読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

がらくた銀河

磯崎愛のブログです。本館は小説サイト「唐草銀河」。

40  夢秤と階梯

たまには、ちょっとばかし世界観、ならぬ視界観設定などちょぴっとお話ししようかしら、ね。

昨日のブログに花うさぎコラボの相方(アイカタってちょっとエロいねw  敵娼 ! そして、これはそういうはなし、だ)うささんからコメントもらってます。

で、「天秤」のはなしが、出たんですね。

この絵、かなりはじめのころ、コラボのはなしをしてすぐのころに描いてもらった絵です。

てことで、今日はすぐ伴走メモいっちゃいましょ。

キニャール ‏@PQuignard_Bot

物語、旋律。それはこの世界にヒトの時間を差し出す力だ。歴史、物理学、政治、神々、――人間が創造したこれ見よがしのものはすべて、朗唱の最小値、捕食行為の最小値だ。

物語の発明。ヒトの時間は物語の発明に要約される。旋律の発明はヒトによるのではない。それはヒトの時間よりも先にある。

アウグスティヌスは言っている、「神は時間の中で響く声では語らない」と。

「私ハ自分ガソノ配列ヲ知ラナイ時間ノ中ニ分散サレタ」。

声はおのれの亡霊と戯れる。あるいはおのれの似姿と。あるいはおのれの記憶と。これらすべての可能性に、ごく最近「文学」という名前が与えられた。

声は時間の中で響く。そして現実において声が発せられた条件、会話あるいは歌という条件、人間の言葉の社会的な条件から身を振りほどく。

ヴイオールを演奏するとは、最も古い共鳴器を抱きしめること。大きな腹から音を引き出すこと。木の箱と化した大きな革袋。

子供――言葉に諦念に喪失に憂鬱にとらわれていないその分、真実を知っている――は、遅延に耐えることを知らない。

待つこと、それが、時間が時間について私たちに与えてくれる唯一の経験だ。持続は抵抗だ。時間とは持続するもの、耐え忍ばれるもの、獲物と顎との隔たり、待ち伏せと捕食、欲求と享受の間の隔たりだ。

どんな楽器も綻びを繕いはしない。失われたものを償いはしない。楽器は呼ぶ。音楽家とは、「呼ぶ」という動詞の専門家となった人間だ。

私たちを音楽へと導くこの動きは、溶けあおう、溶けあわせようとする動きだ。求められているもの、それはいかなる記憶も超えた音の安定、おのれの奥底、おのれの根源における音の安定だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ほとんどキニャールぼっとさんに伴走してもらいながら、て感じだなあ

by florentine(磯崎愛)

 ほんとに、なんていうか、キニャールぼっとさん(というかキニャール作品、か)にどれほどこの連載中お世話になったかわからないくらいです。

あ、そして、夢秤の件。

   いまの俺には夢秤も、階梯もいらない。
   昔は、必要がなかったらしい。このからだがそも、秤であり、階梯であったそうだ。

 

『夢のように、おりてくるもの』第三部『夢の花綵(はなづな)』「夢うつつ夢うつつ」http://novel18.syosetu.com/n1558bq/

いきなり最終回的な文言をもってきちゃいましたがw

このおはなしの主人公である黒髪君は夢使いで、視界樹でできた夢秤というのと階梯というのを携えて依頼人の〈あがない〉をします。

彼の階梯は、こちら。

ハシゴじゃないじゃん、ただの金と銀の棒切れじゃん、ていうwww

でも、梯子だったのです、むかしは。ていうふうになってるのね。

それと同じく、視界樹がどんなものなのか、というのはこのおはなしにおいては一般のひとびとが見られるものとしては描かれていません。そのいっぽう、こうして秤や階梯の素材としてはちゃんと、在る、のです。

また、チガウおはなしになりますが、『視界樹物語』というおはなしでは天空を覆う大樹であると誰もが知っているものになっています。『ユメノナルキ』という短編においてはまた少しチガウ位相にあるもので、それは、なんていうか、それぞれの【視界】といのがある、というふうにわたしが感じとっているからで、えーと、うーん、と、まあ読んでください、としか言えないです、すみません。

それから、

なんども言ってるけど、うささんの絵の、人体の「開き具合」やら「官能」といったところに対するアテンション、傾注、感受性があったればこそ、このはなしは活きたなあ、というか助けられたというか、うんウンうん。

第二部のタイトルが「階梯(はしご)と車輪」なんですよ。

わたし、三島といっしょで(!?)、回るものとか好きみたいで。あと、上昇と下降するもの、ね。階段とかエスカレーターとかエレベーター好きです、ええ。

上の絵をみたら、もう、なんていうか、説明はイロイロいらないよね、ていうのもあるのだけど。というか、そういう「言葉とイメージ」、「表象」についてわたしが延々えんえん頭のなかでヤッテルことを、うささんが掬いあげてくれるので。

もちろんこのへんは、「文字と絵の《強さ》の差異」のモンダイ等というのをお互いに考慮しながらコラボってきたのだ、ということを自慢し合ってイイんじゃないかとたまに振り返っておもったりする、ん、だな(ちょっと照れてるw)。

そういうひとたちの、コラボ作品です。

よろしくねv

夢のように、おりてくるもの

http://novel18.syosetu.com/n1558bq/ (縦書きPDFにしたり文字の大きさを変えて読むことができます)