がらくた銀河

磯崎愛のブログです。本館は小説サイト「唐草銀河」。

39  愛はあるけど理解のないふたり

kakuyomu.jp

まだマフラーネタが描き終わらなくてけっこう真面目に涙目です><

ちがう連載『遍愛日記』も今月中に再開したいとかいってるくせに、うーうーうー、だめだめだ(涙)。

夢のように、おりてくるもの

http://novel18.syosetu.com/n1558bq/ (縦書きPDFにしたり文字の大きさを変えて読むことができます)

てことで、さっそく伴走メモです。

こっそり

それぞれにけっして勘も悪くないし(ニブイにぶいと常にわたしに文句いわれてる黒髪君も、あれで実際、ヤバいってところはちゃんと見過ごさない ある意味、ものすごく集中力があるので)
さらに、そのスピードは違うものの互いへの「理解力」というものも存分に有するのに、
ましてお互いに好きあってるのは間違いないし、「愛」はそこに確かにあるはずなのだが、
しかし、
だからこそいっぺんずれはじめると、
あるところにそれがなく、それがないはずのところにそれがある、的な感じでなにもかもが崩壊したと思い込んで大変なことになる、
たんにズレてるだけなのに!
ていうのが、
あのふたりの今現在、なのだとおもって書いているのですが・・・

これって・・・いや、まあ、いいやw

もどります

by florentine(磯崎愛)

 

昨日、編集S氏とはなしたって書いたじゃないですか、それでね、「対等じゃない」て言われたんだよね。誰と誰が、かはご想像にお任せしますが。

だいたい「対等」て、そりゃもんのすごくむずかしい勘定事だよねw そんなのナイ、ていう当たり前の話しじゃなくて、ね。いわゆる慮り具合(笑)のはなし、つまりむっちゃ「政治的」というか。

わたし、S氏のはなしを聞きながら、その力関係というのがタイミングやシチュエーション等でどちらかへ、または何かへと傾き、ひとや出来事、つまりものがたり自体が流れ・流されていくさまが描きたい、ていうのがあるなあ、とひたすら考えていた。

そう、それでね、

この連載のいっとうはじめにこの標語「愛はあるけど理解のないふたり」(ひょうご? え、いや、うーん、テーマといえばテーマかもだけど、でもそういうわけでもないし、じゃあなんだろ?)を書いた気がするけどw

主人公たちふたり(主人公である黒髪君と語り手の茶髪くん、というのがそれっぽいかな?)の関係をひとことでいうと、こんな感じ、なのかなあ、と。

いやでも、ムチャクチャほんとは「理解」してるんだろうけど、ね?(たぶんw)

ただ、そう・・・そう、だな。

そこにある微妙なずれ、差異、というもの、かな。視点の位置でもいいし、温度差でも妥当だろうし、そういうのが常にシーソーみたいに揺れている感じ、彼らふたりのあいだでは特に、気持ちのやり取りというだけでなく、思考自体の進捗や深さについての逡巡がいきつもどりつしながら互いを浸潤しているみたいな感じ、が、描けていたらいいなあ、というのがあったりする。

 

まあしかし、

だいたい、このふたりはいつもこんな感じだよねwww*1