がらくた銀河

磯崎愛のブログです。本館は小説サイト「唐草銀河」。

36 なんか今日は19世紀ネタな日だった。

kakuyomu.jp

今日、モネ展とムンク展にいってきたんですけど、まあそれはこのへんにメモかいたのではるだけにして*1、わたしは文章のうまいひとが好きなんだなあとしみじみ思ったので、それだけ呟いておきますw というか、わたしがあちこちでキニャールきにゃーる言ってたら、こんど読んでくれるみたいで、それが嬉しかったのだ!!!

 

夢のように、おりてくるもの

http://novel18.syosetu.com/n1558bq/ (PDFにしたり文字の大きさを変えて読むことができます)

というわけで、伴走メモです。

エコノミーの概念史については、古代ギリシャにおける「家政」(オイコノミア)に始まり、ストア派における神の宇宙の「統治」、キリスト教神学における神 の三位一体の「経綸」および救済計画の歴史的な「運営」、また中世における神の世界統治論(「配置dispositio・統宰gubernatio・配剤 dispensatio」)や、修辞学における語や題材の「配列」を経て、近代における有機組織体の「秩序」、そして現代的な意味である政治「経済」へと 至る、という道筋を辿ることができる。このような本章の考察から、エコノミー概念を規定するひとつの範型として、「主人=主体が何らかの法・秩序によって 自らの所有物を支配し、配置し、管理運営すること」が抽出されることになる。
バタイユにおけるエコノミーと贈与」佐々木 雄大
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/postgraduate/database/2012/53.html

ブ ランショが<アル>と呼ばれる中性的な存在に拘るのは、そこに、<私>と他者との「率直な」言語活動を脅かす可能性-それは、ブ ランショによれば「文学の贈与」である(一九八〇年「われらが密かな同伴者」)-を認め、それを重大な問題として受け止めていたからである。<ア ル>に晒され、知る能力を剥奪された「私なき私」には、無限の責任を負うように呼びかける他者の呼びかけと、正義を求める他者達の呼びかけは、それ として到達するのだろうか。他者の「後ろから」あたかも<神>が命令するかの如く語ることは、他者を絶対化し、絶対化された<他 者>にたいする責任を負う<私>も絶対化してしまうだろう。そうした絶対化を脅かすのは<アル>だ。レヴィナスが主張しな いではいられなかった、<神>による<私>の選び、<他者>によって蒙ること全てを<他者>のために蒙 る<私>の「能力」、そしてそのようにして<私>と<他者>とが結びうるかもしれない<揺るぎなき関 係>は、<アル>に脅かされるのではないか。ブランショは、この問いを、レヴィナスに差し向けたのではなかろうか。

<他者>を揺るがす中世的なもの 《il ya》 -レヴィナスに向けられたブランショの問い-
上田 和彦
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/postgraduate/database/2002/182.html
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これ、中性、だよね
ていうか、むずかしい・・・
キニャールの『性と畏怖』が早く翻訳されればいいのに!!!

by florentine(磯崎愛)

 たまに、なんでわたし、こんな頭悪いのに、こんなむずかしい本とか読もうとしてるのかしら、みたいなことをおもうのだけど、まあしょうがない。

しょうがないのだよ、だって、書きたいモノがあるし知りたいことがあるし、もっといろいろなことを感じとり理解し愛したいのだ、それが今すぐ叶わなくとも。

 あ、

今日はなんか、19世紀ネタを楽しむ日らしくて、丸屋さん出演のこれ見てた。

   
         

21世紀の知の巨人。人を食べたりしないレクター博士こと、丸屋九兵衛氏をお招きし、19世紀を起源とするヒーローたちについて考察。なぜこの時代に今も続くヒーローたちの原型が生まれたのか!?

WOWOWぷらすと | WOWOWオンライン

 

面白いねー☆

生きてると大変なことがありますが、面白いこともたくさんあります。

 

 

ヨーロッパ文明批判序説―植民地・共和国・オリエンタリズム

ヨーロッパ文明批判序説―植民地・共和国・オリエンタリズム

 

 (この本、めっちゃ面白いよ!)