なんとなく、個人メモ。
『ビブリア古書堂の事件手帖』に続く大ヒット作は出るか? いま「キャラクター文芸」がアツい | ダ・ヴィンチニュース
大塚英志緊急寄稿「企業に管理される快適なポストモダンのためのエッセイ」 | 最前線 - フィクション・コミック・Webエンターテイメント
ポストモダンて何、ていうツッコミはともかくも、
上の記事についてはいつもの大塚先生なのでだからどう、てことはなくて、
個人的にはangmarさんのブコメで言い尽くされていた感がある。
ただ、なんていうか、いろいろとここで詳らかにはしないけど、何かしら思うところはたくさんあるのだ。
それから、
栗本へんへ、ていうか中島梓のほうだけど。
おおむかーしに、読んだ。
正直当時はぴんとこなかったし、今よんでもクルかどうか、わからない。
でも、栗本へんへ(敬称です)のなかにあったであろうモンダイについては、
じぶんも共有していると、言いたい気持ちがあったりする。
「それにしても、ただ静かに死んでいければよかったはずの少女たちの行動に、強引に意味づけをおこなう「ぼく」とはなんだったのか。少女たちはべつにそんな ことはひとつも「ぼく」に頼んでいなかったようにも思える。これは笠井潔の『哲学者の密室』でも感じたことだが。女を殺したかと思えば、女の幽霊におびえ るのもまた男である。
自分とおなじ性である少女たちの「代弁者」を、自分とは違う性の主人公に託したうえで、いっぽう作家と主人公に おなじ名前をつけるという、同一化と分裂を同時にやってのけるようなある種の切迫感は、ゲームという言葉では割り切れないものがある。究極、わたしが栗本 薫に拘泥しつづける意味はここにあるとも言える。だんだん覚悟もできてきたが、わたしは死ぬまでこのことにこだわるだろう。」「 しかし中島梓が抱えたような、近代小説との拮抗のなかで構想された問題意識を受け継ぐことなく、キャラクターであることが自明のままに書かれてしまう 「ぼく」とはなんなのかということについて、中島梓は後年いらだちを見せていた節があり、そこについて繰り言めいた愚痴ではなくて、全面展開を見せて欲し かった気持ちはいまだに残る。 」
WEBからおろした『夢詩壷』はまさに、これについて、だったのだ。
あと、わたし、敢えて「女性名」を選んだので。
いや、今後もこの名前で書くかどうかの保証はないですがw(←覆面作家とかチョーかっこいいとおもってるのだよ! 実力ナイとかっこ悪いですがw)
そういえば、
ふと思い出したのだけど、大江さんの小説ってなんか、妹モエな側面、あるよね?
筒井さんの書評が素晴らしいので是非とも読みにいってくださいまし!(筒井×大江さんが大好きすぎるのだ、わたし)
同時代ゲーム [著]大江健三郎 - 筒井康隆 - 漂流本から本へ | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト
ここで筒井×大江、または筒井×大江×井上、または×丸谷あたりにつっこむとチガウはなしになるので我慢して!w
(いつかまたここらへんははなすこともあるでせう)

社会を作れなかったこの国がそれでもソーシャルであるための柳田國男入門 (角川EPUB選書)
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社会を作れなかったこの国がそれでもソーシャルであるための柳田國男入門 - けれっぷ彗星
こちらさまで見かけたので。
大塚英志 『未来まんが研究所』特別編~柳田國男と普通選挙・公民の民俗学をめぐって~ - 2012/12/15 20:00開始 - ニコニコ生放送
わたくし卒論がボッティチェリのダンテ『神曲』素描についてだったという話しはもう何度もしてるのでアレですが、ともかく絵画と物語、言葉とイメージというのがじぶんにとりついてて。
大塚先生の「ナラティヴ論」のほうはじぶんのなかでは勝手に西洋美術史の枠組みとして受容してるんだけど(射程距離その他はそこにとどまるものではないのでしょうが、わたしの「基礎」がそこだからそっから見る、みたいな意味ね)、
もういっこ、言語を扱うことで「社会」を、ていうほう?
柳田のほうのシゴト、ていうの?
ちゃんとした選挙ができるようになるための日本語、てやつ。
こっちはなんか、ずっと、よくわからないままに考え続けてる。「孤立貧」とか。
基本、わたしのなかでは「共同体論」なのはわかってて。
まあ、いいや。
(外に出して言うべきことじゃないし)
あ、
ふとまた思い出したので、はっておく。
91年か。
文庫が95年、ふーん。
そんなわけで、
とくにオチというものは、用意していないです。メモなので。