がらくた銀河

磯崎愛のブログです。本館は小説サイト「唐草銀河」。

アンリ・トゥールーズ=ロートレック(あこがれのひと その1)

彼は下だけ黒のスエットを穿いて、肩にタオルをひっかけていた。きちんと着込んだ姿しか想像できなかった自分を哂う。歴戦を勝ち抜くサラブレットのように官能的な肉体を見るのは快い。彫像に譬えるには生々しく圧倒的だ。この、ただ歩いている人間の存在感と迫力をうつしとるにはトゥールーズロートレック並の動体視力とデッサン力がないと難しいかと悔しくなった。
遍愛日記』より

ロートレック(と略す)は、幼稚園生のころから憧れだった。もう絶対この絵のなかのひとは目を離した瞬間に動き出す、ちゃんと呼吸してる、息づき、胸の上下するさまが見える気がした。肉体の厚み、文字通りの重み、それが空間をよぎって動くさまを予感させ静止した画面に位置づける手腕。どう努力しても、真似てみても、それらを手繰り寄せる力が自分に備わっていない事実が苦しくてたまらなかった時がある。
まあでも、今のわたしは小説でソレをすればいいと思えるようになった。
そしてまた、十全にものしたとはまったくもって言えないけれど、鑑賞者にこちらが企図した「絵」を見せること、その視線や呼吸、小説内の時間の流れを意識して描くことができるようになりつつある。
どんなに手を伸ばしても得られなかったものが、別の形でわが手に掴めるかもしれないと思えるようになること。失われたはずの想いが、べつの何かとして蘇りこちらに寄せてくること。
少し長く生きると、そういう体験ができる。それは、悪くない。