がらくた銀河

磯崎愛のブログです。本館は小説サイト「唐草銀河」。

彼と主治医とじゃくらい先生

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( 二次創作の話しじゃないよ!)

キャッチ―なタイトルをつける能力にかけているので、めんどくさくてテキトーにつけた。

彼が去年1月末に心肺停止で救急車に乗って(わたしが異変に気づいて救急車を呼んで、やったこともない心臓マッサージをした。救急の先生にはめちゃくちゃ褒めてもらったし何度でも言うけど、心臓がとまってもマッサージしていると血の中にまだある酸素が脳にもちゃんといくらしくて、素人でやり方あってたかどうかわからないんですけど、て尋ねたら、ともかく押してるだけでも違うから頑張って押してと言われたので、もしそういう場に遭遇したらみんな頼みますお願いします、心臓が止まってなければやれることがあるとお医者さんが言ってました)、二度の手術を経て3月春分のころに退院し、除細動器を埋め込んでその後は投薬のみで日常生活を送っている。

 

せんじつ京都に住む友人に、彼がひとりで京都に出張して泊まっている話をしたら大笑いのあと、元気でいいじゃないと言われた。

まあ本当にそうで、心臓手術のあと急に弱ってしまうとか全然そんなことなくて、飄々としている。

なんでなのか友人に聞かれたので真剣にこたえると、「他人(画廊)のために生きてるから、自分のことはまったく気にしてないせい」だ。でもって、ここで終わればいい話なんだけど、「わたしのこともまったく気にしてない!」と叫んできた。

わたしがおもうに画廊(作家さんや作品や他の画廊さんとの関係等々を含めての)が9割五分、わたしのことが三分、彼自身が一分、その他「雑としての区分」が一分くらいじゃないのかな、なんとなく。

ここで、わたしの領分のほうが多いのは、彼にとってわたしも「他人」だからです、はい。惚気はほんのちょびっとしかない、残念なことに。

ちなみに入院中も仕事のことばっかりで、ちょっと怖いところもあった。怖いというのは、このひとホントに画廊のことしか考えてないな、わたしのこともほとんど頭にないし、自分自身のことはゼロだな、ていう。

いやまあ、ちょっとびっくりしました。

ふつうのひとじゃないな、て。

でも、わたしはいつもジブンじぶんで苦しいので(三島由紀夫のいうところの自家中毒ですな)、そういう人間と一緒にいるのは毎日がワンダーランドというか、いや、楽しいという意味じゃなくて、わけわからんっていう純然たる不思議がある。

あんまりにもふつうのひととかけ離れているので自己遺棄なのかと疑ったこともあるけど、やっぱりそうじゃなくて、彼の先祖がお坊さんなのもあって、きっとそっちなんだよなと。

端的にいうと、俗がない。

他の言葉で言うならものすごく強い人間で、わたしは強いひとが好きで、そりゃ誰しもそうだろうけど、と書いて、実はそうでもないことも知っている。

それから、この文章を書きはじめた理由は、担当のブラッ〇ジャックみたいな心臓外科の先生のまとう「気配」が、神宮寺寂雷先生っぽいなとおもったせいで、こないだの診察で「あ、死にそうになって救急搬送されてきたひとね」て笑いながら言うんだけど(寂雷先生はそんなこと言わないけどね!あ、でも寂雷先生もけっこうバッサリ物事言うな、うん)、性格のはなしじゃなくて、もの凄く頭のいいひとのもつ観察力洞察力(僕たちの前にいた老婦人には物凄く丁寧に話しをしている様子が垣間見えた、つまり彼に対してはこういうことを言っても平気と思われてるし、彼もそういう先生おもしろくて好きってなってるのだよ!ついでにわたしも怒らないとおもわれてんだな、うん、怒ってないよ、呆れてもいないし、このくらい言わないとアカンとおもわれてるなと冷静に判断しましたよ)、切り替えの早さ、周囲を圧するちから、みたいなのがこう、ね。

寂雷先生の造型にぼくのなかでリアリティが生まれたのは逆にいうと、ゲンジツでそういうひとを知ったからだなとおもったのでしたまる。

あとね、寂雷先生の声をあてている声優の速水奨さんの演技力が凄すぎてスゴイみたいなあれです。

 

 ここで聞けます。 

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 3巻で先生と乱数くんがデュエットするCDがつくらしくて今からめっちゃ楽しみ!