25 いのちってなんだろう? ことばってなんだろう?
こどもみたいにずっと、考えている。
たぶん、物語の「構造」というのをわたしがじぶんで「発見」したのは5才のときで、「生命と言語」について考えたのは、サルトルの『聖ジュネ』をよんだ9つのときのことであるはずだ。
思想 2013年第2号
言語と生命 檜垣立哉
「ミシェル・フーコーが設定した生権力や生政治学が、当初ここまでの射程をもつにいたると は、本人は想像もしなかったことだろう。だが概念とは、有効であればあるほど、「発明者」の思惑を越えて拡散していくものである。生権力は、もはやそれが 何を指し示しているのかさえ規定しがたいものであるが、同時に二一世紀の思考の構図を描くときには不可欠の操作概念になったともいえる。それが今後におい ても有効な概念でありつづけるかどうかは誰にもわからない。しかし、哲学的思考が言語や意識を越えてその基盤に視線を向けるとき、そして政治や倫理という 事態のなかに、言語を越えたいかんともしたがい領域がはいりこむことが明らかになったとき、言語と生命が決定的にからみあうこの位相が重要でないはずはな い。それは調和的な生命の姿を描きはしない。生命を原理的にとらえきれない言語が、何とかその姿を押さえこもうとする困難さこそが、そこで露呈されるべき なのだ。 生命の倫理学や政治的思考は、自らこうしたパラドックス的状況のただなかにいることからあまりにも眼を背けすぎてきた。日本に おける生命倫理的言説に積極的に介入してきた幾人かの論者たちが、前世紀の「生命倫理」の不徹底性を自覚しつつ、生権力や生政治学にその存在論的な検討の 材料を求めつつあることは(たとえば、金森修『〈生政治〉の哲学』(ミネルヴァ書房、二〇一〇年)、小松美彦『生権力の歴史――脳死・尊厳死・人間の尊厳 をめぐって』(青土社、二〇一二年))そこから抜けだす予兆であるようにもみえる。たんなる倫理を越えて、生命の存在論やその根源的な政治性を問う探究 は、今後おそらく、予想もつかない多様な分野において、さまざまに結実していくだろう。逆にそこでは、フーコーの意図にそったかぎりでの「生権力」という タームは、もはや消滅しても構わないものとなるはずである。」
http://www.iwanami.co.jp/shiso/1066/kotoba.html
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うーカンギレムまだよんでない、
けど、とりあえずまたフーコーを読み始めることにする
というかわたし、間に合うのか間に合うのか!? 4月10日だぞ?
いや、まあでも、なんならほんと、11月の文フリまでイベントでるのやめてもいいのだな
そうしたら、更新にだけエネルギーを振り向けられる
(わたしの当初の予定では、だって、これ1月に終わってたんだもん、まだ6割くらいしか書けてないし><
アンソロのおはなしもいただいてるし、無理はしない、かなあ?
いやでも、アンソロのおはなしいただいてるから出たいってのもあるのだよあるのだよ)
4月の文フリふたつをどうするのか、まだ悩んでる
コミケは今のところ一般でいって本かってからのほうがよさげ、かなあ、とかおもってる
だんだんここ、わたしの読書メモとかこれから読むぞ本メモでしかなくなってきた気もするのだがw
読むとおもってブクマしてるのですが、まだなのまだなの><
カンギレム ─ 生を問う哲学者の全貌 (文庫クセジュ960)
- 作者: ドミニックルクール,沢崎壮宏,竹中利彦,三宅岳史
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これがすごくすごーーーく面白くて!!!
バシュラールあたりから読まないとなあって(バシュラールは学生のときにちょっとよんでるけど)。
- 作者: ジョルジュカンギレム,Georges Canguilhem,杉山吉弘
- 出版社/メーカー: 法政大学出版局
- 発売日: 2002/04
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で、
これの解説だったかだけを読んで息切れしてたので、わたし、お馬鹿すぎます><
ここから読めばいいのかなああ?(ダゴニエはちょびっと読んだのだった)
まあ、
アタマ悪くても、読んで勉強するしかないよね、てはなしかも。
http://novel18.syosetu.com/n1558bq/ (PDFにしたり文字の大きさを変えて読むことができます)
この小説は、読んで学ぶことすら覚束ないわたしが、一生懸命かいたものです。