がらくた銀河

磯崎愛のブログです。本館は小説サイト「唐草銀河」。

天使の羽に触れるとき――辻佐保子『天使の舞いおりるところ』岩波書店(1990年)

1990年の夏、わたしはブルゴーニュ大学の夏季語学研修プログラムに参加していた。この留学がわたしの語学能力を向上させたかどうかははなはだ不明であるが、次の年、ゼミを選ぶのに「文学」ではなく「美術」を選んだことには大いに関係してくる。

その研修には、フランス各地の名所旧跡をバスで見て回るというオプションがあった。
お伽話の世界そのままのロワールのお城、こぶりながら完璧な形のローマ遺跡の数々、山上の中世都市、ゴッホの描いた向日葵咲くプロヴァンスなどなど……いま思えば、そこは『ユネスコ世界遺産』に相当する場所であった(つまり、その説明があったのだろうにわたしはソレを聞き逃していたらしい)。
そうしたあちらこちらを巡るなか、わたしはいつの間にか教会の柱頭彫刻やタンパンの図像にすっかりはまっていた。はるか昔に読んだバルトルシャイティスの『幻想の中世』のわけのわからない魅力、あの不可思議なものたちへの愛を思い出してしまったのだ。
ロマネスクもゴシックも一緒くたにして、わたしはそれらに夢中になった。

実際のところ、フランスもイタリアも、右の塔はロマネスクで左の塔はゴシックという聖堂、したはロマネスクそのうえはゴシックさらにはルネサンス様式併合などという聖堂のほうが多いくらいなのではないだろうか? 

見ても、見ても、まだ当時、西洋美術を一般教養的にしか学んでいなかったわたしには、その面白さや美しさを自分のことばであらわすことができなかった。だから、目の裏にとどめおこうとした努力はすべて泡のように消えていった。また、消えていくのが自分でもわかった。
切なかったけれど、毎日まいにち見るものがたくさんあって、ありすぎて、くたくたになっていた。
見逃してはもったいない、次にいつ来れるかわからないのだからと思えば気が逸った。
たぶん、自分は今、すごいものを見ているのだという事実に押し潰されていた。
そのくせ、メモはとれなかった。とっても、あとで見てわからないと自分で知っていた。
だって、ことばそのものが出てこないのだから……。

その旅の途中、わたしは教会のミサに集うひとびとを見た。
ある教会では賛美歌を聞いた。その歌声に肩甲骨からうえを根こそぎ引き抜かれて持っていかれるような気がして、わたしは怖くなって歌の途中で足音をしのばせてそこを出た。
逃げるようにその場を離れて、教会の裏手のゆるやかな傾斜をもった丘をのぼった。荒れた牧草地のようなそこには、日本ではお花屋さんでしか見たことのないレースフラワーがたくさん咲いていた。まるで、緑の草地にとても大きな、古めかしい、今なお繊麗さをたたえたハンカチを落として広げたようだった。雪よりも淡くはかなくて、手を触れるのを躊躇うほどだったけれど、いつのまにかしゃがみこみ、熱心にそれを摘んで束ねていた。風に運ばれて先ほどの歌声が耳の横をとおりすぎていき、わたしは何故、こんなに美しいものがあんなに怖かったのだろうといぶかしみながら首をひねり、歌っていたひと、またそれを見守っていたひとびとの顔を思い浮かべて想像した。

きっと、彼らのひいおじいさん、そのひいおばあさんたちもこの土地で暮らしていて、そのずっとご先祖様が、この、重そうな石組みの聖堂を築くために木を伐ったり、よそから来たメーソン(石工)のためにお弁当を拵えたりしたに違いない。

そう考えてはじめて、わたしにはこれらがわからないということをそのまま受け入れてみようと思った。
それでもまだ気持ちは落ち着かなかったけれど、あるがままに、自分の力だけでものを見る努力をするということを少しは学べた気がした。
日本に帰って、ぽつりぽつりと中世に関連するものを読んだ。渡辺一夫阿部謹也種村季弘などの本も前以上に熱心に手に取った。むかし読み飛ばし『中世の秋 (上巻) (中公文庫)』などが面白く読めた。また、渡邊昌美の名前を知ったのもころころだっただろう。聖ドニに詣でなかった自分を悔いた。
次の年、さんざん迷って、ものすごく厳しいと評判の美術史のゼミに入った。
初回に図書館に案内してもらい、閉貨図書室への入館許可を頂戴し、生まれて初めてファクシミリを見せてもらった。平面でできた、色とりどりの宝飾品みたいに見えた。
装飾写本というものの存在くらい知っていたけれど、あんなに綺麗なものだとは思いもしなかった。

その年のゼミのテーマは《古代への愛》。
パノフスキーの『ルネサンスの春』が主要参考文献のひとつだった。その他に、仏文と英文のテクストを読むゼミ講読(ゼミの他にゼミ生が強制的に履修させられる授業)があって、ゼミでは毎週一冊ずつ課題読書のレポートを提出させられた。
自分がこんなに語学が「できない」とは知らなかった。わたしは今までたんにおのれの「国語能力」で、外国語を読んでいたにすぎなかったらしい。自分には、ちゃんとした学問ができるような頭がないと気づくのはさびしいものだ。
苦しかった。
一緒に入った友人は、途中で転ゼミした。
先輩は数名いたけれど、その次の年には、わたしはたったひとりのゼミ生になってしまったのだ。贅沢といえばこれ以上なく贅沢であるが、正直、当時の自分には「最低と最高」が同時に襲い来る日々でもあった。
そんななか、先生が辻佐保子先生の名前を教えてくれた。
わたしの大好きな小説家の奥さんだともわかった。
この本は、そうして出逢った。*1

天使の舞いおりるところ

天使の舞いおりるところ

 

Ⅰ 中世の写本挿絵

Ⅱ 西ヨーロッパの中世壁画

Ⅲ 東方のキリスト教美術

Ⅳ 書斎のなか 書斎の外


初読時は、Ⅰが何より自分の手助けになったし、再読しても、中世写本の魅力をこれ以上楽しく、かつわかりやすく伝える文章は読んだことがないという感想はかわらない。あとがきにあるように、「美術館につとめる卒業生の一人から、『たまには普通に読めるものを書いて下さいよ』と言われた」ことによって、この本はできあがった。かつて美術史を学んだものとしてはうれしくなるエピソードが発端である。

Ⅱは、「どうしてこの本を読んでからフランスに行かなかったんだろう!?」という当時のわたしの嘆きの声をだけ、お知らせしておきます。書き出すと、とまらなくなりそうなので。

Ⅲは、遥か彼方の土地、光り輝くオリエントへの興趣を魅かれる章。「サン・マルコのモザイク」は、ヴェネツィアのモザイクを見あげたとき、真っ先に思い出した文章である。

今回*2、実はこのⅣが、読んでいて特に面白かった。もちろん当時もゼミでセズネックの『神々は死なず』をレポートしたり、フォションについてようやく知り染めたこともあってわくわくしながら読み進んだのだけど、今回は美術史を学ぶ学生としてではなく、小説を書く「ネタの宝庫」として愉しんでしまっていた。

そうでした、たしか、この「メリメ『メリメ全集〈6〉人物評論・美術評論・紀行文 (1979年)』」を読んで、ロマネスク聖堂を調べて歩く文学青年が、数々の妖しげな伝説に彩られたシルヴェストロ法皇に双子がいただなんて俗謡を聞きつけ、コンクの聖女フォワ像のようにきらびやかにしておどろおどろしい彫像を発掘して云々などという、オカルティックな冒険話が書きたいなあと思って挫折したのであった。これ、ちゃんと読みますね。そしたらもうちょっとどうにかなるかもしれない。

そういう与太話はおいておいて(笑)。

辻邦生さんの初期短編集にもロマネスク聖堂を扱ったものや、また、あの土地に生きるひと、またはそこを旅するひとびとを語るそれがある。それをも思い出した。
佐保子さんなくしては、彼の小説に、わたしはここまで魅かれなかったのではないかと、そんなことも考えた。
また、逆も然りかもしれない。
おふたりは共に、こうした「天使の舞いおりるところを」を旅したのだろう。
もちろん、お互いの学業や研究のために離れておいでのときも多かったと思う。四六時中、ぴたりと寄り添っていたという感じでもないような気もする。
でもそこに、琴の音を鳴らすような、ぴんと張りつめた糸の震えを感じる。
おふたりはたしかにつながっていて、時たま、悪戯な天使がそこに触れ、それを弾くのだ。
または、その糸のうえに、それこそそうっと、しずかに舞いおりられたのだと思う。
わたしはまだ、その場に居合わせる光栄に至ったときはない。
でも、たしかに、おふたりの書物を通して、天使の翼のはためきに空気が震えてひじがこわばり、彼らの落としていった羽一枚のかるさを爪先に感じ、その類いまれな香気の残り香が頬から耳のあたりをかすめることがあるように思う。
そうした至福のときのあることを、教えてくれた書物。
 

訃報:辻佐保子さん81歳=美術史家、作家・辻邦生氏の妻
http://mainichi.jp/select/person/news/20111227k0000e060170000c.html

 
今ごろは天国で、それこそ天使の舞う場所で、仲良くおふたりで語りあっておいでのことと思います。

*1:実際に読んだのはその年の終わり、来年のゼミ講読で《黙示録の図像表現》をとりあげると教わったころだ

*2:この記事自体、2008年に書いたもの