「小説更新のお知らせ」を、「放置ぷれい終了」と呼びかえるべきかお悩み中です。
ご存知の方も多いでしょうが、FC2ブログって一月更新しないと「ぐるぐるアド先生に鎮座マシまし」されちゃうんですよ。困ったことです。
そんな放置ぷれい続行中の小説サイト「唐草銀河」ではありますが、
前回お知らせした「アルファポリスドリーム小説大賞」は40位以内、開催頁の1枚目に位置したまま終えることができました。リンク辿って読みに来てくださる方もいて、とても嬉しかったです。
それもこれも、みなさんの応援のおかげです!
どうもありがとうございます!!
(あ、結果はかすりもしませんでした。えへへ)
それはともかく、わたくしただいま腱鞘炎なう! でございます(でも今日はだいぶ加減がいいです!)。
ここずっと小説を書くはおろかハイクもできないしアンテナまわってないしブクマもほとんど見てませんっ!
ストレスたまりまくって奥歯噛み締めすぎて、あまりの痛さに虫歯かと思い歯医者いっちゃったくらいです。バカです、おおばかです。眼鏡かけた素敵な先生に苦笑でストレスためないようにと諭されました。デモでもどうやったって無理だって!
なものでこのストレスを発散すべく、書くほうじゃなく、「読書」にいそしんでおりますです。
てなわけで、腱鞘炎なおったら、
「古典よむ部」つくるぞ!
というのが、今日のわたしの魂のオタケビですv
(もちろん、どなたかが作ってくださればすぐさま入部いたしますYO! そうだ、キチキチ活動しないならこういうのは「同盟」とかいうものか? よくわかんない。でもとりあえず、思いついたので勢いのまま言ってみる!)
バナーとか作っちゃおうかな〜とか、はてなグループ機能つかっちゃう?とか、はてなハイクのキーワード作成しちゃおうか、などなど頭に思い浮かぶことはあるのですが、正直まだな〜んもやっとりません(笑)。
まあその、ただたんに、
わたしが古典大好きだから、
ほかのひとにも「古典らぶ〜、古典もなむーる、古典すっごく愛してる〜v」になってほしいっておねだりで、
あわよくば、こんな古典が面白くって、これとこれ読み比べると楽しいよ〜とか教えてもらえたらサイコー!ってだけの話なんですよね。
「古典への愛」が広く遠くまでつながってけばわたしがシアワセって気持ちです。
なんか、「人類の叡智」(!?)に連なってる気がしません?(笑)
(そもそも「古典」の定義自体、どうせだから20世紀文学いれちゃいたいって個人的には思ってたりするのでねえ、へへへ。ギルガメシュ叙事詩からジョイスまで! って、広げすぎかな。でもさ、次の世紀、さらには「次の千年紀も生き延びてほしい文学」ってノリ、わたしはイイと思うのだな。だって、じゃないとプルーストとか入らないってことになっちゃうし、SFも除外されちゃうんだもん! それはイヤン、なのだ。
あ、それから当然のこと文学以外も「古典」ってあるよね。それも入れちゃう! わけへだてナシ。プラトンとかも入れていいよね、ネ?
まあでも、とりあえず「言語」に限ろうかな。「よむ」だし。ギリシャ悲喜劇みたいなのは本があるからOKだけど、古典美術とか古典舞踏とか古典音楽等はまた別ってことでヨロシクです)
あ〜、それと、こういう活動って真面目にキチキチやると続かなくなっちゃうんで、ゆるゆる細々じっくりとっぷり、時たま思い出したように突如として忘れたころに、さながら疾風怒濤はたまた狂喜乱舞どうしたものかの乾坤一擲! 余所見油断で脱線転覆、支離滅裂の不羈奔放、つまるところ「好きなように」やろうかな、と。
そして、ちょっと真面目にいっちゃうと、いま現在、「読書」なんてものは本当に真実「個人」のモノなわけで、しかも、そのひとと本だけの恐ろしいほど純粋な、どうしようもない一回性の、これ以上なく貴重な、まるで「人生」のようなものだとわたしは思ってるんですよ。*1
そう考えて身につまされていればこそ、その体験を誰かと、つまりは「他者」と分け合うことが多少なりともできれば、それはそれでやはり貴重で、かけがえのないことではないかと夢想したりするわけです。
ていうことで、やはしここはカルヴィーノ様を召喚すべきでしょうね!
- 作者: イタロカルヴィーノ,Italo Calvino,須賀敦子
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 1997/11
- メディア: 単行本
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わたしなんぞが語るより、カルヴィーノ様のこの本を読んでみて! と大声でお願いしとくほうがいいでしょう。
でもって、今日のところは以前ハイクでも抜書きさせてもらったこの文をご挨拶代わりにして、
「部員大募集!」の看板をかかげておひらきにいたします。
興味深いのはここでドゥルーズが、とりわけ明確に哲学と文学の、そしてさらに、「最悪の文学」と「最良の文学」の区別を立てていることである。「最悪の文学」とは愚かさをもっぱら他者に投影し、愚言集を編み上げて自足する文学である。「最良の文学」とは愚かさの問いに取り憑かれ、それに「宇宙的、百科全書的、認識形而上学的次元を付与し」「哲学の戸口まで導くことのできた」文学である。哲学はこの問いを、真偽の二項対立の権威にそれを従属させることなく、言い換えれば、愚かさを誤謬と混同することなく、受け取ることができなくてはならない。
〜序章「愚かさの寓話」より〜
- 作者: 鵜飼哲
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2003/12/20
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もひとつ!
こちらもハイクでご紹介済みですが、
わたくし最愛の作家のひとり、ジーン・ウルフの名言をv
(このインタビュー自体はウルフ作品を既読の方のみおすすみくださればと願います)
Homer? He would certain belong to the SFWA. So would Dante, Milton, and Shakespeare. That tradition is literature's mainstream, and it has been what has grown out of that tradition which has been labeled SF or whatever label you want to use.
SFは、誰がなんと言おうと、わたしにとって「文学」のメインストリームっす!!!
それでは、こんなチョーいい加減な「古典よむ部」に「是非とも入りたい!」という奇特な方をこころよりお待ちしております!!*2
あびあんと〜☆
*1:「読者が本を開いて読み始めるまでその中身がどんなものなのか、ほんとうのところは誰にも確かめようのないものなの。書評とか帯の文句に騙されちゃだめよ。本の中身はそのひと自身の一回ごとの体験で、けっして同じように繰り返されることのない、再現不可能な貴重な体験をいうの。本というのは本来、そういうもの」『[http://karakusaginga.blog76.fc2.com/archives.html#all20:title=夢詩壷]』より
*2:もちろん、「ち、ちがうよっ、俺は、たまたま募集の文字が目に入っただけで、暇で暇でどうしようもないし、おまえがどうしてもって頭さげて頼むから仕方なく付き合ってやってるだけだからっ」という可愛いツンデレくんや「君、古典って何読んだの? え、文学方面だけで自然科学や哲学系はほとんど読んでないと? 有り得ないよ、それ」という知的メガネお姉さま、その他もw いえ、ただの個人的趣味です。真面目に古典の好きな方、びびらず呆れずお越しくださりませ〜v