がらくた銀河

磯崎愛のブログです。本館は小説サイト「唐草銀河」。

J・Gって書くと、Jay-ZとかMJ(マイケル・ジャクソン)を思い出してニヤってする。

今日、ひとつき以上早く、誕生日プレゼントが届けられた。早いほうがいいだろうと言われ、それもそうだと首肯したが、何やらとても重いものがキタ。重量だけでなく、内容も、だ。
中身はこれ。

公然たる敵

公然たる敵

とりもなおさず、「J・G求む、探し求む……」だけ読んだ。広告の形を真似て展開する、ねじくれて冷たく、苛立ちの熱をもった主張。て書くといかにもソレっぽすぎるな。
さて、「敵」とは何だろう? 誰、であろう。
わたしはいつも、はじめはナイーヴ(素朴)に悩むことにする。生まれたての赤子のように。世界がわたしを素直に率直に受け入れてくれた始原の時間を取り戻すように。テクストを柔らかな肌のまま、読むことにする。
てことで。
下は月曜社さんのブログからコピペです。

ジュネ自身が生前に刊行を熱望した政治的テクスト集。日本語初訳。パレスチナ人たちを、移民労働者たちを、アメリカの黒人革命家たちを全身で愛し、ともに闘い続けた作家ジュネが、〈68年5月〉から86年の死までに、文学と政治が交錯する地点で生みだした発言とテクストを集大成。

目次:
はじめに
「J・G求む、探し求む……」(一九七〇年)
マドレーヌ・ゴベイユとの対話(一九六四年一月)
レーニンの愛人たち(一九六八年五月)
『悪辣な羊飼いたち』(一九六九年三月)
フランス人よ、いま一息だ(一九七〇年二月二十四日)
「自分のことを話すのは慎みがないように思われる……」(一九七〇年三月十日)
アメリカの知識人たちへの手紙(一九七〇年三月十八日)
メーデー・スピーチ(一九七〇年五月一日)
ミシェル・マンソーとの対話(一九七〇年五月十日)
『ソルダッド・ブラザー』への序文(一九七〇年七月)
アンジェラとその兄弟たち(一九七〇年八月三十一日)
アンジェラ・デイヴィスはおまえたちの手中にある(一九七〇年十月十六日)
ジョージ・ジャクソンのために(一九七一年三月)
パレスチナ人たち(一九七一年五月)
赤と黒(一九七一年八月)
殺しのあとで(一九七一年八月)
アメリカは怖れている(一九七一年八月)
『ジョージ・ジャクソンの暗殺』まえがき(一九七一年十一月十日)
グワラニ人とお近づきになられたし(一九七二年六月二日)
誰もけっして語らなかった二、三の本について(一九七四年五月二日)
「最悪が必ず確実である」ときに(一九七四年五月)
ジスカール・デスタンのもとで死ぬこと(一九七四年五月十一日)
ズボンつり姿でも愚かは愚かだ(一九七四年五月二十五日)
ジャバル・フセインの女たち(一九七四年七月一日)
フーベルト・フィヒテとの対話(一九七五年十二月十九〜二十一日)
アジュルーンの近くで(一九七〇年十〜十一月/一九七七年)
アメリカ黒人の不屈さ(一九七七年四月十六日)
シャルトルの大聖堂《騎乗透視》(一九七七年六月三十日)
暴力と蛮行(一九七七年九月)
タハール・ベン・ジェルーンとの対話(一九七九年十一月)
カラマーゾフの兄弟』(一九八一年)
アントワーヌ・ブルセイエとの対話(一九八一年夏)
ベルトラン・ポワロ=デルペシュとの対話(一九八二年一月二十五日)
シャティーラの四時間(一九八二年九〜十月)
登録番号一一五五(一九八三年三月一日)
リュディガー・ヴィッシェンバルト、ライラ・シャヒード・バラーダとの対話(一九八三年十二月六〜七日)
ナイジェル・ウイリアムズとの対話(一九八五年夏)
付録
 集まった人々(一九六八年八月)
 十万の星への挨拶(一九六八年九月)
解題・注
略年譜
訳者あとがき

ジャン・ジュネ『公然たる敵』2011年3月中旬発売
http://urag.exblog.jp/12133189/

それから、近況報告的に。
さいきんはクローデルを読んでいる。再読もあり、初読もあり。
繻子の靴 (上) (岩波文庫)』を再読していたら訳者あとがきにこんなことが書いてあった。

クローデルはジュネと並んで、煉獄を知らない劇作家である。

かっこいい!
わたしはふたりとも大好きだし、どうやらクローデルマラルメへの扉をわたしに開いてくれそうな気がしている。
マラルメ、さすがに近寄りがたくて中途半端にしてるのですよ。
でも、ヤルよ!!