ほんとはクリスマスらしくマリア様についての本を並べる予定だったけど間に合いませんでした><
(ていうか、わたし、「今年の10冊」も途中なんだが、だいじょぶか?)
- 作者: ジョルジュディディ=ユベルマン,Georges Didi‐Huberman,宮下志朗,森元庸介
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 2002/07
- メディア: 単行本
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やっぱりディディ=ユベルマン、至極面白い。ヴィント、セズネック、そしてヴァールブルクは勿論のことバタイユのこれ、読み返そうかなとか、色々かんがえちゃいます。
- 作者: バタイユ,中条省平
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2006/09/07
- メディア: 文庫
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(新訳、おいてみた。どうなんでしょ? 生田訳で読んだんだと思う)
「あんな色っぽい緊縛のアンドロメダや半裸のサロメを描いてるくせに、なんでそれが恥ずかしいの?」
緊縛って……緊縛じゃないアンドロメダなんていないだろう。アトリビュートなしじゃ誰かわかんないじゃん。それに、そういう妖しい感じの絵は恥ずかしくない。澁澤龍彦ファンだし、十代のころは不健康な世紀末芸術にはまっていた。今でもギュスターヴ・モローやルドンやビアズリーは大好きだ。
だいたい私はボッティチェルリを愛してるくらいだから残酷だったり痛ましかったりには慣れっこだ。あのひとの絵には苦痛と快楽のせめぎあいというか、はっきりと被虐と嗜虐というか、崇高なものと不浄なものとの相克というのか、とにかく美と醜のぎりぎりの葛藤があって、危ういところで立ち止まる、その息苦しさがたまらない。
そう、『ヴィーナスを開く』というディディ=ユベルマンの刺激的で艶麗典雅な著作を待つこともなく、サンドロ・ボッティチェルリのSM趣味には気づいていた。
私が初めてサンドロの絵の本物を見たのは《パラス(ミネルヴァ)とケンタウロス》だ。
蜂蜜色の長い髪を靡かせた美女が、弓をもって箙をさげた半人半獣の生き物の癖毛を右手でつかみ、海を背景にした岸壁に押し付けるようにして立っている絵だ。
制作年代は画家の絶頂期といわれる一四八〇年代前半にあたる。描かれている女性がパラスではなく、オヴィディウスの詩のカミラであるという説も有力だと思うけど、自分がさいしょに見たときに女神パラスとして覚えてしまったので覆らない。
女神は身の丈より大きい槍つきの斧を左脇に携えて、背には盾を負い、肩から腰に深緑の衣をまとった姿で描かれている。彼女の半透明の衣服にはダイヤモンドの指輪を組み合わせた文様が散らされ、はじめは金銀細工師に弟子入りしたといわれる画家の生い立ちをしのばせる。
ダイヤの指輪を三つ組み合わせたものは老コジモの用いたメディチ家の紋のひとつであるということだけれど、実際のところ、四つ重ねたものも目立つので、画家は造形的な美しさをいつでも優先させたにちがいないと思う。
従来の解釈のひとつでは、この絵は注文主であるメディチ家傍系のお坊ちゃん、ロレンツォ・ピエルフランチェスコ(通称・小ロレンツォ)のために描かれた、人間性をより高めなさいというネオ・プラトニズム的教訓画なのだ。つまり、ケンタウロスは肉欲や蛮行をあらわし、それを抑えて勝利する知恵と学問と平和の女神パラスという図式だ。
ところが、どうやっても見ても、私にはあれが官能性を否定する絵とは思えない。
おそらく、画家はその「教訓的主題」をまじめに受け取ったけれど、寝室の次の間におくに相応しい色付けは必要と感じていたことだろう。なんとなれば、デビュー作の《剛毅》で披露したように、女神の肉体を甲冑で隠すこともできたはずだ。同じ部屋におかれていたのが《春》だと知れば、彼は自分の得手を意識して狙ったにちがいない。
または、ネオ・プラトニズムの思想自体が抱え持つ官能性を、彼くらい正しく表現できる画家はいないという証左かもしれない。
勝利と平和の象徴であるオリーヴの若枝が女神の頭部を王冠のように取り巻き、腕を這い、腰へとまとわりつき、ことに乳房を強調するように絡まるさまもなまめかしい。胸部の頂きを飾る金に縁取られた宝石細工も艶麗だ。さらには女神の肢体を覆う――彼のもっとも得意とする――透ける薄物は風に揺れ、それが肌を撫ぜるさまを存分に意識させる。今まさに、女神はひと足ふた足、おごそかな歩みで半人半獣に近づき、取り押さえたところだと言いたいのだろう。
冷然と見おろす彼女の表情と、眉を寄せて哀れっぽく振り仰ぐ姿勢のケンタウロスの顔の差異も含み合わせて、申し開きようがなく、SM の女王様と奴隷みたいな怪しさ全開だ。
あれにイカレテしまった自分の性癖というのも、ちょっと、いや、かなり妖しい。でも、絵画に色気がなかったらそれは魅力がないってことだ。だから、あんまり上手じゃないけど、下品に陥らないかぎり、そういう絵をかくのは好きなのだ。
『遍愛日記』より抜粋
《パラスとケンタウロス》
http://en.wikipedia.org/wiki/Pallas_and_the_Centaur
イタリア・ルネッサンス美術展
1980(昭和55)年11月1日- 1980(昭和55)年12月21日会場:国立西洋美術館
主催:国立西洋美術館、東京新聞、中部日本放送、イタリア文化財省
出品点数:絵画25点、彫刻9点、素描2点、工芸品6点、計42点
入場者数:302,473 人
巡回先:京都国立近代美術館、愛知県美術館
わたしの、ヰタ・セクスアリスの開花?
サンドロ、愛してるよーっ!