紀のための六つのメモ (岩波文庫)
- 作者: イタロ・カルヴィーノ,米川良夫,和田忠彦
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2011/04/27
- メディア: 文庫
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くもの巣の小道―パルチザンあるいは落伍者たちをめぐる寓話 (ちくま文庫)
- 作者: イタロカルヴィーノ,Italo Calvino,米川良夫
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2006/12
- メディア: 文庫
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文庫になってるんだねー。
そう、
あのね、
ふとした疑問なのだけど。
レジスタンスの本は破かれていないのだろうな、と。
「表象」というのはなかなかにめんどくさい。何かをあらわしてしまう、というものは。
ナニカあったときに、ちょくせつそれに触れないでおくのがじぶんの「流儀」だったりするので、ここに書かないのだが、でも、めも的に残しておく。
http://novel18.syosetu.com/n1558bq/ (縦書きPDFにしたり文字の大きさを変えて読むことができます)
てことで早速、伴走メモです。
先ほどメールで頂戴した拙作『夢のように、おりてくるもの』についての感想がとても素敵でなんども読み返してる 当たり前だけど、そのひとがどういうふう に生きてるのか、なにを見てるのか感じてるのか、その佇まいが見えてくる 感想もらったというだけにとどまらず、そういうのがとても嬉しい。。。地に足のついた(血縁・土着的)ハイ・ファンタジーって表現していただいていて、
わたし的にはこのレベルはロー・ファンタジーじゃないかとおもってたのだけど
たしかに、政治的なものを過分に含む場合はローとはいわないかも、だなあ、とか考えたりもした(そういうところ説明しないのに、ぱっと気づくかたなのだ)
視界(世界)観自体は、「視界樹物語」他との兼ね合いもあってわりとこまかく探ってってるし、作りこむところは明確に「設定」してるから、そう見えるのかも、だな
とはいえ
ファンタジーの、このハイとローの定義は大変曖昧なんだけど、ねw
まあ、あれだ
ヴェルコールのいうとおり
「書くことは常に政治的」だけど、ねw
大塚せんせのぼっとさん、何度でもはっとく
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「想像力はもはや現実の「歴史」へと向かない。人々は「絆」と称しミニマムな世界の維持に必死である。(月刊未来まんが研究所vol.2p65)
ぼくたちが自分たちの言葉や表現だと屈体なく信じているものの多くが実は知らず知らずのうちにある枠組みの中で思考させられているという事態が実は数多く見られるのではないか。(定本 物語消費論p324)
ぼ くが一人のまんが原作の作者として現在のまんが分化の国策化に警戒せざるをえないのは、ぼくたちの表現は否応なく国策との関わりの中でかつて立ち現れてき たことを自分たちの起源として忘れるべきでないと考えるからだ。そのことは自戒として記しておく。(アトムの命題p245)
表現の出自などはどこまでいっても政治的なのだという当たり前のことを改めて愚直に書いているだけである。(映画式まんが家入門p13)
か つてエンターテイメントとして人々を動かす技術は、政治的に人々を動員する技術にあっさり転用されてきました。それはある意味でとても恐ろしい技術であ り、だからこそぼくは一人の作者としてその危険な技術の担い手であることに自覚的でありたいと思うのです。(キャラクター小説の作り方p312)
何か事件が起きて”透明な一四歳”の類の連中の本棚に『サイコ』があったらどうするんだ、と奇妙な心配をしてくれる人がいる。そうなったら、誇るよ。届いたことに胸を張る。そのための速度だ。そのためのサブ・カルチャーだ。(サイコ 阿呆船 あとがき)
「良質なキャラクターグッズとしての小説であることと「文学」であることを両立しても構わないのです。それは作者としての製造者責任と社会的責任の両方に応えようとすることに他ならないのです。(キャラクター小説の作り方p280)」
http://h.hatena.ne.jp/florentine/225874888818615372
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こういうあたりまえのことをあたりまえに言ってくれるひとが、この国にみあたらない、ん、だよなあああああ(それともわたしが知らないだけ? なら、いいんだけど
そういえば、ヴェルコールについてちゃんと意識して知ったのはキニャールの本だった(父の書棚にはあったのだが未読だった)。
でもって、去年よんだこれにも、名前が出てきた。
そりゃ、出てくるよね?
くりかえすけど、大塚先生の、
「良質なキャラクターグッズとしての小説であることと「文学」であることを両立しても構わないのです。それは作者としての製造者責任と社会的責任の両方に応えようとすることに他ならないのです。」
というのは、わたしのなかにいつでもある。
それだけのことができているかどうかは、わからないのだけど(ていうか、「文学」になるかどうかってスンゴイ大変なことだから出来てないね、だってこれ、「大文字のブンガク」でしょ? 大文字よ、大文字!!!)。
でも。
でも……。
わたしはわたしの愛するものたちのところに、じぶんの書いたものが届くといいなあって思ってるんだなあ、てことをしみじみと。
しみじみと、泣きたいような気持ちで願っている。